最初の事件

第1話

*** 2696年10月23日

    惑星フェルタ 中央パルミナンド大地峡東岸

    アイブリー準州 アビレー市





 アイブリー準州警備警察局公安調査部PSIに所属するベアタ・ヌヴォラーリ特別捜査官は、出勤して最初のルーティーン(……パーコレータコーヒーメーカーのスイッチを入れること)をし終えたところで、対番先輩相方ラファエルラフ・サンデルス特別捜査官の声を背中越しに聞くこととなった。


「ベアタ、出動だ…――2分前に埠頭地区の東でコードブルー発生」


 その朝は、その〝一言〟で、普段と変わり映えのしない朝からガラリ一変した。

 ベアタが、一度手に取りかけた紙コップをディスペンサーに戻し、状況を質すために背中越しに首を回す。


「ブルー……人質事件?」

「そう。人質事件…――市警が対応を始めてる。僕らは〝先乗り先遣隊〟だ」


 彼女の対番を務めるブロンドの青年は、慌ただしくブランド物のジャケットを羽織りながら応じた。

 そうして〝急げよ〟と語るサンデルスの青い目がと動く。

 目線の先では、ふたりの上司――対テロ対策群ATTFエコーチームの班長ジェンマ・エズメラルダ・バンデーラ監督特別捜査官SSA――が周囲の部下に次々と指示を下していた。〝交渉人ネゴシエータ〟や〝爆発物処理班〟といった単語が飛び交っている。

 ベアタはいったん席に戻るとデスクの上のホルスターを掴んで、もう先に廊下に出ていたサンデルスの背中を小走りになって追った。


 ホルスターを〝チェックシックス腰の後ろの位置〟に装着しながら廊下に出て、サンデルスの隣で歩調を合わせた。

 まず長身といえるサンデルスの横顔を横目に見上げながら――ベアタは女の中でも小柄で、彼の目線は頭1つ以上は高い位置にある――手早く問いを続ける。


「オフィスビルですか?」

「連絡船だよ。爆弾を仕掛けられたらしい」

「アースポートとの往復船ですか⁉ (よくやる……)」


 思わず口を吐いた嘆息にサンデルスがわずかに反応したので、ばつの悪くなったベアタは大仰に肩をすくめてみせた。


「…――世も末ですね」



 PSIアビレー支部の入るシティプラザビルを出たふたりは、2つの太陽の照り付ける惑星フェルタの強い陽射しにサングラスを掛け、通りを挿んで反対側に停めてある多目的車両SUVへと急いだ。車中に飛び込むとすぐに車を出し、埠頭地区の東側へと向かう。


 プラザビルのあるダウンタウンから事件の発生した埠頭地区までは、車でせいぜい15分ほどだったが、平日の朝のラッシュは終わっておらず、これでは40分は掛かりそうだった。

 車中でふたりは無線を繋ぎ、現場と支部からの情報に耳を傾けた。

 内容の乏しい無線情報を適当に聞き流しながらハンドルを握るサンデルスは、27世紀も終わろうかという時代となっても、20世紀の地球よろしく、無線による音声でのやり取りを強いられる惑星フェルタの事情に、内心でうんざりとしている。


 地球でならネットワーク化された情報空間を介して必要な情報にアクセスできるし、現場周辺のデバイス電子機器を操作してリアルタイムに情報を得ることもできる。地球に留学経験のあるサンデルスは、そういう〝まるで魔法の国〟のような地球圏という世界の在り様を知っていた。

 だが、地球と同じような情報社会の実現は、ここフェルタでは〝夢物語〟なのだ。


 二つの太陽を持つルーリェラス星系の第5惑星フェルタは、強い太陽風から地表を守る非常に強力な磁気圏を持ち、その強い太陽風との相互作用によって電子機材はその性能や耐久性に著しい悪影響を受けてしまう。

 一方で、フェルタもまた資本主義経済の社会なのだから、情報インフラの規模と機能に関しては、情報伝達量の要求とそれらに係る維持運用の費用がバランスする点で形成されることになる。

 果たしてそれが〝無線による音声でのやり取り〟という現状 (地球の20世紀頃の様相)なのであった。


 〝まるで魔法の国〟のような情報インフラの実現は、植民惑星のフェルタでは費用対効果の観点から優先されない。


 だから、隣に座る年若い相棒――〝サローノ避難民〟という経歴を持つ生粋のフェルタ人…――なぞは、そういう電脳社会の恩恵に触れたこともないのだった。

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