エプロンを着た兵士

三八式物書機

第1話 姫君の兵士達

 「メアリ初等侍女!遅い!」

 「はい!」

 黒いワンピースに白いエプロン。

 伝統的なメイド服姿の少女は必死に走る。

 足には革のショートブーツ、頭には灰色の鉄帽、重たい背嚢、手にはボルトアクション式の歩兵銃。

 それはメイドとは掛け離れた姿だ。

 だが、彼女はメイド。

 戦闘を専門とするメイド、ヴァルキリーである。

 メアリ=イヴァン。16歳。

 1か月前にヴァルキリーとして採用されたばかりである。

 孤児院出身で幼少期より、ヴァルキリーになるために教育を施されていた。それでも実際には資質などを問われる厳しい試験を受けて、合格しなければいけなかった。そして、そこから始まる新人教育は朝から晩まで休みなく行われ、毎日、吐くほどに厳しい訓練と座学が行われた。だが、その教育も最終段階になっていた。

 ヴァルキリーとして採用された53人の少女達は与えられたメイド服をすでに泥だらけにして、誰もが疲労困憊で倒れそうだった。

 現在、新人教育の最終試験として100キロ行軍を行っている。

 陸軍の兵士ですら過酷と言われる訓練を15歳前後の少女達が三日を掛けて終わらせようとしている。


 王都の南にある小高い丘の上に建てられた白い宮殿に向かう道。

 石畳が敷かれているが、それは固く、不規則に凸凹で、震える少女達の足に響く。

 正門には白い鉄帽を被るヴァルキリーが門番をしている。彼女達は無表情に駆けて来る新人ヴァルキリー達を見ている。

 最初に正門に到達したメアリは門番のヴァルキリーの前で立ち止まり、敬礼をする。

 「メアリ初等侍女以下52名、只今、戻りました」

 それを聞いた門番は彼女を上から下まで舐めるように眺めた。

 「ご苦労。だが、汚れているな」

 100キロ行軍を終えたメアリは汗と泥で汚れていた。

 「申し訳ありません!」

 メアリはただ、謝るしかなかった。

 「宮殿を汚す。麓へ降りて側道からメイドルームに向かえ」

 それは絶望的な命令であった。

 出発時には宮殿で終わりだと聞いていたのだ。それが目の前で更に3キロの下り坂を下りて、5キロに及ぶ側道を進み、宮殿裏側にあるヴァルキリーの駐屯地へと向かうのだ。膝が震え出すのが分かった。

 「早くしろ。ここは宮殿の正門前だ。邪魔だぞ。不敬罪で処分するぞ」

 門番は冷酷に言葉を発する。メアリはただ「はい」とだけ答えて、来た道を戻る。

 

 地獄のような新人教育が終わりを告げた。

 脱落者は7人。無論、脱落したからと言っても、ヴァルキリーをクビになるわけじゃない。厳しい再教育を受けるだけだ。

 彼女達の多くは新人教育以前に一般の兵士と同様に兵学校で半年の教育を受けている。そこでも厳しい教育を受けたはずだ。だが、ヴァルキリーは兵である前にメイドである。新人教育ではメイドに必要な知識と技術が徹底的に叩き込まれるのだ。

 特にヴァルキリーは王族に従えるメイドであるため、並のメイドよりも厳しい躾が施される。


 フレーデン王国の歴史的に王妃以外の女性王族はバレリー宮殿で過ごす事になっている。そこは男子禁制であり、女性王族の身の回りは警備に至るまで全てが女性が行う事になっている。だが、男尊女卑的な歴史の中で女性が兵士になることは忌み嫌われた事もあり、女性は兵士として従事が出来ない。その為、苦肉の策で生み出されたのが警備を専門とするメイド、ヴァルキリーであった。

 宮殿を警備する部隊は宮殿警備侍女隊と呼ばれ、女性王族直属の部隊である。これは王と言えども独断で動かすことは許されず、女性王族を守るために特化した部隊であった。

 薔薇を軍団の印とし、諸外国からは王国の真の精鋭部隊とさえ囁かれている。

 その主で、この宮殿の主でもあるアニエス=ファナ=フレーデン姫は現国王の娘である。現在、女性王族は彼女しか居らず、宮殿のメイドは全て、彼女の為に存在している。

 14歳になる彼女は美しい庭園の真ん中に設けられた東屋で優雅にお茶をするのが日課であった。

 腰まで垂れた美しい金色の髪を風が揺らす。

 彼女の周囲には給仕をするレディースメイドが3人。

 そして、鉄帽は被っていないが、薔薇の刺繍がされたカチューシャを被り、サーベルとホルスターを腰に吊るしたヴァルキリーが5人。

 そして、ヴァルキリーを統括する妙齢の美女、モレラ女史が居た。

 「姫様、新人教育が終了しました」

 モレラ女史はアニエスにそう報告をする。

 「ふむ。今年はどれだけが行軍に耐えられませんでした?」

 「はい。7人であります」

 「優秀じゃない。去年は21人も脱落したのに」

 「はい。今年は貴族の子弟より、平民の出が多いからでしょう」

 「10年前の戦争で戦争孤児になった子が多いとか?」

 「はい。全部で37人。孤児院出身であります」

 それを聞いて、アニエスは嘆息する。

 「私も幼かったからあの戦争の顛末は詳しくありませんが、領土を守る為に多くの被害が出た戦争でした。帝国からの正式な謝罪も補償もありませんし・・・そもそも、未だに国境線はキナ臭い・・・嫌ですわ」

 「大陸全土で小さな争いが起きております。噂では戦禍が大陸を飲み込むとも」

 モレラ女史の話にアニエスは再び嘆息する。

 「不作による食料問題、経済低迷・・・そして、民主化革命ね」

 「我が王国に限り、民主化はありえません」

 モレラ女史は強く言い放つ。だが、アニエスはそれを否定する。

 「確かに我が王国は民を大事にする政策を取り続け、支持を得ている。しかしながら、経済の低迷の影響は出ており、失業者や貧困は拡大を続けております。我々、王族がこのような生活を続けている事に対しての不満は広がっていると考えられます。地方の都市では農民を中心に不穏な空気が流れているとも噂されているとか。権力を欲する者が暗躍すれば、民衆の心が動くのも時間の問題。その前に我が国は議会などを民主化して、もっと民衆に開かれた政治にするべきなのです」

 アニエスの言葉にモレラ女史も言葉を失う。

 

 その頃、新人教育をやり遂げたメアリは与えられた1日の休暇をベッドの上で過ごしていた。100キロ行軍後の身体は全身に痛みが走り、ベッドから立ち上がれる状態ではない。

 10人部屋で筋肉痛に呻くのはメアリも含めて、3人の新人だけである。他は同じ分隊の先輩にあたる。

 「新人共は全身筋肉痛で動く事も出来ないか。明日から通常勤務だ。今晩中に治しておけよ」

 先輩のヨル上等侍女が笑いながら彼女達を見送り、勤務へと向かって、部屋を出ていく。

 メアリが所属する分隊は宮殿警備侍女隊第一普通科小隊第三分隊である。一般的には一三分隊と呼ばれる。

 宮殿警備侍女隊は女性王族が住まうバレリー宮殿を警備するヴァルキリーの部隊の正式名称である。これとは別に女性王族の身辺をだけを警備する近衛侍女隊がある。

 宮殿警備侍女隊は陸軍では歩兵と呼ばれる兵科の普通科が5個小隊。砲兵と呼ばれる兵科の特科が3個小隊、騎兵と呼ばれる兵科の乗馬隊が2個小隊。輜重と呼ばれる兵科の馬車隊が2個小隊。侍女待機室と呼ばれる司令部で結成されている。

 基本的には小規模の部隊運営が主であり、大規模な戦闘を前提にはしていない。それでも装備は陸軍に準じており、警察組織や騎士団よりも重装備であった。

 メアリの所属する分隊は機関銃分隊であり、最新式の12式機関銃が1丁、配備されている。12式機関銃は三脚による据え置き型の機関銃で、8ミリ口径の銃弾を毎分、600発で発射する。給弾方式はベルト方式で、銃手と弾薬手が二人一組で運用する。

 メアリの役割は弾薬運搬手である。つまり、ベルトで繋がった弾薬が収まった弾薬箱をいくつも背負い、運ぶ役目である。大抵、この手の役目は新人であった。


 1日の休暇が終わり、メアリの初勤務となった。普通科小隊の日課としては宮殿の警備が主な任務である。

 とは言え、正門や裏門の門番は近衛侍女隊の役目で、宮殿警備侍女隊は専ら、宮殿周辺のパトロールが任務となる。1時間毎に1個分隊が宮殿の周辺を徒歩でパトロールする。これを5個小隊、全部で15個の分隊が24時間365日、休むことなく交代で行う。

 機関銃分隊であるメアリの分隊だが、パトロールの時は機関銃を携帯しない。全員が歩兵銃を手にする。弾倉に弾薬は詰めていない。基本的には着剣した銃剣での対処が主である。無論、弾薬は携帯しているが、パトロール時は一人20発と制限されている。

 分隊長はマチルダ侍女長。侍女長は軍隊で言うと曹長や軍曹と同格である。

 ヴァルキリーの階級は統括、統括補、上級女官、中級女官、低級女官とあり、ここまでが軍の尉官以上の扱いである。下士官以下が侍女長、上等侍女、中等侍女、初等侍女となっている。因みに統括でも軍では大佐と同格とされる。そして、女官以上は基本的に貴族の子弟のみがなれ、平民は侍女長までとなっている。

 マチルダは濃いめの茶髪をショートカットにした少し男勝りな感じの女性。当然ながら、口調は厳しい。

 「メアリ!もっと周囲を見ろ。待ち伏せされたら、相手を発見する前に撃たれるぞ」

 「はいっ!」

 朝一番のパトロールからメアリに怒声が飛ぶ。それはいつもの事だと言わんばかりに先輩ヴァルキリー達は笑みを浮かべて、見ている。大抵、新人は怒鳴られて、成長するもんだと誰もが経験したことだった。

 宮殿の周囲は30キロに及ぶ金網と鉄条網で囲われている。その内側に設けられた散策道を使い、パトロールが行われる。基本的には金網などに異常が無いかを確認して、侵入者が居ないかを探る。これまでも盗みを目的とした侵入者は度々あった。歴史的には暗殺者が忍び込む事もあった。

 「分隊長!金網に穴があります!」

 先頭を進むパーラー上等侍女が金網の穴を発見した。

 穴は工具によって切断された痕跡があり、人が一人、入れる程度であった。

 「侵入者の可能性がある。信号弾を撃つ」

 まだ、個人携帯用の無線機が無い為、緊急の知らせの場合は信号弾が唯一の手段であった。マチルダは腰のホルスターから信号拳銃を取り出し、信号弾を装填して、真上に向けて発砲した。

 赤色の煙が空高く、伸びる。それは宮殿でもよく見えた。

 

 「赤い信号弾・・・侵入者ね」

 東屋でお茶をしていたアニエスがそれを見ていた。傍に控えていたモレラ女史が慌てて、手近のヴァルキリーに指示を出す。

 「すぐに警戒態勢を敷け。侵入者の探索を全部隊に命じる」

 その言葉を聞いたヴァルキリーが即座に駆け出す。

 「姫様、ここは危険です。自室へとお戻りください」

 モレラの指示にアニエスは頷き、立ち上がる。その頃には近くのヴァルキリー達は腰からサーベルや拳銃を抜いて、姫を守る布陣をしいていた。近衛侍女隊は特に剣技や射撃、体術に秀でた人材で構成されている。彼女たちは何かあれば身を挺して、女性王族を守るように訓練されている。

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