エンドロールが聞こえない。第二十五話

*性的表現が含まれます。


 お店が並ぶ細い路地に入ると、お店から道に服や靴がはみ出して置かれていて、余計に狭い道になっていた。みんなが、皆、それを気にしている様子は無いし、ほとんどのお店がそうしているのだから、これが普通なんだろう。大きめの通りに抜けそうな時にあかるが「ま、まひるくんっ」と、少し焦った声を背中に投げてくる。


「何?歩くの早かった?」

「ち、違……それもあるけれど、ここっ」


 きみが指差したのは、雑居ビルひとつ分の凹み。その奥にあるお店から甘い香りが漂っていて、大きな窓越しに小麦色のお菓子が焼かれていた。目を輝かせて「食べませんか?」と少し体を弾ませるのだから、食べない、なんて言えるはずがない。ひとつずつ買ったワッフルを持って通りの端、ビルとビルの間に申し訳程度にあった公園のベンチに腰を掛けた。目を輝かせて、まだ温かいワッフルを食むあかるが幸せそうに足をぱたぱたさせて、頬が落ちないように少し上を向いて手で押さえる。


 きみは、本当に可愛らしい、マンガに出てきそうな、女の子だね。


 ぼくもワッフルを食べ、紙コップに入った温かいコーヒーを飲んだ。あの夏に一眞兄ちゃんと入った喫茶店で飲めなかったコーヒーだ。


「温かくて甘くて美味しいですね」

「うん」

「まひるくんはコーヒーが飲めるんですね」

「あ、いや………今日、初めて飲んだよ」


 まだ小さな頃、兄ちゃんと父さんが美味しそうに飲んでいたから、それが羨ましくて、ねだってまで飲んだのに痛い目にあった飲み物。


「こんなに美味しかったのか」

「何だか、まひるくんが大人で格好いい」


 その言葉に紙コップの内側から視線があかるに向く。真っ赤な顔にある目が合うと慌てて「い、いつも格好良い……っ、ですけどねっ」と足す。そうか、ぼくが父さんや兄ちゃんに見ていたのは“大人への憧れ”や“格好良い”の象徴だったのかもしれない。


 服や靴、半井に教わったCD屋さん、ぼくらの町にないものを見て回り、昼食をファストフードのハンバーガーで済ます。午後になると人通りがより多くなり、余計に躓いたり、人とぶつかってしまうあかるの顔を見ると、もう帰りたいです、と書いていた。ぼくには気持ちを伝えて欲しいと言いつつ、あかるは何も言ってくれないのか、と考えて苛立つ。そんな自分が馬鹿馬鹿しいと、誰にも分からないようにため息を吐いて「あかるが言っていた通り、午前中に出てきて正解だったみたいだね」と辺りを見渡すふりをした。この人出では、あかるが人に溺れて迷子になるのも時間の問題かもしれない。小さな歩幅を何歩か使って、ぼくの所に来てコートの袖を小さく引っ張るきみに「別の駅まで行こうか」と言っても視線を俯むかせて、動揺しているように瞳を左右にきょろきょろとさせるだけ。その表情の意味を読み取ろうと覗こうとした時、急に顔を上げて「映画を観ませんかっ!?」と言ったのだ。


「今って、どんな映画をしているの?」

「あっ……ち、ちがう。…………わっ、わたしの……お家で観ません……………か……?」


 あかるの家で映画を観る、その言葉は、いつかの“字幕の映画に慣れる”という事より“セックスがしたい”という意味の方が大きくなっていた。コートの袖を握っていた手に、きゅっと力が入り「まひるくん」とあかるの声が、ぼくを呼ぶ。


「わたしはあなたの彼女として応えられていませんか?」

「それはどういう意味?」

「なんというか……その…………あまり、まひるくんが、わたしに我儘をしてくれていない気がして」


 本当にいつも鋭いね。きみに我儘を伝えるという約束はしたけれど、ぼくまで我儘に接していたら、ぼくらはやってこれなかったとも思うんだよ。あかるは顔色ばかりを見て、自分を殺してきた。ようやく、我儘を言えるようになったのに、ぼくが我儘を言ってしまうと、それだけに応えようとして、またあかる自身は自分を殺したんじゃないかと思う。

 ぼくらの事を水瀬と話して気付いたのは、今の関係が“恋人”として健全なのだろうかという事だ。何度もあかるに言われた通りに、きっと、ぼくは心を開き切っていない。あかるに思う小さな苛立ちすら言葉にした後が面倒だからと隠す。その結果が、あかるを怖い目に合わせようとして、ぼくが彼女に救われた神社での出来事だ。少し目を伏せ考えていると、きみは雑踏の中だというのに胸の中に飛び込んできて、その肩が揺れていていた。


「わたしはあなたが憧れだったから付き合えて浮かれているかもしれません」

「そんな事……………いや、そうかも……ね」

「ごめんなさい。また“ふたり”を見ていなくって」


 いつも少しだけ前を行くあかるは、ぼくの方を見ていないかもしれない。ぼくもあかるも互いに気を使い、気負い過ぎて“恋の使い方”を間違えている。ただ先へ進むだけに必死なぼくらは、迷子になってやしないだろうか。


「まひるくんのっ……………………今、わたしに言ってみたい我儘は何ですか?わたしに苛立ったり、怒っちゃうようなことは何ですか?」


 お願い、わたしにまひるくんを教えて。


 ぼくの苛立ちと我儘。あかるが足をぱたぱたとさせて楽しそうにするのが嬉しいような、置いていかれているような苛立ちを抱いていた。ぼくも足をぱたぱたさせたいくらいに嬉しい出来事は何だろう。きみに、きみだからこそ、叶えられる………。


 きみと会う約束して期待していたのは、ぼくの汚らわしい欲だ。


「出掛けやしないで、朝からずっと“映画が観たかった”かな。ごめん」


「あ、あやっ、謝らないでっ。伝えたくれた事もっ、そうしたいって事もっ、ぜんぶ、嬉しい!だから、謝らないでくださいっ」


 こんな事は格好悪くて素直に言えやしないよ。自分が分からないのに汚れているとかや格好悪いだなんて事だけは知っていて、汚ない欲に溢れて気持ちが悪いのに激しく求める。何だか“その為”に付き合っていたり、会っていたりしているみたいで、人として嫌悪されたくない。ぼくの中から溢れ出る濁った白いどろどろとしたものの為に、あかるが受け止めるだなんて、何だか違うはずなんだ。


「まひるくんっ?あの、その……わたしも同じ!わたしもそう思っていましたっ!」


 ほら、また。まただ。マンガみたいに可愛らしいきみが、そうやって、ぼくを救う。


 今、温めますね、と、エアコンの電源が入れられる冷えたあかるの部屋。“文化祭のご褒美”で来た時よりも毛布が増えたベッドと絨毯の上に敷かれたホットカーペット。外が寒かったから温かいお茶を淹れてくると、部屋から出ようとするきみの腕を取って引き寄せ見つめる。


 自然に重ねられるようになった唇。


「これは、前に神社で叱られたやつに入る?」

「は、入らない………入らないから、もいっかいっ」


 やっぱり、きみは男子が夢に描くような女の子だと思う。“寒かったから温かいお茶を”?ぼくも、きみも、もうこんなに身体が熱いのに、お茶で温めなくても充分でしょ。きみとぼくの身長差で首に腕を回して抱きつかれると苦しい。だから、今まではあまり深く腕を回さなかったのに、今日という日に限って、すがるみたいにか細い腕で首にぶら下がられる。ぼくが屈んで、きみの頬に頬で触れると「背伸びをしても、まひるくんには足りません。まひるくんの身長が高くなっていく」と頬と頬を擦り付けて「でも、まひるくんに守られているみたいで好きですよ」とまた熱が伝わってきた。


「あの……っ、裸になって……お喋りしませんか?」


 その答えを耳元で囁くと「触れて……も、欲しいです」と、ぶら下がっていた腕を解き、ぼくの胸に両手と額を預けるのだ。二人、まだ恥ずかしくて互いに躊躇いながら服を脱がせ合い、互いの肌色にキスをし「わたしは全然、大きくないから……」なんて言って、少ししょんぼりする膨らみや桃色にもキスをして、顔を預けた。きみが小さいから……と気にしている胸も好きだと、そのやわらかさに顔を埋め伝える。二人で毛布に包まって座る時に何故だか今日は、ぼくの脚と脚の間にちんまりとは収まらず、背中に抱き付きたいと言った。熱い顔とやわらかい身体が「背中も……すごくひろい」と、か細い腕が身体に回されるから、より背中に感じる熱くやわらかな肌や胸の感触と熱い息。


「わたしは言ったことに責任を持ちます。だから、まひるくんが答えてくれた事を悪くは言わない。誤魔化さず答えて欲しいの」


 わたしには女の子としての魅力がありませんか?

  魅力って、どういう事を言ってるの?

 た、例えば、背が低いよ。身体がちいさいよ。

  背の高さで魅力が変わるなんて思っていないよ。

 じゃ、じゃあ…………胸も、お尻もちいさいのは………?

  それが可愛いと思っていて、どきどきする。

 色気とかも…………無いと思う………。

  色気って……それは年齢とかもあるんじゃないの?ぼくら、まだ中学生だよ。

 みんなと比べて……幼く見えるから…………。

  それは、ずっとそうだったけど、少しずつ大人っぽくなっているよ。


「わたしは……っ、まひるくんに女として必要とされていたい……です」

「女としてって、どういう意味?」


 あかるの弱い力で、精一杯に、ぎゅっと抱きしめられて、背中により熱い息を感じたから何かを言ったのだと思うけれど、何を言ったのか聞き取れなかった。ぼくも何となく聞き返さないでいると、身体に回されていたか細い腕、きみのちいさな手がお腹を伝っていって、ぼくを探し求める。


「……っ、あかる?」

「こんな…………事もします。したいんです。たくさん…………たくさん……………っ」


 わたしで気持ち良くなって欲しい。

 誰にも負けたくない、誰にも渡したくない。

 まひるくんが、わたしだけしか見れないようにしたい。

 わたしだけのまひるくんにしたい。


 まひるくんだけのわたしになりたい。

 まひるくんだけが欲しい。

 まひるくんがいい。


 まひるくんもわたしだけを求めてほしい。


「あかるっ、やめっ、止めてくれないっ?手………汚しちゃうからっ!」

「いいもんっ、まひるくんのだもんっ。全部、大好きなまひるくんのだもんっ」


 こういう時、あかるは嘘みたいに我儘になる。

 そんな事されたら、ぼくだって………………………………、


 我儘に、きみを、酷く、扱いたくなる。


 ぼくの我儘は一方的に、きみを酷く扱う事になるんだと思っていた。でも、それを伝えると真っ赤な顔と潤んだ瞳で「うれしい」なんて言うから苦しくなる。本当にあかるは嫌じゃないんだろうか。軽蔑したりしないんだろうか。あかるの小さな口に身体を含ませたまま気持ち良くなって、きみの中に……って、気持ち悪くないんだろうか。


「あ、あっかる!?腕、離して……っ!」


 あかるの事を少し酷く扱いたいとか、そんな事を想像して気持ち良くなっているだとか知られたらどうしようと思っていた。


「あかるっ!?ティッシュはどこっ!?」

「んんんふふーふ!」


 ティッシュの箱を取り振り返ったベッドの上に、とろんとはにかむきみが「飲んじゃったから大丈夫です」とゆっくり目を閉じた。慌てて、あかるを力一杯抱きしめる。悪い事をしたような、嬉しいような、愛しいような、酷い事をした、人としてしちゃいけない事をした、色んな感情が混ざった混濁の感情。あかるが「どうしたのっ?ま、まひるくん?苦しいよっ?」と腕をぱたぱたさせたから、慌てて腕を解いた。でも、気持ちが落ち着かなくて心の中で暴れるから、あかるの白くて、小さくて、やわらかい胸に顔を埋め、また強く抱きしめる。きみが頭を撫でてくれて「うれしい。まひるくんをもらっちゃいました」なんて言うから余計に苦しくなる。


「ごめん、あかる。嫌だったら言って欲しいっ」

「嫌だったら飲んでません。わたしはまひるくんが欲しいって言った」

「でも……、こんなの…………」

「まひるくん。わたしの我儘……本音を言うとね」


 本当はコンドームなんか着けないで、直接、肌と肌で触れて、擦り合わせて、お口なんかじゃなくて、わたしの身体の中に直接まひるくんのを出して欲しいの。


「へ、変だねっ。こんなの!まだ子どもなのに、まひるくん、びっくりさせちゃう!」


 また、変な事っ、恥ずかしい事をしてしまった、と、いつものように、あせあせと慌てるあかるが大人の女性に見えた。まだまだ、子どものぼくたちが、そんな事をするのは良くないのは知っている。学校でも習って母さんからも聞いた。でも、夢を見たり、望んだりしてもいいんじゃないか。ぼくら子どもが馬鹿だからって“ふたり”を守られないような事を、快楽の為だけにするとは思うな。将来、このまま“ふたり”で未来まで行く事が出来て、その時が来たらって、そんな夢くらい…………、


 子どものぼくらが話していても、笑うな。


…………………………


エンドロールが聞こえない。

第二十五話、終わり。

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