エンドロールが聞こえない。第二十二話
さっきまで“ぼくの知らない音楽”を話していた半井が、寄り掛かっていた左隣の壁から呆れた顔でぼくを睨んでいる。
「関口。それはお前が悪い」
分かっているよ、充分に。ぼくが悪いと分かっているのに苛つくんだ。一昨日の夕方、家に招いたあかるにサッカーを辞めると伝えた時、あかるが涙を流し、その姿に言ったひと言が自分に重くのしかかっていた。半井は「しかし、まあ……」と言葉を選ぶ時間を作るみたいに窓の外を覗く。そして、分からんでもないけどなー、とも言った。とにかく、ぼくは生きるのが下手くそで、それなのに妙に貫き通したくて、すぐに折れてしまうくらいの覚悟なのに、威勢よく吠えていたいとも強く思っている。これが間違う原因だと思うのに、止まらない。
「半井、これが“思春期”って……やつのかなあ?」
「分かっていたら、どうにかなるもんなの?」
「どうにか……なっていたら、あかるにあんな事は言わないか」
自分自身の事がよく分からないのに、小さな何かに傷付き、よく分からない苛立ちで誰かを傷付けて自分も傷付く。間違っていると知っていても、間違っていないと強く思い込もうとする。だから、謝りたくない。あかるには、ひと言“ごめん”と言えば、受け入れてくれる準備をするかもしれないのに、何かがそれをさせてくれない。
「“思春期”って難しいね」
それから、ずっとあかるが言っていた“孤悲”と“恋”の間がしたかったという事が頭の中を回っていた。全ての授業が終わると、皆が机の上に鞄を置く音が響き渡り、放課後の空気に切り替わる。あかるが教室にやってきて「もうサッカー部は……行かない………んですよね?わたしは部活があるので、先に帰っていてくださいね」とだけ言って、誰かに呼ばれて教室を出て行った。その後ろ姿に理由もなく、きみがぼくから離れていく準備を、さよならに向けた何かを、ひとつ、ひとつ、やっているように思えたんだ。
「ま、まひるくんっ!?」
声の主がスニーカーに履き替えると、と、と、と、と二十センチメートルくらいの軽やかな音を立てて駆け、ぼくの前でちょこんと止まる。とろけそうな笑顔と、とろんとした声が「わたしの事を待っていてくれたんですかっ!?」と声量大きく、嫌に強調されて聞こえた気がした。
“待っていなくてもいいのに”
きみの大きな目から目を逸らして「部室に残した物とか片付けなきゃだったから」と呟くと「そうですか……」と残念そうに昇降口の壁や天井に反響した。きみは悲しそうな眉の形で無理やり笑って「わたしはまひるくんが決めたことだから、何も言いません。だから、無理に気を張らないようにしてください」と気遣われ、またぼくの心が重く、沈んでいく。
二人で試行錯誤してきた歩幅で歩き、自動販売機が並ぶ文房具屋さんの前で「少し、お話があります」と、きみが言ったから、その時が来くるのだと覚悟をした。仕方が無い事だ。心配をさせて、その上、何度も当たるような言葉や態度をとって来たのに謝らず、きみの優しさの上に胡座をかいてきた。だけど、いざ、こうなってみると手や足の先から電気が走るようにピリピリしてきて、首が絞つけられるように息がし辛くなって、お腹の底から身体が冷たくなっていく。“さよならの神社”の斎垣をたどり鳥居をくぐって細石を鳴らす。石灯籠に着いた苔、ポイ捨てされたジュースの缶が乗っかった垣根、小さな池に架かる橋。ここで何度も話をして、雨宿りをして、キスをして、あかるの身体に触れて、今日は奥にある公園のベンチに座り………、
「あのね。まひるくん、ありがとお」
その言葉の次を考えて、涙が出そうになる。少しずつ水分が溜まっていく。だけど、いくら待っても次の言葉が出てこない。
「えっと…………?あかる?」
「はい?」
不思議そうな表情をして、とろんと微笑み「?」となったから時間が止まってしまった。きみがあせあせと“また何か、間違ってしまったのかな?”と目がぐるぐるし始めたから、覚悟していた話を伝えると……、
「ちっ、ちがう、違うっ、違うよ!さよならなんてしないよおっ!ばかあっ!」
わーっとなって、いつもの攻撃になっていない両手でぽかぽかと叩かれた後に、額をぐりぐりする攻撃になっていない“自称・頭突き”をされてしまった。あかるの攻撃が止まり、ぼくの胸に埋められた顔から小さく聞こえたのは、
「でも……………怒ってる」
あかるから怒っているなんて聞いたのは初めてだった。こんな時、どうしたらいいのか知らない。抱きしめたらいいのか、謝ったらいいのか、どちらなのか分からない。でも、選んで行動しないと、また少しずつ“恋の使い方”を間違い続けて、いずれ駄目になる。
「ごめん、あかる。……きっと今まで、あかるに甘えて謝ってこなかった事、たくさんある」
「うん」
あかるがやさしいから?ぼくの事を好きだから?六年間も想い続けられていたから?そんなのは関係無いだろ、酷い事に怒らない訳が無い。今までぼくはあかるに“どうして我慢するの?”って言ってきたろ。それだったら、あかるがぼくに我慢してきた事も受け入れろ。
「今さ、ぼくは自分の事がよく分からないんだ。たくさん色々な事があったのと…………気に入らない事、小さな事にまで苛々してしまうんだ」
「うん、うん…………。わたしは鈍感だから…なのかな?そういうのはあまりないけれど、お友達も同じ事を言っています。まひるくん、わたしがあなたに出来る事はありますか?」
「ぼくがあかるに悪い事をしたら叱って欲しい」
ずっと間違っていたのは“恋の使い方”なんかではなく、人としての接し方だ。それなのに、この時、あかるは何に怒っているのか言わなかった。あかるは何に“ありがとう”と言ったのか言わなかった。ぼくらはずっと互いに間違い続けていたんだと、今は思う。
文化祭当日、本来ならクラスが開く“喫茶店”の宣伝を教室の外でしているはずだった。それが「どうして、ぼくが着なきゃなんないの?」と目の前に“王子様”だろうか?“ロミオ”だろうか?“執事”だろうか?それらのどれかが当てはまるであろう服を着てくれ、と、女子に頼まれ、不愉快極まりなく抵抗していた。女子が言う、ぼくがこの服を着るべき理由はみっつ。ひとつ、本来着る予定だった奴が風邪で休んだから。ふたつ、せっかく作った衣装だから。みっつ、ぼくが着ているところを見てみたいから。最後の理由がよく分からないんだけど。
「せ、関口くんっ。サイズぴったり!しかも、似合うぅ……」
「いや、これはノーマークだったなあ。彼女が羨ましー……」
何が?この格好のどこが良いの?こんな格好をするなんて、ほぼ道化師じゃないか。
文化祭前の準備で接客というのは見ていたけれど、いざやってみると難しく慌ててしまい、段取り通りに上手くいかない。じいちゃんや一眞兄ちゃんが連れて行ってくれた喫茶店のマスターは、接客から調理までの全てを滑らかにやっていた。働く……その仕事をちゃんとこなすって凄い事で、とても難しい事なんだ。そう思った時に浮かんだ顔は、父さんとじいちゃん、そして、少し悲しそうに微笑む兄ちゃんの顔だった。
「おい、眞昼ーっ!交代っ!」
「あ、うん!ねえ!?どれくらい休憩できる?」
教室を出ていく時に「その格好似合ってんぜー。ぜってー藤原さんは好きそう!こう……夢見る乙女っぽいし!」とか「その格好で舞台の姫を連れ去っちゃおうぜ!」とか馬鹿で、夢みたいな事ばかり言われる。やはり知らないんだろうね、ぼくとあかるが“ああいう関係”だなんて。雑踏の廊下で化け物に扮した半井が疲れた表情で窓から顔を出し黄昏ていた。その隣に行き「フランケンシュタインも疲れるんだね」と一緒に顔を出す。すると「まあ……こんな時代なんでね」という冗談が返ってきて「関口の格好、いいんじゃね?お前にそういうイメージが無いから逆に新鮮。これは藤原さんに見せるべき」と続けられた。互いに疲れた顔で窓の外を眺め、ため息なんかを吐く。
「なあ?関口。今から演劇部観に行くの?」
「ああ、うん。そうだよ。どうして?」
「藤原さん、綺麗だったよ」
「俺は藤原さんを見るしか出来ない所にいるんだわ」
「本当に半井はあかるの事が好きだね」
「まーねー。でも、もう見てるだけだから安心して?」
「………あかるのところに行くよ」
「その格好、藤原さんは気にいると思う」
みんな好き勝手に言う。こんな格好、ぼくの柄じゃ無いでしょ。でも、もし、あかるが喜んでくれるなら、道化師でもいいのかもしれない。
体育館に並べられたパイプ椅子は座れる所を探さなくてもいいくらいで、それでも前の方は生徒と先生、保護者で埋まっていた。何故か壁際に立っている大人もいて、それがどうしてなのか分からず、きょろきょろと眺めていると開演のアナウンスが鳴り照明が落ちる。演目は演劇部の卒業生が書いた物で長くやってきたものらしい。毎回、少しずつ手を入れ、時折の表現を加えたり変更をしながら続けられている演目だと説明があった。
主人公は二人いて、心を失くした太陽と歌を失くした月の話。毎日、太陽は空の上から歌を唄い照らすのだけど、その歌には心が無かった。月は毎晩、心から皆を想い静かに照らすのだけど唄う事を失くしていた。あかるが演じているのは、月だ。彼女は皆に慕われているのに心を唄えずに苦しむ。月の静かでいて苦しい思いを抱えた演技が、ぼくの目を濡らしていく。視界が涙で光を散らすから、あかるがきらきらと輝いて見えていた。太陽と月は互いの悩みを知り、夕方と夜の一瞬、夜と朝の一瞬に心と歌を分け合っていき、太陽は心を、月は歌を取り戻していく。そして…………、
あかるは、そのちんまい身体で客席に向かって、空に羽ばたくように唄う。あかるの着た衣装が照明でなのか、涙でなのかは分からないけれど、誰よりも輝いて見えた。
“私はいつもここにいて、みんなの事を見ていた。みんなを等しく愛していたんだよ”
そう月が唄っていた。
拍手が鳴る中、舞台上に演劇部の皆が並ぶ、その真ん中に周りより、一際ちんまいきみが汗だくになりながら笑顔で輝いていた。ずっと小さな頃からいつもとろくて、のんびりとしているきみが大きな拍手の中心にいる。
あかるは、願いを叶え続けている。
体育館の裏口で演劇部員と雑談をするあかるに声を掛けると、その笑顔がぼくの声に反応して笑顔が変わった。きみのそういう所を見ると、胸がきゅっと締められるのは何と言う名前の感情だったかな。
「なんだかなあ」
ぼくはきみのせいで出そうになった笑顔を噛み殺した。
「みんなとは大丈夫?」
「うん!うん!また後で話すから!それより、まひるくんっ!」
「何?」
何をそんなに、ぴょんぴょんと小さく跳ねているのだろうと思っていた。すると、ぼくが劇の感想を言う前に目を輝かせ「すごい!まひるくん!王子様みたい!」と胸の前で手を握り、また小さくぴょんぴょんと跳ねた。正直、この格好をしているのは複雑な気分だから「そんなに……いいものかな?ぼくからしたら見せ物になっているだけだ……」と、遠回しにあかるの気持ちを伺ってみると、きみは凄い熱を持って「そんなことない!格好いいですよっ!」だなんて、少し怒った感じで、またぴょんぴょんと跳ねるのだ。こうなればいいとは思っていたけれど気恥ずかしくなってしまい。一度、きみから視線を外す。あかるに似合っている月の衣装でぴょんぴょんと跳ねるのだから、可愛い、だなんて柄にもない事を言葉にしそうになってしまった。
「あかるこそ。そのドレス似合ってる。綺麗だ」
「ひゔっ」
よく分からない発音をする声を出すから「?」という顔をしていると「ま、まひるくんの方が……格好いい」と顔を真っ赤にしてくれる。ぼくが道化師だと思う格好も、きみには“王子様”に映る。この格好で、低くなった声で、あかるが喜んでくれる“言葉”を考えてみる。
「ここじゃ、人も多いし邪魔になるから移動しようか」
「あっ、はい!」
「あかる?」
「はい?」
おいで。
…………………………
エンドロールが聞こえない。
第二十二話、終わり。
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