エンドロールが聞こえない。第二十一話

 季節はあっという間に秋の手前にまで進んで、文化祭まで二週間を切っていた。驚いた事がみっつ。ひとつは中学校の文化祭というものが、ここまで大袈裟なものだとは思っていなかった。小学校では、せいぜい好きな事を好きなようにしましょう、精一杯に楽しんで遊びましょう、くらいだった。だけど、中学校ではクラスで競うように大掛かりな事をする。出し物を秘密にするクラスが出てきたり、挙げ句には他のクラスの情報を偵察する為に暗躍する奴が人気者になったりする。出し物に投票をするなんていうものもあって、各学年、上位三位まで発表されるらしい。ぼくらのクラス担任も鼻息荒く「優勝する事が出来たら、みんなで焼肉をするっ!」とまで言い出した。ふたつ目に驚いた事は、ぼくが喉風邪だと思っていたのは“変声期”に入ったという事だった。徐々に声が詰まる感じがしたり、がさがさと痛くて高い声が出なくなって、自分の声が自分のではないような嫌悪を感じる。最後の驚きは、読んで字の如く“腰が抜けるほど”驚いた事で、それは昨日の下校時にあかるが言った事だ。


「ま、まひるくん……っ。文化祭のね、演劇部の劇でねっ?しゅ、主役をすることになっちゃった………っ」


 冗談を言ってるのかな、と思ったのは一瞬で、彼女の言葉を信じたのも一瞬だった。経緯を説明するきみの顔が見るからに青ざめていき、単語、単語の語尾が裏返っていたからだ。初めての舞台に意気込んでいたきみは、台本のほとんどを覚え、休憩時間などに遊びで色んな役を演じて見せていたらしい。すると顧問の先生と演技指導に来ている先生が、あかるを主役に推し、部員も納得した事から初舞台が初主演という快挙となった。


「ど……っ、ど、どどどうしよう!?」

「いや、どうするも何も……」


 みんなの前で演じてたんでしょ。それなら、そこまで緊張する事は……………、


「部のみんなだったから!本番は生徒や!先生や!保護者も!見に!来るって!聞いたからっ!」


 あかるらしくない勢いと一言、一言の息継ぎの必死さに、きみの緊張を知る。そこまで緊張するなら断ればと思うと「みんな……盛り上がっていて、断れなかった…………ん…です……」と、演劇部に入った理由のひとつが上手に出来なかったみたいだ。


「うう……っ、大変なことをしてしまった」


 両手をやわらかな頬に当てて、目はぐるぐるとなり困った顔をする。


「そうだ。今日はさ、ぼくの家に来てよ」

「ええっ?……えっと……んと、はっ…………はぃ……」


 顔を赤くするきみに「あかるの期待に添える事はしないよ」と揶揄うと、冗談ではなく“期待していた”あかるが「まひるくんは、いじわるだっ」と攻撃になっていない両手で、腕をぽかぽかと叩かれた。


「ただいま」

「あ、あのっ、お邪魔しまひゅっ、違うっ、すっ!」


 ぼくが走ると怒られる長い廊下を、ぱたぱたと母さんが小走りに出てくる。その顔は腹が立つ程の笑顔。


「母さん?何?」

「ん?あかるさんの声がしたなあって」

「あ、あのっ。お母様、ま、まひゅっ、違っ、まっ、まひるくんの脚が大分良くなって…………」


 相変わらずの固い挨拶に母さんとぼくが笑うと「えっ?え?わたし、何か変な事を言いましたかっ!?」と状況が掴めないようだったから、また笑った。


「あかるさん、眞昼の事……ありがとうね」

「えっと……?えと?えぇっ!!まひるくんっ!?はっ、話しちゃったんですかっ!?」

「んっ?ぼくは何も言ってな……話す?えっ?」

「で……、でもっ!!」


「……ちょっと待って!あかる!?何の事を言おうとしているのっ?」


「え?……ええと。あの………ぇと、そのう…………土曜……日のぅ……」




「初々しいなあ、もう。こっちが照れちゃう。あかるさん?眞昼の脚の事“も”ありがとうねっ」

「ひゔ」


 いつものよく分からない声を短く出した後に、やっと状況を理解したのか、あかるの全ての肌色が真っ赤になってしまった。それを見て母さんが「本っ当にあかるさんって、絵に描いたような可愛いらしい女の子ね!」と笑うから、ぼくも赤くなるのだ。母さんは、優しい声で「あなたたちが経験した事は、好きな人同士だったのだから幸せな事なのよ」と長い廊下の奥へと戻っていった。


 ああいう事って好きな人同士、恋人同士とかでするのが普通でしょ。


 かち、かち、かち、と、目覚まし時計の音が聞こえるくらい静かな部屋。その音に混ざって、二人の呼吸が聞こえる。あかるは正座のまま、ぴんと背を立てて顔から首、指の先まで赤いままだ。あー、えと……と、ひとまず、二人の間に置かれたお煎餅を勧めた。あかるが、ぽり、と食む、その欠けた煎餅が驚く程に小さいのを見て、心臓が早く打ち出してしまう。あんな小さな口で、ぼくのを……なんて、変な事を思い出してしまっていた。


「あ、あのう……………ご、ごめんなさい」

「ああ……っと?いや、うん。誰にでも……ある事だから」


 誰にでも?いいや、あまり無い事だから、こんなにも気まずいんだと思う。母さんは「照れなくていい。誰でも最初の一回目は初めてなのだから」と慰めてくれたけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。その“あかるさんとの事”を分かっているなら、察して何も言わないで欲しいと苛ついていた。




 時間を重ねると疑問に思う所があるのだ。ぼくらは前転だって逆上がりだって、勉強だって、嫌いな食べ物を食べられるようになった時だって、いつも自慢し過ぎだというくらいに、家族に自慢をしてきた。だけど、“性”の事となるとキスどころか、手を繋いだことですら知られるのが嫌で、知られないように気を使うだけで、どうにかなりそうな思いをした。性行為というものが歳を重ねるにつれ、どんどん当たり前になっていく行為になり、やがて、ときめく事が少なくなっていくと知っていたなら、もっと家族に自慢していても良かったんじゃないかと、今は思う。




 熱かったお茶もすっかり冷めて、ぼくもお煎餅をひと口食んだ大きさは、あかるのひと口と随分と大きさが違っていた。母さんに知られたあかるとのセックスに、恐らく一番恥ずかしいのは墓穴を掘ってしまったあかるだろうから、ぼくが話し出さないと煎餅を食むばかりで、きみは一生話さなくなるだろう。


「あかる?」

「ひゃいっ!あ、ひゃ、ちがうっ、はいっ!」


 正座で背筋を伸ばし切って座っているはずなのに、びくっとなって、さらに背が伸びる。


「……文化祭、さっき主役やるって」

「あっ、はい!うん!そう!…そう………です……………」


 会話の始まりと終わりの音量の違いに、これはこれで忘れていた緊張をさせてしまった。でも、そんなので、本当にあかるの目標が達成出来るのだろうか。自分自身を変える為に、やりたい事をする為に演劇部へ入ったんでしょ。


「今、少しでいいからさ、やってみせて」

「へっ?えっ!?や、え、でもっ。えっと……………」

「ぼくは知っているよ。いつも一生懸命に発声練習していたの。誰よりも頑張っているのも知っている」


 体育館裏の二階バルコニーの下。部員全員で並んでする発声練習で、みんなに負けてちんまい体のあかるが、誰にも負けないくらいの大きく綺麗な声で、いつ巣から飛び出してもいいように羽ばたく練習をたくさんしてたでしょ。


「うん」

「この家は古いから小さな声でね」


 こくっと頷き、畳の上に立つ。軽いストレッチと指先や口を動かして、ぼくが大好きなあかるの癖である小さな舌を少し出して下唇を舐めると、少しだけやわらかく噛んだ。一度、大きく深呼吸をして、ゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。


 静寂、一瞬、動。


 ぼくはテレビドラマのような演技をするのだと思っていた。でも、あかるがして見せたのは『雨に唄えば』のようなミュージカルの演技。そのちんまい身体と、か細い腕と、か細い脚で大きく弧を描いて、舞い、唄う。ゆっくりと羽根が舞っているような、不思議。スカートが舞い、長い髪がゆっくりと揺れる。窓から入ってくる夕陽に照らされ、白い肌が、ほんのりと赤くなり、やわらかで美しいいやらしさまでまとう。いつの間にか、ぼくは息を止めてしまっていて、いつの間にか終わっていた演技にすら気付かずにいた。


「まひるくん?」


 あかるが心配そうに顔を覗き込んでいる。それに気が付き「凄い」と言おうとした。でも、言葉より先に涙が出てきて、それを拭き取る仕草で顔を腕で隠す。それでも隠し切れないくらい流れるのだから、困ってしまった。


 長い廊下の戸を開けて、いつかの夏のように脚を出して桜の木を見ていた。もう来年まで会えない夏が座る為の一人分の場所を空けて、そこに温かいお茶とお煎餅を置く。


「ごめんね、あかる。びっくりさせた」


 ふるふるふる、と、あかるが首を勢いよく横に振るから、頭が取れるよ、なんて、いつも思うくらいに細い首。


「ぼくは全く知識が無いけれど、あかるの演技は凄いんだと思う」

「まひるくんが泣いちゃうなんて思っていなかったです」


 照れ臭そうにはにかんで、


「ありがとお」


 ぼくたちが小さな頃から変わらない、ぼくが大好きなあかるの“ありがとう”。


 あかるに演技を思い返しながら、話をした後、ぼくは俯いた。脚を見て、少し考え、覚悟する。庭の草履で「少し待ってて」と玄関に向かった。すぐに庭に戻ったあかるが驚き「わっ、もうボールを蹴られるんですかっ?」というそれに答えず、軽くリフティングをして見せる。小学生の頃には出来なかった技も、いくつも織り込んで繋げていく。


「すごいっ、凄いっ!」


 そう目を輝かせて手を叩くきみに「あかる、行くよ。落とさないでね」と、ゆるい丸なりのパスを背中から踵で出した。両手を広げ、目をまん丸にして「わっ、わあ!」と言いながら、ぽすっと受け取れた事に驚くきみと「あかるは小学校の体育で、こういうのも落としてたね?」と小さく笑うぼく。きみが目を優しく閉じると「やっぱり、まひるくんは凄いなあ。こんなの見た事がない。ずっと貴方を見てたのになあ」と大事そうにボールを抱えた。その言葉は、よく考えると、なかなか大胆な告白をさらりとされていたのだ。でも……………、


「この先はサッカーをしている姿は見せられない。ごめん」

「……えっ、えっ……と?」

「今のも膝が辛くてね。こんなのじゃ、みんなに着いていけやしない」

「でっ、でも!また練しっ、もっ、もう少しっ、リハビリとか続けたら、きっと……!」

「それに意味が無いから辞めるんだよ、あかる」


 いつ伝えようかと悩んでいた。お医者さんに辞めろと言われた訳でも無いし、あかるの言う通りリハビリと練習を続ければ動けるのかもしれない。でも、ぼくが続ける残りの二年間は短すぎて、みんなが上達するのに使う二年間は密度が濃い。進学をサッカー部が強い高校に絞っていた事も見限って、別の高校を見つけないといけない。


「ご、ごめん。ごめんなさい。まひるくん、わたし……」






「あのさ。そういう風に泣くの……やめて?痛いのは、ぼくの方なんだよ」


 たまに………こういう言い方しか出来ない。これはぼくの問題だ、きみの感情にすり替えて、泣いて、楽になるなよ、なんて思う。あかるは本気で思って泣いていて、ぼくもあかるの演技に泣いたばかりなのに間違える。脚を怪我した原因はね、多分、あかるが自分より劣っているなんて思っていて、きみが声を出す姿が輝いて見えたから酷く動揺して、苛つき、焦って、力の入れ方を間違えたからだ。全部、自分が悪いのに。それなのに………


「あかる。そろそろ送るよ」


…………………………


エンドロールが聞こえない。

第二十一話、終わり。

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