『WONDERFUL WONDER WORLD』(改訂版)のその後の話(短編)

(シーン1)

 どこかにある、名もなき世界。


 天国でも冥府でも地獄でもない、神と悪魔と人間、地球外生命体が対等に平和に暮らす、少し変な世界。


 その中心地から少し外れた町に「へっぽこコーポ」と呼ばれる築半世紀上の木造アパートがある。


 二階建ての古めかしいアパートでトイレは各部屋にあるが風呂は近所の銭湯に行くか庭先で行水するしかない。


 その二階の角部屋に平野平春平は寝込んでいた。


 風邪を引いたのだ。


 往診に来てくれた医者曰く「仕事で無理したでしょ?」と図星をつかれた。


 そう、先週まで春平は夢の世界を中心に地上界の破滅を防ぐために文字通り大活躍をしたのだ。


 人々の夢に入るには、担当部署の了承と鍵を受け取る必要があり、その往復だけでだいぶ疲れる。


 家族や知り合いに会えて嬉しかったけど、少し苦い思いもある。


「空っぽにはなりたくないから……」


 その言葉は春平の中で息づいている。


 彼女の純白な気高さに自分の思いは邪なものであった。



 夢を見る。


 彼女と恋敵と自分が独身で探偵社を営んでいる。


――俺も、変な夢を見る


 冷笑する。


 自分は生前、人を沢山殺めた。


 どんなに仲間に囲まれても一人ぼっちなのだ。



(シーン2)

 目を開ける。


 部屋は夕焼け色に染まり、物音がする方を見ると、ここ千年ほど使ってない羽と小さい四肢を持つ緑の体と大きい頭を確認する。


 手作りのお手伝い用の階段を使って、相棒のクトゥルフ(幼体)が小さな分身たちとガスコンロの前でワイワイ騒ぎながら何かを煮ている。


「クトゥ、クトゥ?」


「あ? 『マヨネーズを入れる?』 あかん、あかん! せっかくの上物やで、素材そのものの味で勝負や」


「海苔、入れる?」


 やや小ぶりな分身たちのリーダーも問う。


「色合いが変になるからダメやけど、添え物にはええな。小鉢に入れてな」


「はーい」


 目が覚めた春平にクトゥルフは振り返りざま聞いた。


「おかゆ、食べられる?」



 椀に一杯の重湯のような粥と、小鉢に海苔の佃煮。


 まさに病人食だ。


 鮮烈な戦争体験をしている、まして、裏稼業を強いられてきた春平からすれば飯があるだけでもありがたい。


 ちゃぶ台に乗った、それを見て、けれども、やっぱり、脂も欲しい。


 まして、子供状態のクトゥルフが作ったのだ。


 レンゲで粥を掬い、嚥下した。


「‼ 美味い!」


 その言葉にミニもリーダーも本体クトゥルフも喜び合った。


 実際、世辞もなく美味い。


 米の甘味が口に広がり、わずかな塩ッ気が食欲を増進させる。


 それから、何故か肉を食べたような気になる。


 あるものが春平の中で一気に弾けた。


「まさか、このおかゆのスープって……?」


「職場の奥の物置にあったハムやで。豚の足丸ごとで、ツァトゥグァが『金華ハムって言ってすごくおいしいハムだよ』って言ってくれてな。他にも……」


 どうやら、アパートの有志がお粥づくりを手伝ってくれたらしい。


 しかし、その金華ハムを作っていた春平は風邪とは別に頭が痛くなった。



 事は風邪で休む前まで戻る。


 財務課課長室。


 シアエガと呼ばれ、今はダンディなスリーピースを着ている紳士は高級革で出来た椅子に座り、高級執務机に両肘をついて手を組み口を隠している。


 机には様々な請求書が届いている。


 その一つを摘まんで読んでみる。


「『石の華』か……渋谷の有名バーで僕も何度か行ってみたいと思っていたんだよ……しかも、そこで『山崎 二十五年』なんて……で、美味かった?」


 春平は大きく頷いた。


「凄い酒でした。生前も有名な酒はいくつかは飲んでいますが、その内の上位五位には入ります」


――なるほど


 シアエガは大きなため息をすると肩を落とした。


「まあ、今回は事態が事態だから、ならべくこちらも、クダニド特別特級監査からも大目に見るように言われたけど、今月のボーナスと給料が少し減るとは思ってほしい」



――さて、困ったぞ


 春平は困った。


 実はクトゥルフ(幼体)を集めて遊園地で遊ぼうと思っていた。


 ところが、思いのほか金はもらえなかった。


『見栄を張らずにいればよかった……』


 後悔先に立たず。


 そこで最低の生活費だけを残して、豚の足を買った。


 クトゥルフたちが寝ている深夜に空いている倉庫に極秘で作った香辛料と塩で水っ気と塩味をつけた足を干す。


 その下に時間を早回しにする魔法陣を書く。


 普通なら数年寝かせるものが、これなら十二月頭には完璧な状態で仕上がりネットオークションで大金を手にしてみんなで遊園地に行ける。


 それが潰えた……


 その直後、春平は風邪を引いた。


(シーン3)


 風邪が治り、仕事も休みの日。


 春平と邪神たち(幼体)は電車に乗っていた。


 傍から見れば幼稚園の園長先生か優しいお爺ちゃんが礼儀のいい孫たちを連れて電車に乗っている微笑ましい光景だ。


 時間帯も空いているので多少騒いでも問題ないが、ネットという監視社会において油断はできない。


「じいちゃん、大丈夫なん?」


 幼稚園児姿のクトゥルフが隣でぼんやり揺れるつり革を見ている春平に聞いた。


「あー、大丈夫、大丈夫。何なら、千葉夢の国でも大阪映画村でも大丈夫だぞ」


『まあ、定期口座を崩したから当分は飯とお新香生活だな……』



 そして、連れてこられたのは……


「るなーぱーく?」


 千円札を握りしめて邪神たち(幼体)は駆けだした。


 ほとんどの乗り物が百円以内で収まる。


 群馬県前橋市にある児童遊園地だ。


「みんな、春平のお財布ぐらいお見通しだよ」


 キッチンカーからクレープを買ったツァトゥグァが春平に両手に持った一つを渡した。


「……生意気なクソガキどもめ」


 そう言いながら春平は苦笑した。


 手早く食べ終わる。


 もうすぐ昼だ。


「おーい、お前たち。近くのひもかわ饂飩を食べに行くぞ」


 今度は、ツァトゥグァが驚いた。


「お金、大丈夫?」


「馬鹿、こっちにも意地ってものがあらぁな」


 春平は出口に向かい歩きだした。



 平和な日の平和な特別な日。

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