恋愛迷宮

古人

迷走する恋愛

「……何だこれ?」


 学校の宿題をこなしている間に秀一のスマホのトークアプリに幾つかの動画が張りつけられていた。差出人は幼馴染の名前で、一つの動画の長さは五分きっかり。

 サムネイルは最初こそ美少女と名高い幼馴染の制服姿だが、二つ目のサムネイルで彼女は裸になっていた。三つ目に至ってはあられもない姿で秘所を曝け出している。


(……取り敢えず、送って来てるんだし見るか)


 サムネだけで色々と思うところはあったが、秀一は黙って動画をダウンロードして順に視聴を始める。全部で十五分。それを見終えた秀一は溜息と共に呟いた。


「浮気の証拠映像か」


 動画は彼の担任教師である田岸と彼の幼馴染で彼女の黒井祥子が交わっているものだった。田岸は秀一から美少女の彼女を奪い取ったことを誇示するために、祥子の方は罪悪感や羞恥を背徳感へと変換し、更なる快楽を貪るために秀一へ動画を寄越したのだろう。


(こいつら馬鹿かよ……)


 再び深い溜息を吐く秀一。田岸はともかく、祥子は勉強の出来る才色兼備の幼馴染だったはずだ。だが、頭がラリっているのか、見ないでといいながら撮影され、動画を送られて楽しそうにしている。それを見て秀一は心の底から面倒臭そうにしながらも立ち上がった。


「はぁ……こういう場合、幾ら取れるんだろうな? 全く……大学の受験料くらいにはなってくれよ……?」


 冷静なのか、心が壊れているのか不明だが、秀一は動画を保存して自室から出た。一階には両親がいるが、秀一の用があるのは父親の彰だ。丁度タイミングよく、母親は風呂に入っているらしい。秀一は好機を逃さずに父親に近付いて言った。


「父さん、幼馴染がイカレポンチになってたんだけど」

「どうした急に」

「ん」


 三つ目の動画の祥子が秀一より先生の方が気持ちよくしてくれるから好き。だから秀一は私と別れてと宣ったシーンを秀一は父親に見せる。ご近所の娘さんのあられもない姿をいきなり見せられた彰は固まった。


「な、これ……お前、大丈夫か?」

「あぁうん。何かサムネ見た時点でもう逆に冷静になってるから大丈夫。取り敢えず慰謝料欲しいんだけど。幾ら取れそう?」


 据わった目で彰に問いかける秀一。彰は経験上こういった状態は後で反動が来そうだと思ったが、現時点で心が折れないように目の前のことに集中するのも悪い事ではないと判断して考える。


「取り敢えず、祥子ちゃんとお前はただの恋人だから不貞行為には問えない。だから慰謝料は取れないと見ていい」

「えぇ……俺のときめき返してよ」


 心底がっかりする秀一に彰は続けた。


「ただ、やり返したいなら色々手はある。秀一、お前はどうしたい?」

「お金欲しい」

「……それなら、黒井さんの家を巻き込む必要があるが……お前は本当にそれでいいんだな?」

「うん。お金欲しい」


(こいつ、本当に大丈夫か……?)


 彰が心配する中、秀一に色んな知恵が授けられる。辛ければやらなくていいと彰は言っておいたが、秀一はそれでお金がもらえるならとズレた回答をしてこの日の内に黒井家に電話し、翌日、両家揃って学校に行くことになった。





 翌日。


 母親から頑張ってねと見送られた福居父子は隣人の黒井親子と共に学校に向かう。

福居家の父の彰はスーツ姿に桐の紋章が入ったバッジをつけ、戦闘準備は万全だ。


「さて、行きましょうか」

「……はい」


 黒井親子の表情は暗い。特に娘の祥子は一度も顔を上げることはなく、俯いたままだった。秀一も流石に神妙な面持ちになっている。


(……こんな顔でいいんかな? お金欲しい)


 内心は最悪だったが。心的防衛機制によるものか、本心からお金のことしか考えてないのかは不明だが、一行を乗せた車はすぐに学校へと辿り着き、一行は学校に着くなり応接間に通される。


「少々お待ちください。すぐに西田校長と田岸教員が参りますので」

「はい」


 事務員はそう言うと速やかに退室して関係者を呼びに行った。その後の室内は無言だ。その沈黙を破るように扉が開かれる。それと同時に教員側が頭を下げた。


「「この度は申し訳ございません!」」


(……あれ? もっとゴネるかと思ってたらすんなり行ったなぁ)


 非を認めない印象のあった学校側の第一声は謝罪だった。そんな二人を座ったまま一瞥した彰は一先ず着席を促す。


「さて……今回は田岸さんの不同意性交に関するお話で来ましたが……まず、最初に断っておきます。今からの会話は録音させていただきますがよろしいでしょうか?」

「はい……」


 借りて来た猫の様に大人しい西田校長。田岸は状況をつかめないが、取り敢えず彼に倣って頷いておく。


「では。まず田岸さん。あなたは教員でありながら生徒である黒井祥子さんと性行為を行ったことを認めますか?」

「……はい」


 これは認めざるを得ない。動画まで送っておいて否定することなど不可能だ。田岸は送信してすぐに消したとはいえ、興奮のあまりにリスクを考えない頭の悪いことをしたと今更ながら自覚した。


「行為に至る際、あなたは教師としての立場を使って彼女を脅迫したことも認めますか?」

「そ、それは……」


 ちらりと祥子の方を見る田岸。彼女は俯いたまま何も言わないようだ。これ幸いと田岸は内心で笑いながら俯いて小さな声でぼそぼそと言った。


「……黙秘します」

「祥子さん、彼はそう言っていますがどうですか?」


 彰に指名されて身体を震わせる祥子。しかし、やがて口を開く。口を開いてからは饒舌だった。いかに自分が悪くないかを語り始め、田岸と激しく対立する。


(全く、醜い争いだなぁ……いいぞ、もっとやれ)


 田岸と幼馴染の舌戦を呑気に観戦する秀一。だがしかし、祥子の話の矛先が自分に向かったのはいただけなかった。あろうことか祥子は自分に隙が出来た原因の一端は秀一の無関心にあると言い始めたのだ。


「秀ちゃんだって、私より受験のこと取ったじゃない! 秀ちゃんが私のことちゃんと見てくれてたらこんな人に……」


 震えながら涙目でそう宣う幼馴染を見て秀一は何とも言えない気分にさせられる。


(当たり前だろ……人生の長さと生涯年収の話をどう考えてるんだこいつ。馬鹿か? 誰だこいつのことを才色兼備とか言った奴は)


 話を途中から聞き流していた秀一だったが、何とか言ってよという祥子の叫び声を受けて我に返る。何とか言ってほしいと言うが、ここでお金欲しい等と言ったら顰蹙を買うことは間違いないので耳障りのいい言葉を吐くことにした。


「確かに、受験期に入って会うのが減ったのは事実だよ。でも、困ったことがあったのなら相談してくれよ……!」

「相談したかった! でも! 秀ちゃんの邪魔になったらいけないって!」

「……少し、興奮し過ぎてますね。一度休憩を挟みましょう。録音を一度止めます」


 応接室の外にまで聞こえそうな声で叫び始めた証拠を前にして彰は冷静にそう宣言して録音を止めた。そして田岸に告げる。


「で、本音を話しましょうか。田岸先生。このまま話を進めると禁固以上の刑は確定ですね。つまり、教員免許剥奪になると思います。現在、わいせつ教員への復職制限の検討が実施されており、今後は再取得も難しくなっていくと思いますが……示談を目指さなくていいんですか?」

「……え?」

「た、田岸先生。ここは、ね? ね?」


 西田校長が田岸を誘導する。それで田岸の腹は決まった。黒井家は色々と言いたいことがあったが、娘の支離滅裂な言動を見ていると黙らざるを得ない。


「じ、示談で済ませていただけるのでしたら……」

「まぁ、五百万で手を打ちましょう」

「ご、五百……?」

「今後のことを考えるとお支払いいただいた方が賢明かと思いますが?」


 五百万円という金額は不同意性交罪における一般的な上限に近しい額だ。法外とは言えない金額だが相当な額。しかし、田岸にとって払えない金額ではない。


「今言ったことをよく考えた上で今からの話を受けるようにして下さい。では、再び録音を開始します」


 その後、彰の手腕によって対学校との話はまとめ上げられた。田岸から五百万円の支払いが黒井家へ行われる代わりに不起訴処分で示談に応じることになる。


 ただ、それに納得していない人物がいた。


 祥子だ。彼女は支離滅裂な言動を行っておきながら、自身が悲劇のヒロインであることを信じて疑わずに両親にも色々と隠し通していると思っていた。そのため、田岸にもっと苦しんでもらわなければ気が済まなかったのだ。


「五百万って……私は傷つけられて秀ちゃんと別れなきゃいけなくなったのに、先生はそれだけなんておかしいよ!」

「……じゃあどうすれば祥子は納得するんだ?」

「秀ちゃんも私のこと許してくれなきゃ嫌」

「無理だろ……」


 思わず秀一の本心からこぼれた言葉。お金貰ってもそれは嫌だった。しかし、その一言に祥子は激しく反応した。


「無理じゃないもん! 私にも悪いところはあったけど、秀ちゃんだって……」

「でも、お前は俺より田岸の方が好きで別れて欲しいんだろ?」

「そんなこと……」

「ん」


 秀一は彰にも見せた三つ目の動画を再生する。それを見て祥子は目を見開いた。


「う、うそ……田岸先生ここまで撮ってたの……? しかも、送って……」

「まぁこれは当然侮辱罪に当たりますよ。黒井祥子さん」

「う……ち、違っ、私、そんなつもりじゃ……」


 彰からの一言に狼狽する祥子。対する秀一は冷静だった。


「じゃあどんなつもりで言ったんだよ」

「う、うぁぁぁぁああぁぁ……」

「泣きたいのはこっちだよ……」


 泣き出す祥子に対し、秀一は溜息を吐いて目元を隠す。別に泣いている訳ではないが、傷付いているというアピールのためだ。


 そのはず、だったのだが。


(何か本当に泣けて来たな……これでこいつとの恋人関係、いや……幼馴染としての関係も終わりなんだな……)


 本当に目頭が熱くなってきた秀一。その様子を見ていた彰はこれまで秀一の感情を堰き止めていたダムが決壊しそうだと判断してこの場の収拾を図るのだった。


 その日の夜。秀一は虚しさから泣いた。


 そして夜が明ける。




「……結局、侮辱罪の慰謝料で十万か。祥子が五百万貰ってたのに比べて、こっちはしけてるなぁ」


 彰の働きによって上限額きっちり頂いた秀一だったが、気は晴れない。田岸は謹慎の後、職場を変えるそうだ。祥子の方は自宅待機の間にこの後のことを決めるということだ。関係者の内、一人学校に来ていることになる秀一だったが、これだけは確認しておかなければならないと人気のない場所を歩いていた。


「なぁ、いるんだろ? 千尋」

「えぇ。あなたの傍に」

「うわっ……」


 思っていたより至近距離に現れた幼馴染に秀一は思わず飛びのいてしまう。そんな彼を見て深窓の令嬢のような麗しき美少女は鈴の音を転がしたように笑う。当然秀一は不満を抱いた。


「お前なぁ……もうちょっと離れて出てきてくれよ。心臓に悪い」

「大好きですもの。仕方ありません」

「あぁもう……まぁいいよ」


 色々と言いたいことはあったが秀一はそれらを飲み込んで千尋に尋ねる。


「お前、やったな?」

「何のことでしょう?」

「祥子のことだよ。知らないとは言わせないぞ? 本人たちも知らない動画を送って来たのはお前だからな」


 秀一の詰問に対しても千尋は微笑みを浮かべるだけだ。笑顔のまま何も答えない。仕方ないので秀一は続ける。


「いつから知ってたんだ? どうして止めてやらなかったんだ? 答えてくれ」

「あの女が浮気性なのはずっと前から知ってました。止めなかったのは、今回止めたところで無駄だと思ったからです。あの女と違って私はちゃんと相談しましたよ? お義母様に」


 やはり、母親もグルだったか。秀一は天を仰いだ後に深く溜息を吐く。そんな彼に千尋はようやく笑顔以外の表情を見せた。彼女は星明りすらない真っ暗な夜の様な瞳で秀一に告げる。


「これで分かりましたよね? あなたには私しかいない、と。その辺の女なんて理由さえあれば簡単に浮気するんですよ。その点、私はあなたしか眼中にない。安全安心の優良物件ですよ」

「……俺のためならどんな過激なことにも手を染める危険で凶悪な事故物件の間違いじゃないか?」

「それで秀ちゃんに何の不都合が?」


(ガチでそう思ってるからお前はヤバいんだよ……はぁ、祥子を巻き込んで悪かったなぁ……おかげでまた一人友人を失った)


 こいつに目をつけられている時点で自分に他の選択肢はない。無理に選択肢を生み出した今回は祥子を傷つけただけだった。これ以上抵抗してもまた別の人を傷つけるだけだろう。秀一は観念した。


「……もう、ダメか」

「はい。もう選択肢はないですよ」


 泳がされただけで既定路線に戻された。他人のことを何とも思っていないヤンデレに二代続けて見初められるとは付いていない……いや、憑いているんじゃないだろうかと思いながら秀一は終点に辿り着いたのだった。





 

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恋愛迷宮 古人 @furukihito

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