12 また、あいつだ 片目の白髪

 ノーウェの事故?

 その聞き込み?

 今更、という感がぬぐえない。


 ミリッサはそう思ったが、ルリイアの肩をポンと叩いた。

「どう、調子は。仕事、順調か?」


 ルリイアは元サークルメンバー。今春の卒業生である。

 競馬好きが高じてなのかどうか、JRAに就職して今はここ淀の競馬場にいる。


 緑色の制服制帽が初々しく見えるまだ新人。

 にもかかわらず、快活な性格が周囲に認めさせていているのか、ミリッサ達が競馬場に来るたびに顔を見せ、なにかと便宜まで図ってくれている。


「ご覧の通り、頑張ってますよ。先生、はい、これどうぞ」

 見ると、第十二レース地下馬道エスコート券だった。

「一枚だけだから、先生に」

「おっ、いいのか、もらって」

「集合時間が早くて、メインレース最後まで見れないんですけど、いいですか?」

「もちろん」


 この秋から京都競馬場が始めたファンサービスである。

 重賞レースの行われる日、第十二レース。

 パドックから返し馬までに通過する地下馬道で、馬の手綱の一端を持たせてくれるというものだ。

 大変な人気で、今のところ、関係者のコネでしか手に入らない。

 十六という大きな数字の横に、でかでかとルリイアの捺印がある。


「ええっ、先輩、すごすぎ!」

 フウカが目を輝かせる通り、年間に二十枚そこそこしかない黄金のチケット。

 ミリッサは、教え子であるルリイアが、社会人一年生の身でそれを手に入れることができる立場にあることが誇らしかった。



「十六ということは大外枠、ハイペリオンだって」

「知らない馬だね」

「知ってるよ。私のPOGだった子だから」

 などと、ジンとフウカがはしゃいでいる。

 その様子をルリイアが楽しそうに見ている。

「ごめんね。1枚しかないから」



 ルリイアが笑顔のままに、

「今日もいつも通りですか?」と、聞いてきた。

「そのつもり」

 全レース終了後のミーティング。

 ルリイアが借りている近くのマンションで集まるのが恒例。

 じゃ、また後で、と自分の持ち場に戻っていくルリイア。

 在学時には長いグリーン髪だったが、今は黒いおかっぱ頭にしている。

 その後姿を見送りながら、今更ながら、あの大学で、いい娘たちに恵まれているな、と思った。



 が、そんな気分に水を差された。

 また、あいつだ。

 すぐ後ろにいた。

 片目の白髪。

 こいつも、ミリッサの行動パターンと似た行動をしているだけなのかもしれないが、それでも何度も目が合うのは、気分のいいものではない。



 第六レースのパドックは集中できないまま終わりそうになっていた。

 もうジョッキーが跨っている。


「ダメだよ。フウカちゃん」

 と、近寄ってきた青年がいる。例の背広組。

「そう?」

「仕事中だぜ」

「恥ずかしい?」


 仕事中だと言いながら、恋人に声をかけてくる刑事はリオンと名乗った。

「ちょっとお伺いしたいことがあります」

「ん? なんでしょう?」

「三か月前になりますが、倭の国ワールドカップが開催された日、競馬場に来られていましたか?」

「ええ」



 あの日。

 忘れもしない。

 とんでもないことが目の前で起きた。



「あの日、ある女性が亡くなりました。ケイキの着ぐるみの女性。あの事故、ご存知でしょうか」

 教え子であり、サークルのメンバーだったノーウェ。

 ケイキの着ぐるみのまま、階段から落ちて死んだのだ。

 すぐそこに見えているあの階段で。


 リオンという刑事が最初に声をかけたのが自分だったことには、意味があるのか。

 フウカがクスクス笑っている。

 思わずミリッサはブスリとした。



「ええ」

「その時のことをお聞き……」

「ちょっと待ってください」

「はい?」

「その日のうちに、警察には十分話しましたが、まだ何か?」

 あっ、という顔をして刑事は、恋人の顔を見た。


「リオン君、知らないかもしれないけど、競馬サークルの先生」

 刑事は、また、あっという顔をして、ぺこりと頭を下げた。

「失礼しました」



 記憶力の乏しいこの男に、刑事が勤まるのか、とミリッサは思ったが、気を取り直して言った。

「何か新しい動きでもあるんでしょうか。事故という結論でしたが」


 刑事は恐縮して、ただでさえ小さな体を縮こめていたが、またフウカに顔を向けた。

 しっかりしろと、喝を入れてやりたくなる。

 が、恋人の顔を見て元気が出たのか、

「再調査をすることになりまして」と、愛想笑いを浮かべた。


 後ろにいる片目の白髪老人にでも聞けばどうか。そう言ってやろう。

 だが、振り返ると、もうあの男の姿はなかった。

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