第23話 徴候
時刻は……何度も見てる、十七時五十五分。
空が闇に覆われていく代わりに、街の外灯は目を覚まし始める、そんな頃。
男は手首をチラチラと気にしながら、待ち人をまだかまだかと待っていた。
「おまたせ」
そっけないような、味気ないような。
呟くような一声がすると男の表情はバーッと明るくなる。
「待ってないよ、ちょうどいま来たところだよ、ナヤカ」
男は鼻と頬をほんのりと赤くさせながら、平然とした顔つきで常套句を口にする。
口から吐く白い息がわざとらしく見えるほどに、身体は震えていた。
「それじゃあ、中に入ろうか」
どうしてか呆然とするナヤカに宅浪は手を引くように目の前に建物に入っていく。
待ち合わせ場所は駅前のスーパー。二人で買い物をする予定を約束していた。
買い物が終わると、宅浪とナヤカは寒さから逃げるように早歩きで帰路に着く。
食材の入った一つの袋を真ん中に挟みながら、二つある取っ手を片方ずつ二人で持つ。
ナヤカの肩にかからないくらいの髪が風になびく程度のやさしい風の強さになったとき、悪寒を真っ先に感じているであろう足元を俯きながら、ナヤカは話題を出した。
「寒波がやっと来たんだって。先生が言ってたよ」
「へぇ……どおりで。そろそろコタツの時期だな」
宅浪が横目でチラリと下の方に目線を寄越すと、即座に強烈な視線を感じる。
すっかり制服を着こなす女子中学生は膝にまで満たない短いスカートの裾を片方の手で何気なく抑えた後、親族でもない成人男性を咎めることはせずに話を続ける。
「作り方、知ってるの? わたしは知らないけど」
「安心しろ。省エネニートが毎年作れるくらいには楽だから」
「なら、わたしが初見プレイでも大丈夫そうだね」
「なんだそれ。ナヤカの場合、大体が初見プレイだろ」
「人間も同じだよ。現にこうして不自由なく生活できてるわたしがいる」
どこか誇りげに語るナヤカは、自らのスペックの高さを誇示するように見えた。
蚊人としてのスペックと、人間としての身体のスペックを自覚しているようにも。
「覚えが早いよな、蚊人は」
「そうだね。次の期末も大丈夫そう」
「中間は凄かったからな。期待してるぞ」
大した準備期間もなかったというのに、学年上位十人に入るくらいは優秀なのだ。
そう馬鹿にできるものではない、そこは素直に認めよう。
「ご褒美は……なにかある?」
「あー。考えとくよ、簡単なもので」
「期待してる」
「脊髄反射で返すな」
冗談にならないくらい金欠だから、勘弁してほしい。
ただでさえ、今は立て込んでるというのに。
「それはそうと、何か異常に思ったこととかあったら教えろよ」
宅浪は平然とした口ぶりでいつも通りに台詞を吐く。
逐一自分の身に起きた変化を報告すること。
それが社会に出る代わりに、宅浪とナヤカが設けた約束の一つであった。
「あるよ……。一つ」
ナヤカは回していた足を途端に止めて、神妙な面持ちで宅浪に向く。
まさか、ここで分かるのか……? 俺たちが知らない新たな事実が――。
「給食のご飯がわかめご飯だった」
肩透かしを食らったように宅浪は身体を前へのけぞる。
「ぅああ~……あれな。美味しいよな。特別感あって」
「しゃもじでご飯を混ぜようとしたら、ふりかけがあるって言ってきて……」
「後から投入するやつだからな」
「そう! だから……混ぜるのが難しかった」
ナヤカは同意の声を挙げると、硬かった顔が徐々に柔らかみを持ち始める。
けれど、そこには決して成功だけの顔とはいえない、色もあるように見えた。
「えーっと、ふりかけが偏るとしょっぱかったり薄かったりしてな……」
「そう! 皆が言うにはイベントごとが近くなると、出てくる特別なメニューみたい」
「それは初耳だ。意識したことなかったかもな……」
ナヤカは共感が嬉しかったのか、頬を緩ませて、今日一楽しそうな顔を見せた。
とにかく懐かしい情報ってだけみたいだ。
まあ、そんな簡単に分かるわけないよな……解決の糸口なんて。
「他にはなにかあるか?」
「後は……宅浪と一緒にいたい」
「……え?」
今度は横目ではなく、顔を振り向いてナヤカの方を真正面から覗く。
ナヤカは唇を甘く噛みながら、目は合わないまま目線を泳がせる。
白い息にかかった彼女の吐息からは、紅潮しきった耳が寒さを表していた。
「答えは……?」
しばらくの沈黙の後、ナヤカは振り絞るように一世一代の催促をする。
宅浪も同じく白い息を吐きながら、唾を飲んだ。
「俺も一緒にいたい」
誓った約束を、この願いを叶えるため。
宅浪はこみ上げる思いを胸に、力強くハッキリと宣言するように吐く。
「でも……」
「でも?」
一つの言葉も聞き逃さないような真摯な瞳で見つめるナヤカ。
そして、次の一歩を踏み出さずにはいられなくなる。
「さき、帰ってて! 俺やること思い出した~!」
宅浪は手でチョップのポーズを作ると走る勢いのまま、平謝りしてその場を後にした。
片方ずつ握っていた袋の取っ手は片方だけ抜け落ちて、そのまま地面に落ちた。
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