第18話 名残
「大丈夫か?」
「……何が」
再会してから十分程度の沈黙を破って口火を切った宅浪に、自称妹は横顔に見せていた我関せずという顔と同じ、冷たい様相を呈していた。
それは沈みゆく夕陽に照らされた5歳児に、謎の圧力を感じるほど。
「え、いや……鼻血。あの後、保健室に行ってたみたいだったから」
宅浪はその自称妹の未だに両の鼻に刺されたネジのように長いティッシュを指す。
「地面に鼻を擦りつけた挙句興奮しただけ。大したことじゃない」
呟くように吐いた言葉は両の鼻が詰まっているからか、高い声色が耳に通った。
口調は真剣なのに声のせいでどこか笑いを取ろうとしているようにも思える。
「俺が知る幼稚園の運動会ってそんな荒々しくないはずなんだけどな……」
「荒々しかった?」
「まぁ……」
「カッコよかった?」
「俺に聞かれても」
「必死に……なりすぎてた?」
純粋な疑問を一つ一つ解いていくようにナヤカが尋ねる。
主語を省いたその質問たちにどんな意図が含まれているか俺は見当もつかないけど。
「一般的な幼稚園の運動会ではなかったかもな」
純粋な疑問の返答として率直な意見を述べた。
あの本気度合いは懐かしさを彷彿とさせるもので、比較的記憶に新しい光景。
喧騒が鳴りやまない校庭を傍から眺め、彼らは全力で目標達成を目指す、その青い姿。
十年前だから新しくはないかもしれないけど。
「真剣にやらない輩は勝負に勝つ資格はない。賛美を受けたのは誰だった?」
「黄色チームだったな」
「…………」
ナヤカ率いる赤チームはペア競技の劇的な勝利あってか一時は勢いづき、ポイント差で優位に立っていた黄色チームを逆転したものの、最終的には黄色チームに粘り勝ちされてしまった。
結果発表の時の俯くナヤカといったら……それはもう、一人を除いて誰も近寄ろうとはしないほどの憎悪を滲み出していた。
「……あ、あんな、ヤクにもなるような大イベントで羽目を外さない方がおかしい」
「最初は病欠使って休もうとしてたのに?」
「それは……結果的に気の迷いだった」
ナヤカはすんなりと自らの過ちを認めた。
「自分の非を認めるんだ」
意外だった。
宅浪にとってこの二人は種族の性としてプライドが高いものだと思っていたから。
「わたしは認める。だれかさんみたいに融通の利かない女じゃないから」
「融通の利かない女はブスだって?」
「次言ったら冗談とは認めない」
「だれか、は指してないじゃん……」
訂正。
プライドは相変わらず高いらしい。
「今日は初めて、ばっかりだったから」
「やっぱり俺の助言に従ってよかっただろ? 初めてって、例えばどんなことだ?」
「運動会も仲直りも……お弁当も」
あ……
その若干だけど、確実に分かる微妙な間に宅浪はすかさずカバーを入れる。
「あ、お弁当悪かったな~。ちょうどお腹こわしちゃって……」
けど、その行為は傍からすれば自分自身で非を認めているということで。
「そんな言い訳で通用するとは思わないで」
「ですよね~」
ナヤカは怒っていた。社会から逃げ、弁当を食べなかった宅浪に。
そして簡単にはその八の字になった眉を元には戻してくれそうになかった。
地雷原を交わし続けてた宅浪は結局のところ、墓穴を掘って話の展開を進めてしまう。
「逃げた」
「逃げてない。トイレの住人になってただけだ」
「それを逃げたと言う。排泄物の説明を事細かくしてくれたら考慮の段階に入る」
「そんな汚い説明できるか!」
そういう下品な質問は年相応だけど、ナヤカの場合は皮を被ってるのが問題だ。
……表現に他意はないぞ? 俺も考えた後に気付いたから。
「汚い説明はできなくとも、あの場にいなかった説明くらいはできなくちゃ困る」
「困ることはないだろ、俺がいなくて不都合でもあったか?」
「予定に狂いが生じたのは事実」
「飯の予定か? でも、一人ではなかったのなら……」
「三人分を食べるのは難儀だった」
人数の部分を強調して言う。
「……呼ばなかったのか。いくらでも食いそうな奴を」
「…………」
沈黙するナヤカはじっと宅浪を見つめる、というより睨みつける。
『そういう問題ではない』と目で訴えかけてきているようだ。
「そ、そういえばその奴は? あいつ、どっか道草食ってなきゃいいけど……」
「彼女は関係ない。いま、わたしは貴方に尋ねてる」
ナヤカは、馬鹿みたいに真剣な表情をしていた。
その真摯さが俺以外の人間に転がれば、一つの国でも救えそうと思えるくらい。
瞳の奥から覗いた厄介で鬱陶しい光が宅浪を一心に見据えていた。
「俺にそんな眼を向ける厄介者がまだいたとはな……」
「光を充てられるのは嫌?」
「そんなの、嫌に決まってる。俺みたいな奴は陰で鳴りを潜めてるのがお似合いだ」
根底にあるものは変わらない、これまでも、きっとこれからも。
「自らを追い詰めるのは勝手なエゴ」
「事実だろ」
「少なくとも、目の前にいる擦り寄り妹はちがうよ」
「擦り寄りって、それは認めるんだ」
なら、それが証拠じゃないか。
俺は誰からも必要とされていない、ただの役立たずで。
エゴじゃない、自分は責められるべきどうしようもない社会不適合者だって。
間接的にはそう言ってるじゃないか……。
「今日のわたしはわたしじゃないみたいなんだ」
「……いきなり何の話だよ」
「世界が煌びやかに輝いて見えて、今まで見えていたのは窓の内側から傍観していただけで、今は何かが解放されたみたいに鮮明に世界が見えるんだよ。美しく、見える」
「そりゃなんでもできる人間と血しか吸わない蚊に比べたら幸福度は違う」
「そんなデリカシーもない、リスペクトもないことを平気で言う奴への擦り寄りだった」
「そりゃ悪かったな」
「無茶なことをするわたしたちの隊長を説得するための擦り寄りのはず……だった」
ナヤカの声色が少しだけ落ち着いた。
「やっぱり、お前はアイツのことしか頭にないんだな」
「そう。わたしにはそれしかなかった。それしかないと思いこんでいた」
「群れを離れて一ヶ月探し回るくらいだもんな」
「だから、初めての友達と話せなくなった時は悲しかった」
「え?」
「初めての友達と目的をやり遂げた後のご飯は美味しかった」
「そんな感情、お前には……」
「すごく楽しかった、すごく嬉しかった、なにより……感謝、したよ」
ないだろ、って軽口を叩こうとしていた。
「…………」
受け入れられなかった。
眼前にいる少女があまりに嬉しそうに微笑むから。
こいつにとって、感情は値打ちのない世渡り論だったはずだったから。
「たしかに、わたしは誰かさんの後ろを付き纏う厄介者だったかもしれない」
「厄介者……」
俺とナヤカの密かな共通点。けれど、絶対に明かすことはなかった共通点。
「だけど、それを変えたのは貴方だよ。宅浪」
そして、俺が消してしまった共通点。
「俺はただ……」
「わたしは見てしまった。知ってしまった。後戻りできない大きな理由を」
「…………」
一つの可能性に気付いてしまった。
いいや、今まで俺は気付かないふりをしていた。
「どうして、こんなこと……教えちゃったかな?」
俺がしようとしていたことはもっと醜いもので、
自分の非を認めさせるものだった。
「……そんな嬉しそうに言われても説得力ない……」
だから、その向けられたことのない温かい視線が妙に痛く感じられた。
誰かさんだったら、そんな嬉しい気持ちにもケチをつけてきそうだ。
誰かさん……なら……?
「ね、お兄ちゃん」
「……なんだよ」
「わたしをここに連れてきた目的も教えてくれないかな?」
「単なる暇つぶしだよ。妹がどんなふうに現実に馴染んでいくかの観察」
「……ニートって暇なんだね」
「そうだ。だから、俺は……ニートなんだよ」
恍惚の表情を浮かべながら、尋ねる姿は俺の不名誉な自負を鈍らせるには十分だった。
「ね、宅浪」
「……なんだよ」
お兄ちゃんと呼べよ。
「こんな日がずっと続けばいいって……」
「フラグ立てるな、フラグ!」
一人で逝くならまだしも俺を巻き込むな、俺を。
「もし、元の姿に戻ることができたら……」
「それは……フラグじゃないな」
「いい?」
「……できたら?」
「この深く刻まれた想いをもっと貴方に伝えることができるのに。って心から思うよ」
「………………刺されるのはもうこりごりだよ」
帰り道、夏も終わりだというのに。
大人の方の手が汗ばんできて、若干の不快感を覚えながらも。
俺にできた一人の妹は、家に着くまで俺の側から離れようとしなかった。
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