第17話 友達


「さあて、次は……なんと急遽当日参加になったペアの紹介となります。みなさん盛大な拍手でお迎えください!」


 調子に乗ったアナウンスの声が耳に届いて、先生に合図を促される。

 数日前、家主に見せられたあの光景に似ている。


「大丈夫?」


 画面越しで見たあの歪な光景。


「ゆ、由里は平気だし……ただのペア競技でしょ」


 大喝采の中、壇上に上がっていく二人の演者。


「そうだね、ただのペア競技……わたしも落ち着いてきたよ」


 一人は主人公で一人はヒロインで。


「……緊張なんか全然なくせに」


 二人は仮面を被って劇を演じる――。


「「…………っ」」


 繋がれた右手と左手がビクッと反応をして、二人して呆気にとられる。

 その群衆の数と立ってみなければ味わうことのできない緊迫感。


「5歳クラスの星石ナヤカちゃんと赤羽由里ちゃんでーす!」


 ナヤカはこれまでの人生においても、初めての感情を抱いている自負があった。


「では、出場条件を満たしているか二人に確認してみましょう」

「え、出場条件? 由里そんなの聞いてないけど」


 言ってないからね。


「今回のペア競技では仲良しがテーマです。まず、出場する二人に聞いてみましょう」


 すると脇にスタンバっていたマイクを持った人間がこちらに駆け寄ってくる。

 マイクを口元に寄せられた時にはすでに群衆がその言葉に耳を立てていた。


「わたしは由里ちゃんと友達です、これからもずっと仲良くしていきたいです」


 素直な気持ちだった。


 最初からこういう場を作って言わせればよかったと頬を赤らめる由里を見て思う。


「ゆ、由里もっ……ナヤカちゃんとずっとお友達がいいです……!」


 拍手と声援と歓喜が校庭を湧かすように轟かせた。


「はぁーい、ありがとうございます。二人仲良さそうで微笑ましいですねぇ~」


 なんて恥ずかしい真似を思いつくのやら。これ以上ないだろう。


「では、二人の親御さんにも仲良しであるか確かめましょう。親御さーん!」




「「二人はズッ友ですッ!」」




 これ以上があった。


 宅浪と一人の女性は一つのマイクを中心に置いて感極まった様子で、呼吸を合わせた。

 社会不適合者と言われてた家主が染まりに染まってる……。


「はぁーい。ありがとうございまーす。では二人は準備の方をお願いしまーす」


 期待……されている。




『ええ~? みきちゃんとゆかちゃんがいなくなった?』

『あっ。えっと……はい、これ』

『どうするのよ。休憩終わったらすぐに二人組競技始まるのよ?』

『ナヤカ。え、なんだこれ……タオルと水?』

『今から二人集めるって……あの競技は仲良しをテーマにした二人組競技なのに……』

『家主から。渡せと言われたものは渡したから』

『そんな急に仲良し二人組を見つけられるわけ……』

『先生、私はナヤカさんを推薦します』


 さんを付けるにはあまりに親しみのある人間が名乗りを上げた。


『双子で出てくれるの⁉ なら助かったわ、じゃあすぐに準備を……』

『私とナヤカさんではありません。ナヤカさんには唯一無二の友人がいますから』




「ナヤカちゃん、ナヤカちゃん」

「……あ、ごめん。どうかした?」


 呆然としていたナヤカは足下に視線を寄越す。


「これ、本当にやるの?」


 膝をついて上目遣いで訊く由里は不安そうな顔でこちらを見つめていた。


「ああ、どんなことがあっても解かれないように結んでくれ」

「……分かった、由里、転ばないように気を付ける」

「安心していい。転ぶときはたぶん、一緒」

「だよね……」


 由里の右足とナヤカの左足が内側でがっちりと紐で縛られる。


 一心同体、二人三脚の完成だ。


 この競技はケンケンパをして輪っかをくぐるだけではなく、二人三脚をした状態で軸足となる共通の輪っかを片足でくぐりながらもう片足で外側の輪っかをくぐるというもの。


 もちろん、競技のポイントに加算されるのは先着した順位。

 どこまで息を合わせて効率的に輪っかをくぐっていくかが課題になる。


「さて、そろそろ始めていきたいと思いまーす」


 能天気なアナウンスの声が校庭に響く。


「そろそろ、始まるよ」

「最初の一歩目はどうすればいい? 由里、最初の一歩目が肝心だと思うんだけど」


 由里はどこか焦るような逡巡した様子で果敢に訊いてくる。


「え、一歩目? 軸足からの方がいいと思うけど」

「5」


 カウントダウンが始まった。


「それはそうだけど、大股で飛ぶのか小股で飛ぶのかとか……」

「4」

「不安なら小股にしよう」

「3」

「じゃあじゃあ、二歩目は? 由里、二歩目も大事だと思ってて……」

「2」

「いや、二歩目のことなんかいま考えなくても……」

「1」

「いま、考えないとダメ。だって由里――」

「0」

「分かったから、わたしに合わせて」


 跳ぶ。


 わたしたちは反射的ながらもスターターの発砲とともに始発駅を難なく出発した。

 遅延時間は……周りを見渡す限りほぼない、危惧していたにしては良いスタートだ。


「つぎっ」


 ナヤカが叫んでタイミングを促す。

 二駅目はそのまま直進、呼吸を合わせてナヤカの掛け声とともに円に停車。


「で、できた」

「つぎっ」


 由里の安堵の声に付き合う暇もないまま次の掛け声を出す。

 三駅目は遂に来た路線変更。縛られた軸足は浮かせたまま、片足だけで互いの目の前にある円に停車しなければならない。


 タイミング一つミスれば転倒事故も起こり得る一つのターニングポイントだけど……


「……っ、よし……」


 軸足で土を蹴り、もう片足を円内に着地させる。二人を縛る紐が足首に若干の食い込みを伴ったが、どうにかバランスを保ちながら着地することに成功した。

 これには思わず手で握りこぶしを作りたくなるけど、どうにか抑えて隣接電車を覗く。


「行けそう?」

「あし……いたい」


 パートナーは眉をひそませ、あからさまな苦い顔をしながら軸足の足首を見つめた。


「あと3分の2だから……いくよ?」

「うん……」


 ここからは三駅連続の並列運転。

 軸足よりかはタイミングが計りやすい、縛られていない方の片足の運転。


「つぎっ」


 ナヤカの掛け声に合わせて、パ。

 慣れてきて呼吸が合うようになってきた、身体はまだ少しだけ揺れる。


「つぎっ」


 パ。


 軸足に意識を割いているわたしは半分よそ見運転状態だ。


「つぎっ」


 パ。


 最後のよそ見運転。

 危なげなく片足を輪に乗せ、それを最後に宙ぶらりんの片足に集中力を乗せる。


 この後は路線変更を連鎖的にしなければならないコース、ケン、パ、ケン、パ、ケン。

 交互に行うためリズムは合わせやすくなるが、その分軸足への負担はさらにかかる。


 覚悟を決めなければならない。


「やめる?」


 ナヤカは由里の俯く顔を覗くように見つめる。


「あと少しだから……大丈夫」


 由里の呼吸はどことなく荒かった。

 足を浮かしていても、わたしたちを結ぶ紐は締め付けるのをやめることはなかった。


 足首に赤く紐の形が示されているのが目に見えて分かる。


『どんなことがあっても解かないように……』


 あんなことを言ってしまったわたしの責任、強要はできない。


「無理しなければゴールはできる。ゴールすらできなくなるくらいなら……」

「ナヤカちゃん!」


 ハッと渇を入れるみたいな呼び声。

 由里の決心ともいえる力強い名前の呼びかけに、ナヤカは反射的に掛け声を放った。


「つぎっ」


 ケン。


 三度目の同じ線路走行。

 力を抜いていた軸足に紐が食い込んで、痛みを伴った。


 けれど、いちいち痛がっていたら由里の覚悟が水泡に帰す。ナヤカはすぐに声を張る。


「つぎっ」


 パ。


 二度目の列車並走。

 これまでとは明らかに違う身体の寄せ方、重心を軸足に寄せて片足を輪に乗せた。

 だが、ナヤカの思惑はバランスを外側に崩しそうになった由里によって叶わない。

 ナヤカは慌てて由里の肩を左手で抑えこみ、自分の身体を密着させて平衡を保つ。


「……飛ぶよ?」

「うん」


 ナヤカは確認の合図だけして、声を張る。


 由里の意志は既に、闘志に満ち溢れた目に宿っていたから。


「つぎっ」


 ケン。


 肩に回ってきた腕に力が入り、ナヤカも引き寄せるように腕に力を入れて飛ぶ。

 ナヤカは横に一瞥だけやると息つく暇もなく、すぐに掛け声を出す。


「つぎっ」


 パ。


 前だけを見て、片足を外側に飛ばせる。

 ゴールが目の前、そしてそのゴールテープがまだ切られていないことを確認したから。


「つぎっ」


 ケン。


 目の色を変えたようにお互いのペースが上がって、足に食い込む紐に対する痛覚も麻痺しながら、視線はチラチラと横を見ながら、必死に前へ跳ぶ。


「つぎっ」


 最後の一歩は、掛け声なんかに全然合ってなくて。

 引きずられて、引き寄せて。


 そんな後半戦の繰り返しの反動か、ゴールテープを切った瞬間、身体は宙に浮いた。

 もちろん固く縛られた軸足の紐が健在な状態で。


「ゴール! 仲良しペア競技を制したのは星石ナヤカちゃんと赤羽由里ちゃんでーす!」


 瞬間、校庭中が世紀の接戦に湧いたように拍手が巻き起こった。


 無我夢中で走るその姿に感動をしたという、感情移入の激しい観衆も。

 我が子が勝利を勝ち取ったわけではないというのに、全力で祝福する観衆も。

 すべてを受け入れ、迎え入れてくれる――。


 現実味のない錯覚を起こしてしまうような、ナヤカにとっては充てられた光景だった。


「や、やったね……ナヤカちゃん!」


 下敷きにした友人の言葉に呆然としていたナヤカは意識を戻される。

 けれど、引き戻された現実はもっと現実味があり、自身の感情を揺さぶるもので。


「やった……やった!」


 ナヤカは地面に突っ伏しながら喜びを隠すことなく、感情を露わにした。


 数秒差だった右隣のペアよりゴールテープを早く切ったことに歓喜し、勝利を確信し、

 口に入ってきたザラザラした土の食感と、鉄臭い液体の味を美酒に錯覚した。


「これで赤組は断然有利になったね! やっぱりナヤカのおかげ――」

「こんなに、嬉しいことがあるなんて……」


 沸々と湧き出て溢れそうな感情が本物か確かめるように、言語化する。


「うん! うれしいねぇ~」

「嬉しい、嬉しい、嬉しい。何回言ったって足りない」


 何度も、何度も、言葉にして嚙みしめる。


「由里と、ナヤカちゃんのおかげで由里もうれしいよ!」

「……ありがとう、由里ちゃん」


 倒れていた身体を起こし、土に膝をついて礼を言う。

 健闘の喜びを共有するために右手を差し出し、左手でグッと握りこぶしを作った。


 ナヤカは、生涯経験したことのない嬉しさを握りこぶしに滲ませていた。


「あれ……ナヤカちゃん、血出てるよ?」


 友人は、差し出した握手に目もくれず、困惑の色を顔に写した。


 そう。


 ナヤカの口に土と流れてきた液体、それは美酒なんかではなく、


「……え、あ……」


 土で砂汚れが付いたハチマキの赤と同じ、赤。


 正解は出血の赤で、勲章の赤だ。

 鼻から絶え間なく流れ出る、勝利の鼻血である。


「興奮して体操服が赤色になる前に保健室いこっか」

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