第7話 狡猾
「……もういいか?」
「おい、あんま大きい声出すなよ」
家を出てから三十分。
俺とサヤカは、男子トイレの個室で密会を行っていた。
宅浪は扉に耳を寄せて外の様子を伺う。
外はこんな日に限って30度越えの猛暑日。
額に滲み、噴き出るように流れる汗が緊張感を促進させた。
「よし……行ったな。だけど小声で話せよ」
「……わかった」
サヤカの声質は声が通りやすく、小人の声量を感じさせないから細心の注意を払う必要があった。外出禁止を出した本人が連れ出したのだ。それなりの責任はある。
「外に連れ出したのはサヤカのためだ。だから、絶対に約束は破るな」
「分かっている」
「特に、他人には絶対に話しかけるな。収拾がつかなくなってからじゃ手遅れなんだ」
「もちろん、理解している」
サヤカはうんうんと首を大きく縦に振って、大げさに相槌を打った。
こいつ、本当に事の重大さを分かってるんだろうか。
「で、胸ポケットの居心地はどうだった? 深いのを選んだつもりだったが」
「生地と生地に挟まれて暑い」
サヤカの髪は乱れ、満身創痍といった具合にぼうっとした表情をしていた。
「だろうな。でも我慢できるレベルだよな?」
「浪人が我慢しろというなら、我慢してやる」
真紅が色褪せたような薄い黒の唇がそう吐く。
その表情からは呆れみたいなものしか映らなく、疲労は映らない。
「大丈夫か? 今日結構暑いけど」
「……問題ない。暑さには慣れてる」
そりゃま夏が盛んに働く時期だもんな、こいつにとっちゃ。
「じゃあ、説明するぞ。これを見てくれ」
宅浪が開いたのは携帯のメモアプリ。
「これは……?」
「俺が事前に調べたここ周辺の服屋だ。片手間に調べただけだから期待はするな」
内容はごく簡単なもので。
店の紹介文とその店が扱っている傾向やトレンドに適したものがあるかどうかを★評価でまとめ上げたものが記載されている。店舗数は両手で数えられるほどだが。
「ちなみにこの★評価は俺の自己採点だから参考程度にしろよ? 素人目線だからな」
「素人……? これが?」
「素人だろ。サヤカの言う社会不適合者が書いた素人のミニ記事だ」
これに費やした時間は一日。それもネットで調べたものを勝手に採点しただけのもの。
こんなものに価値があるかどうかは分からないが、あの日、サヤカの近くにいることを決断してしまった以上、最低限のことはするべきだと思ったのだ。こんな俺でも。
『今度、宅浪君と出かけたいな……なんてね』
こんな俺でも、評価してくれる人間がいたから、その代わりにって。
「…………」
サヤカは黙りこくりながら、その携帯画面を両手でスライドさせて閲覧する。
そう真剣に見られると恥ずかしいものだが、いまのところダメ出しはない……のか?
「スマホ、貸そうか?」
「い、いや結構。このデータをスクリーンショットして、私の端末に流しといてくれ」
「え、今日使うだけだからそんなことせんでも……」
「か、勘違いするな! 素人の代物に価値を与えるために、慈悲で言ってやっただけだ」
「お前……性格悪いな」
やっぱり、正反対だ。
※ ※ ※
夏は容赦なく、宅浪に降り注いできた。
水曜日。ただの平日にもかかわらず、ショッピングモールの中は人でいっぱいだった。
嫌な理由の二つはそれだ。暑いことと、人が密集していて気分が悪いこと。
そして、もう一つはデート相手の機嫌が悪いこと。
「なあ、これだけの店を回ったんだ。もういいだろ?」
人混みの中、宅浪は携帯電話を耳元に寄せ、電話していることを装い、話しかける。
この常套手段も使い慣れたもので、バレるかもという危機感は微塵もなくなっていた。
「…………」
「あ、近くにアイスも売ってるな。アイス食って帰らないか?」
「…………」
だが、いつまで経っても胸ポケットから返答は来ない。
まあ、原因は明確で、俺からしたら当然のことで腹を立てているらしかった。
「私のサイズが合うまでだ。それまで帰ることは許さない」
それは、自分の身体に合うサイズの服がないということ。
「だから、この世界にサヤカと同じサイズの人間なんていないんだよ」
サヤカは店を巡るたびにどんどんと不機嫌ゲージを募らせていった。
ゲームで言ったら、たぶん無双ゲージ三本分くらいはありそうだ。
「それなら、私用に作れと頼むだけだ」
いずれにしても、トイレで話した一時間前とは乖離した機嫌っぷりになっていた。
さっきから顔すらろくに見せずにあれこれ指示してくるざまだ。
「俺に、服を作るスペシャリストと伝手があればできたかもな」
「……浪人はこの事態を想定していたのか?」
「想定していたな。だけど、それでいいかって思って……」
「貴公。それは侮辱と捉えても……」
「お、着いたぞ」
と、そうこう言っているうちに次の店に辿り着く。
店はガラス張りされた外見で、多数のマネキンがガラス越しに服を紹介していた。
見たところ、若者世代のトレンドに適した明るい色基調の服が多い店みたいだ。
こういう店に俺が一人で入るってのもどうかと思うんだよな……そもそもの話。
「また、店をぐるっと一周すれば満足か?」
「……店員にも聞いてみろ」
サヤカの声色はより険悪的なものになっている気がした。
さっきの暴言キャンセルが効いてそうだ。
「ボソッとレベルの高いことを要求してくるな! とりあえず回るからな」
宅浪は一列、また一列と店内をぐるぐる歩き始める。
サヤカを満足させるためとはいえ、店内を歩き回ると結構な確率で話しかけられる。
そのリスクを背負いながら、回っていることをサヤカには分かってもらいたいね。
普段、家に引きこもっている人間が他人と話すことの大変さを。
「もう少し、ゆっくり歩いて。早足になってる」
「勝手言うな。俺はいつだって平均ラップの男だ」
あと、何列。そう数えているうちに早足になるのは俺の気持ちが先行しているだけだ。
歩いても絶えることなく続くこの服の道。右と左の両隣に見える服の大群に、サヤカはいまだ、胸ポケットから顔を出さないギリギリのところで目を光らせていた。
この店を回り終えたら、サヤカは観念してくれるだろうか……。
――いいや、考えにくい。
完全至上主義の彼女なら納得の答えが得られるまで行動し続けるはずだ。
例えば、そう……さっき言った冗談みたいなことをしでかす可能性だって全然、
「なにかお探しですか?」
次の廊下に行く寸前、女性店員が眉を上げながら、尋ねてきた。
やはり、来てしまった……店員の呼びかけ。
本日七回目。こんなに初対面の人間と話したのは大学の新歓コンパ以来だろうな。
「いえ、すみませ~ん。なんでもなくて……」
「小人用の服はありますかっ!」
宅浪が本日七度目の理由もない断りを入れている最中だった。
宅浪の胸ポケットから発せられた、一部を除いてごく自然の質問が店内に響いたのは。
「えっと、小人っていうのは……」
予想し、危惧していた事態は、こうやっていとも簡単に起こってしまう。
「お人形さんのことですか?」
だが。
「えっ……?」
宅浪の怒涛の言い訳タイムは女性店員もといお姉さんの一言によって、閉ざされた。
「本日、このショッピングモール全体でフェアをしているんですよ。夏休みフェアで」
「夏休み……フェア?」
店員さんの態度が急激に変わり、意欲的になった。
店員さんはまるで商売相手を見つけたような、そんな鬼気迫った勧誘をした。
狼狽する宅浪に構う暇なく、店員さんは説明を続ける。
「はい! 電話相手のお子さんもそのことを言ってるんじゃないかなって」
店員は宅浪が右手に持った携帯を指差した。なんだ勘違いしてくれたのか。
「電話相手……? ああ、実は……」
「フェアの一環で行っている競技に優勝すると、なんとドールハウスがもらえちゃうんです。電話相手のお子さんもたぶん、そのことを言ってるんじゃないかな~?」
店員さんは宅浪の言い分を遮ると、ブレーキをかけることなく、チラシを見せてきた。
くしゃっとしたチラシを取り出し広げると、そこにはショッピングモールの位置関係を表すマップが記載されており、店員さんは力強く上の方を指差した。
「場所はホール二階。時間は十四時。絶対参加してくださいね! お義兄さん!」
※ ※ ※
店を出た後、宅浪はエスカレーターを待つ余裕もなかった。
宅浪は左側に陳列された人をよけながら、誰も並んでいない右側を突き進む。
「…………ん」
次第に、胸ポケットから名前を繰り返し呼ぶ声が聞こえ始めた。
テレビの最小からどんどんと音量を大きくしていくような、慎重的な音量調節で。
「浪人」
「話しかけるなって言っただろ」
はっきりと聞こえた瞬間、サヤカの呼びかけに宅浪は冷たくそう言い放った。
視線を下に寄越すと不満そうな膨れ顔が映った。
「ならば、いつだったらいい?」
「家に帰るまでだ。約束を破る奴とは口を聞きたくない」
食い気味にしたサヤカに、宅浪はまた食い気味に反抗心を見せる。
何を言っても無駄だとサヤカとの距離に一線を敷いて、牽制する。
突き放すような言葉と、蔑むような目線で、何を言っても無駄だと訴えた。
ここで悔い改めるようなら、考えないことはない。
そんな意味も込めながら……
「ホール二階には行かないのか……」
サヤカのポツリと口にした自分勝手な一言に、プチッと何かが切れる音がした。
宅浪は携帯を耳元に寄せた。
「サヤカは、店内に響き渡るような大きな声を出した」
「出した。だが、それは電話だと誤魔化せた」
サヤカの強気な姿勢は変わらないまま、自分が思う正論を押し付ける。
「サヤカは、俺に謝らずに、自分のおかげと抜かした」
「結果がすべてだろう?」
当然だと言わんばかりに、サヤカは訝しい顔を見せる。
その強気な姿勢が、性質上からくるものだと知っていたのに。
「結果がすべてなら、俺の気持ちはどうだっていいのかよ……」
宅浪は、片手に強く握っていた回線を介さない通話中の携帯を力なく耳元から外した。
「イライラしてるな。もしや貧血か?」
「…………知るか、そんなもん」
周りからどんなふうに見られても、絶対に破ったらいけない約束を破ったから。
サヤカのことを想って、交わした約束を破ったから。
俺は今、こんなにも惨めな気持ちを味わっているのに、彼女は何も知らない。
「えっと、浪人が……そこまで神経質になる理由はなんだ?」
サヤカは場を取り繕うように宅浪に尋ねる。
「……慰めは要らない。通話はもう終わった」
「居候を許可する時も浪人はどこか様子が変だった。それと関係があるのか?」
それ以上話す必要も、それ以上のことを知るリスクを犯す必要もない。
そういった意味を込めて、宅浪は冷たい言葉をサヤカに言い放った。
「関係ない。他人を思いやれないサヤカにはな」
「…………」
サヤカは言葉を失ったように黙りこくった。
いつもだったら、俺に効く文句を言ってくるのにしーん、と静まり返っていた。
チラッと横目で見ると、思いがけない光景を目の当たりにした自覚が芽生える。
「……泣くのはずるいだろ」
あの、頑固で強気なサヤカが手で目元を拭っていたのだ。
「泣いてなど、いない。昔を思い出しただけだ」
目から溢れ出るほどの涙ではないと声色からは分かった。
けれど、胸ポケットの中で音を漏らさずに涙を拭う彼女の姿。
『女のコにしちゃ一番ダメなことは……』
女のコを泣かせたという事実が、俺にとっちゃ……
ルール違反だった。
「分かった。行くだけだからな、行くだけ! どんな競技か見るだけな!」
宅浪は一度観念したら、すぐに諦めがつくタイプの人間だった。
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