第5話 発覚
意識が覚醒した途端、天井から眩しく光る円型の蛍光灯に目が眩んだ。
気分は目覚めから最悪。スタングレネードでも食らった気分だ。
「……おはよう」
「…………」
そんな巨悪の根源ともいえる、彼女からの返事は返ってこない。
「こんばんは、か?」
「やっと、挨拶できるようになったか」
枕元の近くからうんざりしたような声が聞こえてきた。
彼女からしてみれば、今は夕方以降の時間帯ということらしい。俺にとっちゃ朝だが。
「ヘイ蚊。今は何時?」
「長針は八に近づこうとしているな」
「短針は?」
「そんなものは知らない。用意周到な私に短針は必要ないからな」
「相変わらずな自信家で。つーか、タブレットを一日中ポチポチいじってる奴に言われたかねえよ」
「週ごとの貸与料金は払っているから構わないだろう。情報収集にはこの類まれない情報量を蓄えているネットワク殿の力が必要不可欠なのだ」
「ネットワーク、な」
この生活がやっと慣れてきたくらいの時は流れただろうか。
今は外出禁止のサヤカに人間世界での情報を得るために俺のタブレットを料金制で貸してやっている。部屋の片づけを行うとき以外は依存症レベルで気に入ったらしい。
初期の頃は人間と呼ばれることに反抗していたサヤカだけど、こういう姿を目にすると、日に日に人間らしく染まってきている証拠と言っていいだろう。
サヤカ自身がそれを拒むまでは、それを進めてもよさそうに思えるし。
「いや、違う。ネットワク殿だ。彼らは世界中と繋がることのできるコード、ネットを湧き続けることで自らの責務を果たしている……浪人とは違って働き者だな」
「お前のそのネットワクって、ネット湧くだったのかよ……」
不意にも高度なギャグと思ったのは俺の感性が古いからか?
「それ以外に証明方法がないだろう。彼らはネットを超常現象で湧き出しているのだ」
「はいはい、それでいいよ」
初めて電子機器を操作した時には
「私は人間の力を見誤っていたのかもしれない……」
と、文句一つ出ない驚愕っぷりを見せていたが、数日経って様子を伺ってみると、あまりに近未来的な技術に現実味を帯びなくなったのか、サヤカはタブレット内で運用・管理している中の人間がいることを勝手に仮定し、ネットワク殿という人格を作り上げており、その在りもしない空想の人物からご教授するという形で知識を習得していた。
だから……
「それで、これはどうなんだネットワク殿‼」
「これはそうなのか? ネットワク殿‼」
「凄いじゃないか、ネットワク殿‼ 貴公は天才だ!」
と、機械相手に褒め称える日々がここ数日、続いていることが多い。
アイツは尊敬する上司を決して裏切らない、忠実な部下なのかもしれないな。
俺にはない社会の歯車になり得る才能だ。あ、もちろん皮肉の意味合いで。
「で、ここ数日で分かったことは何かあるのか?」
「そうだな……。浪人が大した人間ではないことが判明したぞ」
「否定から入るなよ」
「否定しているつもりはない。浪人も最低限の情報共有は出来ているからな」
「まあ、最低限のニュースしか目にしないしな」
それもブラウザを開くときにチラッと視界に入る毒にも薬にもならぬネットニュース。
最近はスキャンダルばっか取り沙汰されて退屈になってきたけど。
「そこで本題だ。私は浪人よりも優秀だ。学業も運動も学校ではトップを張っていた」
「なにその突然の学歴マウント」
しかも、蚊に学業とか運動とか学校とかの概念があるのかよ。いや、運動はあるか。
「だが、そんな優秀な私でも、有益な情報をあまり得ることができなかった」
「ソシャゲにでもハマったか?」
サヤカは静かに首を横に振る。
その首を振る姿はどうも深刻そうに見せるから、大げさな奴だなと思った。
「文字が……読めないのだ」
「あ、なるほど」
なにやら、想定外のことが起きていたらしい。
「私がいま、話している言語は日本語という言語らしいが、私が蚊であったとき、言語の隔たりは存在しなかった。また、私が日本語を話していたことすら自覚症状はなかった」
蚊が日本語を話しているというこの状況。普通ならすぐに気付く違和感ではあるが、過去の経験と、あまりに言葉を流暢に話すから疑問にすら上がらなかった問題点だった。
「だから、日本語は話せるけど読み書きはできない……と」
「そうだ。簡単な文字なら読めるようになったが……複雑になると途端に読めなくなる」
「日本語は難しいからな。世界でも覚えるのは結構厄介な方って聞いたことあるぞ」
しかし、読み書きができないのか。まるで元号を5つくらい戻した時代の話だな。
「そもそも、その今喋っている日本語はどこで覚えた?」
「気付いたら話せていた……としか言えない。不思議なことに蚊であった頃もこの言語で話していたような気がするのだ。そんなはずはないのに……」
記憶の改ざん? なんだか急にSF色が強くなってきたな。
「蚊は全員が共通言語として、日本語を使っていたのか?」
「その可能性は極めてゼロに近い。なぜなら、人間と蚊が同じ言語を話し、何不自由なくコンタクトが取れたのであれば、我らの文明は千年早く発展していたであろうからな」
サヤカはタブレットを指差しながら眼力とともに力強く言う。
「いうて、デジタル文化が急激に進化したのはここ数十〇年の話だけどな」
大学のレポートをAIに任せられる時代とか……。なんて、簡単なんだ学生。
そのうち、人との接触が極端に減る寂しい未来も訪れそうな気がする。
「私のような例外は存在するかもしれないが、普通は話せない。だとすれば、私が吸血した時に浪人のデータを読み込み、蚊ではなく人間として、日本語という言語に適応したという事実に結論付けることができる」
「まあ、そうだな。俺の血を吸って日本人になったわけだ」
言語だけ話せるようになるっていうのも都合のいい話のように思えるが。
「だが、読み書きの部分まではインプットされていなかった。これで納得ということだ」
「残念だったな。それじゃ、一から勉強してどうぞ……ん?」
サヤカはじーっと眉をひそめて両目で宅浪の顔を見つめていた。先ほどまでの真剣さの中に、宅浪に呆れているような快くない色が窺えるようだった。
「……なんだ?」
「そこで、私に一つの提案がある」
雲行きが怪しくなってきたな。
「……一応、言ってみろ」
行方知らずの自責の念を抱えた宅浪は一応、次の言葉を求めた。
「私を日本語学塾に通わせてほしい」
「却下」
話にならない。
「ちょっと待て。これには深い理由があってだな……」
「小人が外出して塾に通うのか?」
外出するなと言っているのに自ら外に出るなんて、まさに飛んで火に入る夏の虫だ。
「それは問題ない。脳みそがツルツルの浪人は知らないかもしれないが、世には、外出しなくても受けることのできる『おんらいん』講習というものがあってだな、端末の画面を通じて離れた場所でも対話ができるのだ」
「画面に誰も映ってなかったら怪しまれるだろ」
「そこは浪人に協力してもらう」
「どうして、純日本人の俺が日本語を学び直さなくちゃならんのだ!」
「予習ダイジ。汚イ日本語改善デキルヨウニナルカモヨ?」
「これは元々だ、ほっとけ」
久々に言われたなその言葉。三年前、面接官に言われて以来だ。
熱意は十分伝わったが、肝心な部分が解決されないんじゃリスクも付き纏う。
それじゃあ、ダメだ。一度、失敗している俺がリスクを顧みなくてどうする。
「だいたい、タブレットで勉強はできてるんだろ?」
「お遊び程度でしか学ぶことはできていないのだ。日本語は種類が多すぎる」
「漢字にカタカナにひらがなだろって……まさか、ひらがなも読めないのか?」
「…………さま」
「ん?」
思ったことを口にしただけだったが、むくりと静かに立ったサヤカは次の瞬間、
「貴様……私を愚弄するかッ‼ そんなものとうに読めるわッ‼」
膨れていく過程も見せず途端に爆発するように、宅浪に向けて声を荒げた。
「アンタの沸点どこだよ」
「どこもこうもあるか、私は目下の者に馬鹿にされるのが一番腹立たしいのだッ‼」
怒りに満ちた顔を見せるサヤカは、手当たり次第に地面に落ちていたカチコチになったティッシュの塊を宅浪の顔に投げた。というか地面に落ちてるはずないんだけど……
「これはなんだ……」
投げている途中でサヤカも手の感触の違和感に気付いたのか、自身の手の匂いを嗅ごうと顔を近づけた。
「おい、勝手に匂いを嗅ぐな。いい思いはしないぞ」
いい思いをした後のものだからなそれ。
サヤカは、鼻をつまみながらしかめっ面でティッシュを部屋の端に放り投げた。
「……っ」
言葉も発せないまま、気分を悪くしたみたいに顔は青ざめて、ぐったりと横になる。
学校のプールの匂いと同じはずなんだけどな~。
「と……とりあえず、タブレット貸りるぞ。俺が調べ方教えてやるから」
宅浪はサヤカが布団に上がってくる前に先ほどまでサヤカが使っていたタブレットを手に取る。画面はカタカナの書き取りができるサイトが表示されたままだった。
「あっ! 貴様!」
ぐったりしていたはずのサヤカは途端に、素っ頓狂な声を上げると、身体を起こし、翅を使って猛スピードでこちらに迫ってきた。
それも異常なくらいの速度で。
「隠し事でもあるのか?」
「と、特にはない! だが、貴様が見ても得するようなことではないぞ!」
宅浪はサヤカの猛追をなんなく身体で振り切りながら、タブレットを操作する。
「さーて、他にどんなこと調べてるのやら……」
サヤカは焦った様子で泣き入りそうになりながら、小さい両腕を広げて、宅浪の頬を引っ張ったり、叩いたりと必死になって妨害しようと試みる。しかし、所詮は小人の力。
くすぐったいくらいだ。
「返せ! この性癖異常者!」
返すつもりはない。最後の言葉でよりその気持ちは強まった。
インターネット歴数週間の分際であれば、タブを見ずとも、検索履歴だけでこいつの本心が窺える。
そう、これまで私情を話すことのなかったこいつの欲望を――。
スライドする手が早くなっていく。
検索履歴、検索履歴。その二文字を探して、
ついに、見つけ出した。
「……返すわ」
だが、七秒後に宅浪の口から出たのはそんな言葉だった。
「な、なんだ貴様。わ、悪いか? 私が……」
「別に悪くないと思うぜ」
姿勢を変えて、布団に横たわる宅浪は無機質に言葉を吐いた。
「し、仕方がない。言う手間が省けたと思ってやる。ここからが私の本題だ」
どこか、そわそわした素振りを見せるサヤカとは両極端的に。
宅浪はサヤカにも聞こえるように大きなため息をついた。
「浪人殿――。私に『おしゃれ』な衣服を買ってくれ」
めんどくせぇ~~~~~。
検索履歴の八割が『おしゃれ』という言葉で埋め尽くされていたのだ。
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