第2話 喧騒
宅浪は条件反射で小人の足を持ち上げたまま、ひとまずコーヒー豆が入っていた空のガラス瓶の中に小人を閉じ込めた。
小人の見た目が日本女児の顔付きをした、ただの女の子だったのだ。
日本語をはっきりと話す得体の知れない新種の動物、というよりSサイズの人。
対話は望めそうではあるが、瓶の中に入れられても尚、何かを訴えながら脱出しようと斜面になっているガラス面を必死に登ろうとしては、短い足を滑らせている様子。
新たな住処をもらえて喜んでいるようには到底見えない。
小人は、そんな無駄な努力を一時間繰り返していた。
瓶の外から監視していた飼い主は、ついに頑丈な蓋を開けて上から声を掛けてみた。
「こんにちは」
ファーストコミュニケーション。第一印象はどうだろうか。
疲弊した様子で胡座をかく頭上に話しかけると、人型の人形は即座に首を上げた。
「ここから出せ。臆病者が!」
第一印象は最悪だった。小人は警戒心むき出しで今すぐにでも嚙みついてきそうな凶暴さを露わにしていた。
初手罵声かよ。Siriでも挨拶はしてくれるのに。
「あなたは人間ですかー?」
「お前みたいな愚かな種族と一緒にするな。この怠け者が!」
罵声は止まらないが、日本語は完璧みたいだ。
「今日は土曜だし……。みんな休みだろ」
「私に休みなどない! だから、今すぐここから出せェ!」
取り付く島もないとはこのことか。
案外、野良犬とかに言葉を与えたらこんなものなのかもしれない。
「あなたは本当に小人ですか? こんな小さな人間は初めて見ました」
「汚らわしい種族と一緒にするな。貴様が私をこんな醜い姿に変えたのだろう」
「え、心当たりないです」
俺が? 一体どうやって?
「そんな言葉で私の怒りが収まるとでも思っているのかッ!」
怒号にも似た大きな声が瓶の中でワンワンと響く。
俺は悪くないが、相手は俺が悪いと勘違いしているらしい。甚だ遺憾だ。
「俺、今日はさっき起きたばかりなんだけどな~」
「訳のわからんことを言うな。貴様のせいだ。クズ野郎」
「状況が分かってないみたいだな。この瓶はそう簡単には割れないんだぞ」
「おたんちんめが。右手の甲と左腕の裏を見れば、それが証拠に……」
「うるせえーな! お前と話してもつまんねーわ」
宅浪の緒が途端に切れ、感情を爆発させた。
吐き捨てた後、閉めた指が痛くなるくらいまで固く瓶の蓋を閉めた。
直後は小人も俺の怒りに慄いたのかあっけらかんと立ち尽くしていたが、次第にこちらに背を向けて、黙々と何かを祈るように、正座になって手を合掌しているのが見えた。
「この場合、神は俺だけどな」
相手の話を聞こうともせずに、自分の話だけを通そうとする奴には嫌気が差す。
自己中が。
宅浪は瓶を持ち上げた後。
机の一番下にある縦に長い引き出しの中に瓶を縦に置いて静かに引き出しを閉めた。
※ ※ ※
結局、小人を捕まえていたのを思い出したのは二日経った月曜日の夜のことだった。
思い出した経緯は宅浪のミスから。
「あの、知ってればでいいんだけど……かゆみ止め、どこにあるか知ってる? お母さんの見間違いかもしれないけど、いつも置いてある場所に見当たらなくて……」
あー、元の場所に返すの忘れてた。あっ。
小人を捕まえてたの忘れてた。
といった具合だ。
何を食べるか分からなかったので、餌は賞味期限間近のせんべいを用意してみた。
あの凶暴で反抗的なツチノコは食べることを拒否することもありえるけど。
さっそく引き出しから瓶を取り出し、机の上に置いて様子を窺ってみる。
小人は瓶の側面に背中からもたれかかって、だるそうに首を下げている。
見るからに元気がなさそうだ。
だらしなく垂れた前髪で表情は見えないが、お腹が空いて元気がなさそうだ。
それでも、宅浪は用心深く固く閉められた瓶の蓋を開け、ゆっくりと頭上に顔を出す。
「エサの時間だぞ~」
言葉に反応した小人は見上げて、恵みを受け取るように素直に両手を開いた。
なんだよ、やっぱお腹空いて元気なかったのか。
そう思うと、二日前までキレ散らかしていた姿もなんだか可愛く思えた。
目を離し、持ってきたせんべいを一切れ、さらに一切れと手で崩していた時。
ビュン――。
と目では捉えきれないほどの速度で、宅浪の顔をなにかが横切った。
手元には空の瓶。ただ一瞬、目視できたのは背中に生えた二つの透明な翅。
「なんだよ、せっかく可愛いと思ったのに」
「…………」
手を伸ばしても届かないところまで移動した小人は、周りをくまなく見漁る。
ぷーんと音を立てながら、空中に飛ぶ小人のような生物。
やはり、ただの小人ではなかったことを確信した。
「残念ながら、ここからは出られないぞ」
「……それは貴様が決めることではない。私が判断するものだ」
一昨日と変わらない反抗的な態度。さっきのが見せかけの態度だとすぐ理解できた。
ふわふわと宙に浮かびながら、背中に生えた翅を振動させている。
飯も食わずによくもまあ、動ける力が残ってるもんだ。
「元の姿にも戻ることはもう出来ないだろうな」
「それも……私が判断することだ」
たじろぐことなく、小人はそう言葉にする。
「俺がお前の卵を食っちまったこと、根に持ってるか?」
二本の触角のような長い前髪で顔の様子を窺うことは叶わないが、小人がふわふわと揺れていた身体をピタリと止めたことは分かった。
「……貴様、何を知っている?」
「結論から言うと何も知らない。だから、お前が元の姿に戻ることは叶わない」
それを聞いた小人は脅しと捉えたのか、背を向けて上の方に飛んでいく。
「だったら用はない。私はここから消える」
「おい待てよ、短気野郎。お前は俺の血を吸ってこうなったんだろ?」
「短気はお前だ」
「うるさい! それは俺が言われて一番嬉しくない言葉だ」
「私も同じだ。ならば、利害は一致するだろう」
「だったらいいよ。決めた――俺はお前らの利を潰す」
宅浪は着ていたワイシャツを勢いよく脱いで半裸を晒した。
「は? 頭がおかしくなったか?」
トランクスに手をかけたところで、困惑した様子で小人は問いかけてきた。
だが、もう遅い。
俺の怒りはもう収まるところを知らない。
「俺の血は蚊を小人に変えるらしいな」
「らしいではないだろう! 貴様が何らかの方法で私をこの姿に……」
「だから、俺は――お前らの種族を衰退させるために今から全裸で外に出る」
「なに……?」
事の重大さに気付いたのか、小人の表情はどんどん力を失っていくものとなる。
「これは脅しじゃない。俺はもう全裸だ」
「それが……全裸」
小人はまじまじと下半身を凝視する、なんだか照れくさいかもしれない。
ひとまず咳ばらいをして、平常心を装った。
「あっあー、そしたらどうなるだろうな。何も知らない同族たちはお前と同じように俺の血を摂取し、種族としての姿と矜持を奪われるだろう」
「それは……」
人間には致命的、しかし社会を知らない蚊にとっては恐ろしいスピーチだろう。
「俺はいつでも準備はできてる」
彼女らは、平和と秩序を守るために社会を取り締まる警察という存在を知らないのだ。
「……貴様の目的はなんだ? 貴様の血液にはどんな不可思議なことが隠されている?」
観念したらしく、陵辱を受ける高貴な貴族とも呼べるような従順ぶりでこちらを睨む。
蚊にとって種の存続というものは命よりも大切なことみたいだ。
「小人……いや、蚊と話す機会なんて来ないだろうから、自己紹介から始めようぜ」
「名などない」
「俺は星石宅浪。君の名前は?」
「貴様と馴れ合うつもりはない。三回回って死ね」
小人は断固拒否の姿勢を崩さない。ここで脅してもいいのだが、その気持ちは分かる。
自分が餌を求めるだけじゃ相手は食いつかない。
それは相手も同じだということだ。
「今年は妙に多いらしいな〜。それも近年稀に見るほどに」
だから、餌を釣ってやる。餌は餌でも情報という餌を。
「……⁉ 何故、それを知っている?」
小人の表情がまた曇り、歯を食いしばる。
「俺が頭脳明晰で優秀な人間だから」
宅浪は鼻の穴を満遍なく開いて、そう言った。
しばらくテレビをつけるのはなしだな。
深呼吸をゆっくりするほどの時間が流れて間もなくしてから、小人は口を開く。
「私は貴様らの言う蚊種族の一人だ」
「名前は?」
「名などない。……だが、皆からは――サヤカ、と呼ばれている」
※ ※ ※
「サヤカ……随分人間っぽい名前だな」
「下等生物と一緒にするな。もう一度同じようなことを言ってみろ。その喉を噛み切る」
なんとも臨戦態勢は解いてくれないらしい。いや、三日も閉じ込めてれば怒るか。
「で、サヤカちゃんはどうしてここに?」
「それは我々に課せられた責務を果たすためだ。私の本心などではない」
「俺のドロドロした血液を吸うことが?」
「言うな。気色が悪い」
「なんだ? その言い草。チューチュー吸うくせによお」
刺す本人も刺された本人も得してないって、それじゃあ矛盾が生じるだろ。
「じゃあ、なんで吸うんだよ」
「子孫繁栄のためだ。体内に生まれた欠片を育てるための」
「欠片? ああ、卵のこと」
「なんとデリカシーのない……」
「え? 変なこと言ってないよな? 俺」
蚊の世界では卵という単語はデリケートな言葉に含まれるのだろうか。面倒だ。
なんにせよ、こいつはもう経験済みということだ。
なーにが子孫繁栄だ。することして後は血を吸うだけって考えたらなんか楽そうだ。
「人間はお前らに刺された部分をもがき、苦しみながら治療するんだぞ」
「刺した部分が痒くなるのは特殊な液体を微量ほど注入しているからだ。毒はない」
「そういう問題じゃない!」
「なんだ、じゃかましい」
「刺された部分が気になると日常生活に支障が出るんだ。血だって出る」
「私たちは命を懸けて、子孫を残すために働いているのだ」
「俺たちだってそうだよ。子を産むときは腹を刃物で切るんだぞ」
「腹で刃物を? くだらない嘘だ。そんなことをしたらどの生物だって死ぬ」
「人間は死なないんだよ。蚊とは比べ物にならない、俺の開発した麻酔薬があればな」
「貴様の開発した麻酔? どうりで人間の腹には後遺症が残ってる奴がいるわけだ」
「後遺症?」
「貴様の腹にもついている、そのだらしなく醜い贅肉のことだ。腹が膨れている奴らは等しく共通点があると私の世界では言われていた。それが何か貴様には見当がつくか?」
「いや、別に太ってるのって悪いことじゃないと思うんだけど――」
「貴様を含めて、奴らはどうしようもない浪人者だ‼」
「……なっ」
「私には聞こえていたぞ。すべてが見えていたぞ。幽閉されていた三日間、貴様が外出して働くこともなく、ただ虚無のままにこの部屋に引きこもっていたことをな」
「……虚無でもないし、楽しんでるし」
「仮に貴様が人類を代表する人間だと主張するならば、人間という生物はやはり下等生物に過ぎないと確信を持ったぞ。ただの図体がデカいだけのポンコツだとな」
「いや、俺テレワークだから。パソコンを使って働くタイプの人間だから」
宅浪はほこりっぽいキーボードと有線のマウスを持ち上げると、デスクトップの画面にポインターが表示されているのをほらほらと指を差す。
「バカなことを言うな。その薄い板を叩くだけで社会に貢献できるわけなかろう」
「できるんだって。お前だってパソコンくらい使ったことあるだろ?」
「貴様が玩具で遊んでいるとき、当然だが、私は働いている。これが人間との差だ」
「ダメだこいつ、話にならない」
まるで、さっきと同じような話を繰り返しているだけ。
というか、さっきと同じ話だ。
まさか、こいつ知能指数が低いのだろうか。やっぱ蚊ってバカなのか。
「仲間は?」
「私一人だ。もう巡り会うこともないだろう」
「どうしてだ? よく蚊柱が立つというだろ。あれ、やらないのか?」
「仲間を売るつもりはない。私を生け捕りにしたところで貴様にメリットもない」
憤りを抑えるような口ぶり、話に付き合う気はない、興味がないと言われているようで会話をしているというより、俺が一方的に話しかけてる状況らしい。
「お前が思うメリットっていうのはなんだ?」
「貴様は私を監禁し、弱らせたいのだろう。だが、残念だったな。私はもうじき死ぬ」
「病気か?」
「そんなわけなかろう。この手足の短く醜い身体になったのは貴様の計画なのかもしれないが、私は半年もしないうちに種族の性として、寿命で殉職することが決められている」
「つまり?」
「さ、察しの悪い奴だな。……つまり、私をこの部屋に幽閉し、奴隷としてこき使おうとも、冬が来るまでのおよそ4ヶ月の間しか私を拘束することは叶わないのだッ!」
「それは大丈夫だろ。もう蚊じゃないんだし」
「バカなことを言うな。私の身体を動かす細胞は先祖代々の血を遺伝しているのだぞ」
「お前は人間になったんだよ。そして、今、お前の血液には俺の血が流れている」
「なにを言って……」
「指を切ってみればいい、人間と同じ赤い血液が流れるはずだから」
沈黙。
「ちなみにな、人間は八十〇年生きることができるぞ」
「は、八ヶ月程度なら……って、は?」
「八十〇年だ。元に戻る方法はない」
ぼとっと。
透明な翅を背中に生やした小人はベッドに膝をすくむように墜落した。
「とりあえず、なんだ」
宅浪はしりもちをついて余計にボロボロになった食料を親指と人差し指に挟んで、小人の前に差し出した。
「せんべい、食っていいぞ」
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