貧血ギミな僕はいつもすれ違い
るんAA
第1話 受血
蝉もひっくり返るような暑い昼下がりの勝負の日。
「本日行われる最終選考は団体面接となります。個人面接とは違い、アピールする機会が限られていますので、主張していただけるとよいかと思います」
今日は私にとって、初めての採用担当の人事部所属になってから初めての最終選考。
ここで頼りになる……いいえ、まともそうな人材を選ばなきゃ、部長に何を言われるか分かったものじゃない。
対面は初だけど、オンライン面接で受け答えがハッキリしていたこの3人なら――。
「では、左端の方から志望動機をお願いします」
「はいっ!」
腕で促すと、しわ一つ見当たらない紺色のリクルートスーツを身に纏った角刈りの男性は、自分の座っていた椅子を後方に蹴飛ばしながら、即座に立ち上がった。
「24卒の栗原海斗です。御社の製品は地域づくりには欠かせないと存じており、私は製品を作るにはうってつけの人物像だと自負しているので志望いたしました!」
「はい。えー……ありがとうございます。弊社の製品はお客様に満足していただけるよう、フィードバックを重視する形の売り方をしています。栗原さんはどうして弊社の製品が地域づくりに欠かせないと感じたのか教えてもらえますか?」
「それは…………御社が、そういう売り方をしているからと思ったからです!」
「そういう売り方……というと?」
「御社の公式ホームページに記載されている通りの売り方……ですけど」
「把握まではしてないと?」
「え? あ……はい。以上……です!」
「ありがとうございます」
あちゃー。唯一の新卒だから本命だったのに彼、上がっちゃってるよ。
これだったら、まだミュート解除してなくて悪口垂れてた小坊主の方がよかったかも?
まあ……仕方ないわよね。これも巡り合わせ。
さて、気を取り直して次は……
「すみません。トイレ行ってきてもいいですか?」
「は、はぁ……廊下を曲がって右奥です」
「あ、あんがとゴザマス!」
顎下の青髭の目立つ男性は、砂埃を立つ勢いで部屋から出て行った。
あ、廊下にはたしか部長が……いや、もうそんなことどうでもいいや。
もう、この最後の一人に賭けるしかない。
我が社の……いや、私の採用担当生命をかけた最後の希望の一人に――。
「私は、物事を俯瞰して捉えることのできる観察力と対応力を持った人間だと考えています。高校時代にアルバイトを経験した私は、普段から客であっても従業員であっても、話し相手の意図を汲み取ることを主に意識して業務に勤しんでいたので、その経験は入社後の仕事にも必ず役立つと思っています。御社に入社したら、顧客のニーズにいち早く察知して、状況に応じて行動に移すアグレッシブな人材として活躍したいと考えています」
なんて。
なんて、まともな逸材なの――――――――――
「弊社に合った人材だと思います。とてもとても、好印象ですね」
「ありがとうございます! この日のために何日も準備してきたんです!」
青年は爽やかにそう言うと、後頭部を掻く。
ごめんね、隣で落ち込んでる角刈り坊主君。
今は七月。就職活動はまだ長いのよ。
さ、今日の仕事を終わらせましょ。
「ところで、後ろに立て掛けてある荷物はなんですか? 随分大きいですね、まるで」
「あ、スノーボードです。いつでも滑れるいいように」
「なる……ほど? よく部長が許しましたね」
「はい! 滑り落ちる可能性もあると思うので!」
「は、はぁ……。それはそうと、卒業見込み年数と名前を教えていただけますか?」
「卒業見込み年数は、今のところ見通しが立っておりません」
「……? えーと、それは……」
「18年卒の星石宅浪といいます。それでもよければ、採用してみてください!」
男は学生ではなかった。
それどころか、全長1.5mに及ぶスノーボードで自滅覚悟のフリーターだった。
※ ※ ※
『人の判断基準ってなんだろう』
表紙を開くと、見出しにはとにかくフォントを大きくして主張するようにそう書かれていた。本の著者は博士でも研究者でも心理学者でもない素人。タイトルは『人間合格』。
「宅浪? 帰ったの?」
扉を挟んで、聞こえてくる女性の声。
「ああ、帰ったよ」
宅浪は扉に背を向けたまま相槌を打つ。
「おかえり。ご飯できてるよ?」
「いらない。食ってきた」
「そう……。廊下に置いた本は読んだ?」
「読んだ読んだ。前のよりはためになったよ」
「前のは難しすぎたよね。でも、今回のは有名な人らしくて――」
「ああ、おかげで読みやすかったよ。子供にも分かりやすい文脈でね」
「今度こそ、大丈夫そう……?」
姿が見えなくても分かる、わざとらしい不安げな作り声。
「内定、もらえるといいね」
母が扉から遠ざかっていく音が聞こえると、宅浪の肩荷は徐々に軽くなっていく。
このやり取りも数え切れないくらいした。
新卒浪人歴6年=フリーター歴。
星石宅浪は、一般的に言う人生の淵に立っていた。
経歴だけを重視するお偉いさん方はそれを見た途端、何度も俺を落としてきた。
だけど、俺は、自分の経歴が汚点だと思ったことは一度もない。
ネクタイの結び方は社会人より上手いだろうし、面接の受け答えも流暢になった。会社説明会の経験だって就活生の中では一番豊富に経験している自信がある。
テレビのコマーシャルでよく言われる『就職はゴールではない』という言葉の本当の意味を知ったとき、当時大学生ながらに感銘を受けたのをよく覚えている。
宅浪は並べられた本棚の一角に本を投げ入ると、カバンから財布を取り出し、いつもと同じくズボンだけを脱いで、トランクス姿で下半身を涼めるために扇風機の前に立つ。
「えーと、45……15……」
微風に揺られる下着からは男の汗でまみれた香ばしい臭いが鼻孔まで漂う。
異常気象のせいで下は特に蒸れる。夏の天敵だ。
「14……っと。よし、これで完了っと」
きっと、同じ人間なら、生理現象にも性別は関係しないだろうな~。
宅浪は音読していたカードを財布にしまい、そのまま財布ごと布団に放り投げる。
そして、わずか六時間後。
宅浪は身体を預けるようにして布団に身を放り投げた。
久しぶりの最終面接で気を張ったのか、瞼がいつもより早く重くなった。
時刻はまだ日にちが変わった程度、夜更けにはまだ遠い。が、
「もう、寝るか」
窓から吹く外の風が今日は珍しく涼しい。だが、ブレザーを羽織るほど寒くはない。
ブレザーを着たままだったのをいま、思い出した。
だが、別に誰かの形見でもないこの衣服を丁重に扱う気などさらさらない。
そう取るに足らないことを考えているうち、宅浪の意識はいつのまにか飛んで行った。
「……ぁつ」
目が覚めると、暑さから滲み出る倦怠感が身体を覆っていた。
今日は間違いなく暑い。
窓からは、いつもよりうるさく喚く蝉の鳴き声がよく聞こえた。
いや、聞こえすぎている。
「マジかー」
事態に気付くと、宅浪は即座に身体のいたる部分を触った。
右手の甲と左腕の裏にくすぐられるような、些細だけど、気になる痒みを感じた。
「こりゃ、痒くなるぞ~」
昨晩、俺は窓を閉め忘れたらしい。
この時期の窓の閉め忘れは命取りになる。俺は昨日、再確認したばかりだというのに。
昨日の面接。『最近の気になる出来事は』の質問に角刈り少年はこう答えた。
『最近、よく蚊に刺されるので、政府は日本全体で蚊取り線香といった防虫対策の市販製品の必要性を国民にアピールするべきだと思います』
それはニュースじゃないだろと普段なら俺も突っ込みたいところだが、残念ながら、今年の虫の被害……特に蚊の被害はニュースになるくらい尋常じゃないのが現状なのだ。
過去、例を見ないほどの大量発生。専門家が頭を抱えるほどだという。
「人間が多少の痒みという被害を被るだけの環境問題なんだけど、な」
とにかくかゆみ止めだ、かゆみ止め。今日は土曜出勤のはずだからいないはず……
部屋を出て数十分。かゆみ止めはリビングのタンスの二段目から見つかった。
なんとか命拾いした~と階段を上がり、なんとなく頭に浮かんでいたことを口に出す。
「そういえば、俺の部屋ってテレビあったな」
※ ※ ※
晴天ナル空模様。
飛ンデ火ニ入ル夏ノ虫トハマサニコノコト。
アア、母君ヨ。
コトワザナルモノノ本当ノ意味ヲ知ルトキ。
全テは手遅レニナッテイル……
だろう――。
※ ※ ※
その瞬間(とき)は、あっさりだったはずだ。
「おっ、テレビ点くな」
『……々週から蚊の繁殖が異常に多発しているとの情報があり、社会問題にもなりましたが、先ほど行われた環境庁からの会見によりますと、『今年の蚊の大量発生は科学的観点からしてもありえない』としており、『千年に一度の出来事』と見解を示しました』
「千年に一度だぁ? 蚊は思春期真っ盛りで羨ましいもんだな。俺は蚊帳の外かよ」
自室にあるテレビは久しぶりの出番だというのに流暢に喋ってくれた。
『これは重大なことなんです。外出する際はかゆみ止めの常備の徹底を!』
『かゆみ止めを持っていなかったらどうしたらよいのでしょう?』
記者の一人が質問をする。記者会見の様子を映してるみたいだ。
『今のご時世、一家に一つではなく、一人に一つが常識です!』
『例年よりはるかに蚊被害の声が多いとのことですが、原因はなんでしょうか?』
『私が知りたいです。とにかく、ただの蚊という認識は捨てた方がいいです!』
『と、言いますと?』
『最悪、命の危険が及ぶこともあるということです』
記者会見の場が耳を疑ったみたいに、一瞬、静まり返る。
一人の記者が軽口を叩こうとしたが、専門家は険しい表情のまま話を続けた。
『蚊は本来、蜂と違い有害な毒を持たない生物です』
『しかし、蚊の唾液がただ痒みを知覚させるものではないということをみなさんに知ってもらいたい』
『その中でもごく稀に、蚊に刺されるとひどい腫れ・発熱・リンパの腫れなどの激しい症状を示すケースがあり、これを蚊刺過敏症と言います』
『蚊アレルギーとも呼ばれるこの症状は全身にも及ぶ危険性があるのです!』
『ただの蚊と侮ってはいけません。異常気象を乗り越えるためにも対策を……』
「あ」
バカバカしいと視線を逸らすと、ちょうど話題に上がっていた『それ』は右腕の肘あたりに張り付いていた。
部屋は完全な密室なのにどこからと一瞬考えたが、右腕に引っ付いたまま動かない『それ』をすぐには潰そうとせず、じっと見守り、そして右腕にぐっと力を入れた。
「これで抜けまい。お前の墓はここらしい」
蚊が血を吸っている間に、筋肉に力を込めると蚊は身動きが取れなくなるという原理。
気のせいか、蚊はもがくようにして体を動かしている……ようにも見える。
「ここで会ったが運の尽き。卵もろとも……」
と平手を振りかざす瞬間だった。
ドサッと。
本が落ちたような物音が宅浪しかいない部屋からした。
即座に物音の方に視線をやると、昨日本棚に投げ入れた自己啓発本が床に落ちていた。
偶然落ちてきたにしてはタイミングがいい。まるで蚊を助けようとしたみたい……
バチッと。
今度はテレビから流れていたニュースの声が消え、画面は真っ暗になっていた。
このテレビにリモコンはない。テレビを消す方法は直接コンセントを抜くか、テレビの側面にある電源ボタンを押すかの二つだ。いや、それ以前に……
いま、一瞬通り過ぎたなにかを。
見てはいけないものを見てしまったような気がしてならなかった。
ゴクリと。
固唾を呑みながらも、宅浪は物陰から見えた一つの影の方向へとじわじわと歩く。
そして、右腕に張り付いていた蚊が飛び去った瞬間、宅浪は体ごと床に飛び込んだ。
想像していたより、ずっと柔らかい感触。
掴んだ手をそのまま持ち上げてみると、そこには手のひらサイズしかない人のような形をした何か。
「離せ。この同胞殺し」
言葉を巧みに話す人形……いや、まるで……
人の形を幾分か小さくした小人のような何かだった。
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