91 私のご主人様


前回のあらすじ

リンの故郷は数年前に廃村になっており、家族も死んでいた。

そんな中、村の生き残りであったロゥロゥから、リンの所有権を買い取りたいという申し出を受ける。

シドはその選択をリンにゆだねるのであった。

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「分かりました――私は、好きに生きることにします」


 墓前の前で、リンは決心したように、紫色の瞳に決意を込め、俺の黒い瞳を見つめる。


「そうか……そうだ……それでいい」


 それでいいんだ。

 俺は聖教会と、因縁の戦いを続ける。

 リンは戦いとは無縁な平和な土地で、普通の幸せを手に入れる。


 俺の願いはリンに幸せになってもらうことであり、リンの隣に俺がいるかどうかは、重要ではないのだから。


「(シドよ――本当にそれで良いのか?)」


 エカルラートが神妙な顔で俺を見つめる。

 死霊操術ネクロマンスで精神がリンクしているエカルラートには、俺の本心が丸見えだ。


 だからこそ、釘を刺しておく。


「(エカルラート、余計なことを言うなよ――どんな結果であれ、俺はリンの気持ちを尊重する)」


「ご主人様、ヴァナルガンドちゃんを出してもらっていいですか?」


「ん、ああ」


 ヴァナルガンドの頭部だけを召喚すると、リンはその口の中に入り――異空間から小さな箱を持ってきた。


「これを受け取ってください」


 箱を開けると――中に入っていたのは大陸の共通通貨。

 奴隷に給金を払う必要はないが、俺は毎月リンに給金を与えていた。


 箱の中の金をざっと数えてみるに、殆ど手を付けていない模様。


「これで――私は私の身柄を、ご主人様から買い戻したいと思います」


「そんなことしなくてもロゥロゥ氏は十分な金額を用意してくれているし、万が一のために貯金はあった方がいい。これは取っておけ」


「いえ。私は私の手で、自由になりたいのです……!」


 リンの決意は固いと見える。


 思い出すのは――初めてリンと出会った時のこと。



『捨てないでください……なんでもしますっ! なっ、なんでもっ! だから、すっ、捨てないで……ッ!』



 忌々しい奴隷の首輪を外そうと手を伸ばしたら、リンはそれを拒んだ。

 幼い頃から奴隷であった少女は、奴隷でなくなるのを恐れていた。



 ――自由な空より、安全な鳥かごを選ぶ飼いならされた鳥のように。



 しかしリンは今、自分の意思で、奴隷の首輪を手放そうとしている。

 そんな彼女の願いを、拒めるはずがなかった。

 己の意思で奴隷の身分から脱却する。

 その成長と決意が、俺への餞別であるかのように。


「分かった。これでお前は自由だ」


 リンの首輪に手を伸ばし、魔力を流す。

 主従契約がなくなり、少女の首から首輪が取れる。


「風が冷たい……」


 一陣の風が、数年ぶりに外気に晒されたリンの首から熱を奪う。





――リンリン・リングランドと申します。


――ご、ご主人様、似合ってますでしょうか? お目汚しにならないと良いのですが……。


――素敵なおうちですね、ご主人様っ!


――私、ご主人様の為に一生懸命お野菜作ります!


――おかえりなさいませっ! ご主人様っ!


――ご主人様がいるからから平気ですっ♪




――ご主人様♪


――ご主人様?






――――ご主人様っ!





 外れた首輪に視線を落とすと、リンとの思い出が次々と溢れかえってきた。


「(ああ――女々しいな俺は。リンは自ら一歩を踏み出そうとしているのに、俺が未練タラタラでどうする)」


 歪んだ顔を見られなくなくて、俺はリンに背を向けた。


「ロンダリオまで帰るぞ」


 ここから南部辺境都市ロンダリオまでは、徒歩なら1昼夜。

 しかし――ヴァナルガンドなら一瞬だ。


 便利な空間移動能力は、別れを惜しむ時間を与えてはくれない。


「ご主人様! もう1つ、お願いがあります!」


 ヴァナルガンドによる時空の裂け目に入ろうとする俺の背中を――リンは呼び止める。

 俺のロングコートの裾を掴んでおり、その手は震えていた。


「なんだ?」


「私を――メイドとして雇ってくださいっ!」


「っ!?」


 思わず振り返る。


 決死の表情で俺を見つめるリンがいた。

 呼吸は荒く、鳴り響く心臓を抑えつけるように、メイド服の胸元を掴み、不安と決意がないまぜになった瞳が俺を射止める。


「ど、どういうことだ?」


 リンは自分の意思で奴隷の解放を望んだ。


 なのに――どうして?


 なぜリンは、こんなことを……?


「奴隷だからではありません。私は……私の意思で……ご主人様と共にいたいのですっ! ご主人様は好きに生きろと仰いました! だから、だから……私は……これまでも、これからも、あなたのお傍に、いたいんです……っ!」


「リン……っ!」


 リンの大きな瞳から、ポロポロと涙が零れる。


「本当――阿呆じゃなシドは。リンの幸せを望む癖に、リンが望む幸せが何かを理解しておらぬのじゃから」


「ああ、分かった。リン……これからも、よろしく頼む」


「ご主人様っ!!」


 俺の言葉を聞いたリンは、飛び掛かるように俺の胸元に飛び込んできた。

 小さな手を背中に回し、強く抱きしめられる。


「ご主人様! もう、私を捨てるなんて言わないでください! ご主人様以外の人に仕える気などありません! ずっと、ずっとずっと……永遠に、私をお傍に置いてくださいっ!」


「悪かった……ごめんなリン……だから、泣かないでくれ」


「うぅ……う゛う゛う゛う゛……っ! だっで……ご主人様がっ、いじわるを……いうから……っ!」


「違うんだ……お前のためを思って……だな」


「私のことを思うなら……もう2度とあんな事を言わないでください!」


 エカルラートの言う通り、俺は本当に大馬鹿野郎だ。

 リンを幸せにするために生きてきたのに、リンを泣かせてしまうなんて。


 今もなお泣きじゃくるリンの頭と背中に手を伸ばし、抱きしめる。


 壊さないように――優しく。

 けれど、離さないように――強く。


「ごめんな、リン。もう2度とあんなことは言わないし、お前を手放したりはしない。どんなことがあってもお前を守る。だから……ずっと俺の隣にいろ」


「…………はいっ」


 もう1つ、俺は新たな知見を得た。


 胸の中に収まる小さな少女が、それを教えてくれた。


 心臓が止まり、血の通っていないこの身体にも――ちゃんと涙が流れることを。



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あとがき

これにて里帰り編終了!

今回のAIイラストは奴隷じゃなくなってもシドのメイドであることを望むリンちゃんのイラストです。


https://kakuyomu.jp/users/nasubi163183/news/16818023213183679279

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