53 変わらないことに気づかされた
何も変わらない、自嘲して、いつか自分が放った覚えのあるその当たり前な言葉が脳裏に浮かぶ。
唇をかみ、左腕を強く右手で掴む。
中学時代と、何も変わらない。
高校になり、校舎が変わり、制服も変わった。
歳をとって憧れだった先輩と同じ年になっても、その時には上にもっとすごい人がいて、少し大人になったはずの俺たちは未だに何も変わっちゃいなかった。
金が何だよ、地位が何だよ、そう言い切れればよかった。
けど、先輩のいうことだって間違っちゃいないのがわかっている。
高校生、俺たちはまだまだ子供だ、けど、大人として扱われる年代へのカウントダウンはもう始まっている。
高校を卒業したら就職するってやつもいるし、何だったら同年代でももう仕事についてるやつもいる。
社会に飛び込む準備期間、いつ時間切れになってもおかしくないその間が、俺たち高校生、そしてその次の大学生という時間なんだろう。
そんな、半分社会人を意識せざるを得ない俺たちの状態では、相手のスペックを第一に考えてしまうことだって仕方ないのかもしれない。
勿論、先輩に対する怒りはある。
だが、その怒りに不純物として社会ってやつへの恐れが混ざってしまっている。
こいつはあいつより金は稼げるのか。
あいつはこいつより自慢されるものはあるのか。
そういったことを考え、先輩は乗り換えを決めたのかもしれない。
だが、同じくらいにそうじゃないと叫ぶ声も俺の中にはある。
くそくらえだ。
好きならそれでいいだろう?
元と見た映画が、別のクラスのやつと遊んだサッカーが、大木さんと言ったライブ会場の物販が、いろんな楽しい思い出が巡り、その時に地位だのなんて考えなかった。
そう思っているのに、馬鹿野郎、好きになった後はどうするんだよ。と、そんな声が沸いてくる。
頭の中で、ぐちゃぐちゃにさまざまな俺の声が怒鳴り合う。
元は、どう考えているのだろう。
隣にいる友人の頭の中を、俺は知りたくなった。
けど、今はただ俺のぐちゃぐちゃな頭の中をそのままに、心のままに言葉を放つ。
先輩の立場をわかっていたって、社会の辛さを目にしたって、それでも今の俺の苦しさと悲しさを腹に秘めるなんて、どうやったって不可能だった。
「我慢って、なんすか。
あいつは、あいつは本当に先輩が好きで、先輩のために色々考えて!
部活でだって先輩の自慢ばっかで!」
「それがうざいってのよ! 大体、こっちだって気の迷いで付き合ってただけなんだから、感謝されんのは当たり前でしょ!
あっちから告ってきたのよ!?
選ぶのは、私だ!」
机の上に先輩の手が叩きつけられると、がちゃんとカップが鳴る。
一口も口をつけていないコーヒーが少しだけトレーに溢れる。
プラスチックのプレートの上に落ちた滴が模様通りにクシャリと歪み、紙ナプキンの上に落ちた滴がぼんやりと伸びた。
「言っとくけど、君らはほんとにただの部外者。私たちにはなんの関係もないのにぐちぐち首突っ込んできてるだけなの!
自分たちがどれだけ余計なお世話してるかわかってる?
そんなんだからモテないんだよ!
大体、こんなことされて雪クンが喜ぶと思うの!? あんたらのせいであの子が悲しむんだよ!」
叫び一歩手前の声が放たれるが、俺にはこれっぽっちも響かない。
言っている言葉が、もうまともに意味をなしているように思えなかった。
日本語の形をとっているが、その言葉が俺に伝える意味を理解できない。
ただ、言いたいことだけは伝わってきた。
結局、先輩が言いたいことは一つ。気に入らない、と言うことだけだろう。
先輩たる自分が、男を手玉に取る自分が、高い地位の男と付き合っている自分が、どうでもいい高校生に瑕疵をつけられそうになっている。
それが、気に入らないと。
話す前から予想できたその姿とあまりにも違いがなくて、悔しくて仕方がない。
不意に古賀の顔が浮かび、悲しさと悔しさで紛らわされていたところにまた言い様のない気持ち悪さが湧いてきた。
黙り込む俺に、何も言わない元に満足したのか、佐藤先輩の顔が笑みの形に整えられる。
学校で見た笑みとは違う粘着質なそれが、本当に悲しい。
だってつまり、この人はもう俺と元が何も言わないと言う結果は感じても、何も言わない理由を考えようともしていないんだから。
「いいから、もう近寄んないで。雪クンも楠さんも、あんたたちには関係ないの。
わかった?
大体、あんたたちが私の行動のいい悪いを決められる訳ないでしょ、無関係な他人なんだから。
友達なんて、人の関係に口を出せる資格なんかないの。」
何も言えない俺たちに気をよくしたのか、先輩の舌は滑らかだ。
最上段から放り投げられた侮蔑混じりの言葉が、俺をすり抜けて地面に跳ねる。
先輩が俺たちの言葉に苛立ちしか感じていないように、もう先輩の言葉も俺には寒々とした悲しさしか感じさせてはくれない。
頑張って入れた気合いが、気づけば空気に溶けて。
何かを言い返そうという力がもうどこからも湧かなくなってくる。
「まぁ、おっしゃる通りです。
良い条件に乗り換えるなら、それはそちらの自由です。」
先輩の静かな声に黙り込んでしまった俺の隣から放たれた元の言葉に、心臓が痛む。
今のこのあり方を肯定されたような気がして裏切られたような気になり、ツンと鼻の奥が痛む。
気を抜けば叫ぶか、泣くか。
どちらかをしてしまいそうで、下唇を噛み、膝に置いた拳を強く足に押し付ける。
気合い入れのために叩いた腿に、じんとした感じが残っている、しかし残念ながらもうその感触は俺を奮い立たせてはくれなかった。
「ただ、それならやり遂げてくださいよ。
騙すなら、騙し切れば良かった。
サッパリと別れるなら、そうしてくれれば良かった。」
「は? 何言ってんの。」
「古賀君に隠し通す程度には
そっちはずいぶん気分を害しているようですが、それはこっちだって同じです。」
元の呆れを含んだ声が先輩に向けられる。
失望が、諦めが、無関心がギチギチに詰められたその言葉に先輩は苛立ちを隠さなくなった表情と嫌悪感あふれる眼差しで返した。
「その上、確認しにきた俺を害悪認定して悪評流布、俺があなたを嫌いになるのも、害意を持つのも当たり前でしょう。」
「は? あんたがクズなのに私になんの関係があるのよ。」
「言いふらしてる人間が言うことですかね。
さすがは善悪のブレーキが壊れてる人間はいうことが違いますね。」
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