51 吐き気を催した

 元を先に、後ろに俺と詞島さんが続く形での三人での移動も十分ほどで目的地へと到着した。

 本来、元が変な噂が出ていたところを誤解の発生源であろう佐藤先輩に否定してもらうことで誤解の解消を狙う話し合いをするはずだった場所。

 そこはよくあるチェーンのコーヒー店で、ビルの一〜三階を利用した店舗だった。

 

「ここの二階、奥の席が指定の場所だったんだ。」

 

 何も無ければ、本当にここでの噂を上書きする話し合いだけで終わったんだろうか。

 いや、どちらにせよ元の信用失墜を狙っていたのなら、ここで話すことには何の意味もなかったかもしれない。

 帰りを狙う、という言う方法も考えられたのだから。

 

「で、俺はどうする? 後詞島さんも。」

「シュウは一緒に来て。で、ルカも一緒に二階に来てもらうけど、ちょっと離れた場所で待ってて。」

「うん、私はいいけど、良いの?」

 

 詞島さんの自分も居て良いのか、との問いに元はこくりと首肯した。

 

「俺一人だとなんかあった時大変だし、シュウと二人じゃ逆に襲われたなんて言われかねないからね。」

 

 あぁ、なるほど、と俺と詞島さんで二人して納得したように頷くと、元がクスリと笑い、ありがとうと言ってきた。

 特に意識はしなかったが、元の気持ちのリセットスイッチをいい感じで押せたと言う事だろうか。

 とりあえず、どういたしまして、と言いながら足を踏み出して元の隣に歩を進める。

 あまり気乗りのする話は聞けそうにないが、乗りかかった船であり、俺の友人の矜持の問題でもある。

 ふっと強めに息を吐き、自動ドアを潜る。

 挨拶をしてくる店員に三人で飲み物を頼み、受け取ると待ち合わせですと言って二階に上がる。

 短い階段を登った先、ほとんど人の居ないフロアは探し人を探す必要すらなかった。

 

「遅かったね、何かあった?」

 

 フロア奥の壁を背にする席に座る佐藤先輩に相対する椅子に俺と元が座ると、一言目にそう言われた。

 にこやかでふわふわとした、とても人好きのする笑顔は、本当にいい先輩に見える。

 けど、これは俺にだって分かる。

 一言目は先ず、俺が居る事に言及しないといかんだろう。

 動揺しているのかな、と思って仕草を全体的にみると腰の位置が少し動いている。

 テーブルの下では足を組み替えたりしているんだろう。部活で教わった相手の動きを見るコツをこんな所で活用することになるとは思いもしなかった。

 

「はい、遅れてすみません。

 高村さんにちょっと声をかけられたんで遅れちゃいました。」

「えっと、高、誰?」

「高村さんです。楠さんと同じ大学の。」

 

 偶然ですね、とにこやかに話す元に佐藤先輩が少し表情を固くする。

 駅からここまでの距離はそれなりで、移動時間もそれなりに使ってしまっていた。

 その間にあの高村さんとやらから佐藤先輩への連絡はきっとあったのだろう。

 その時間で元への対応を決めたのだろうが、どうも時間は足りなかったようだ。

 促されるままに座った俺と元。

 そのまま続けられる元との会話のキャッチボールが進むごとにそわそわと左手がスマホカバーを撫でる回数が増えていく。

 

「あれ、もしかしてご存知ありませんでした?」

「うん、私と楠さんって別に勉強教えてもらってるだけだから、あの人の交友関係は知らないんだ。」

「そうですか。じゃああの人なんで警察さんに謝ってたんですかね。」

「は?」


 お、初めてみる顔だ。

 佐藤先輩は詞島さんとは少し方向性の違うふわふわ系美人だと思っていたんだが、イラついた顔はなんかクラスの女子たちに似てんな。

 それだけ俺ら男子は嫌な顔しか見せられてないって意味でもあるんだが。

 

「冤罪の強制も最近は厳しく取り締まられてるらしくて、依頼者を教えてもらえるんなら実行者はある程度お目溢ししていただけるらしいんですよ。」

「は!? 何言ってんの、あいつそんなこと!」

「これから裏切る人間に、いちいちほんとのことなんか教えないんじゃないんですか?」

「なっ……っ!」

「まぁ、嘘なんですけどね。」

 

 おい。

 いや、確かにそんなことはしてなかったし警官もあの場には居なかったな。

 

「そんなわけで、お話ししましょう、佐藤先輩。」

「んの……っそが。」

 

 持ち上げ、連絡を取ろうとしていたスマホを再度机に戻す佐藤先輩。

 なんというか、ちょくちょく入る動作とか間とかが絶妙で元のことが普通に信じられなくなってくる。

 少し気になって後ろを見て、詞島さんに初めを指さす。

 こいつと付き合ってるってまじ? みたいな気持ちを込めてやってみたんだが、ニコニコとした表情で親指を立てられた。

 あぁ、バカップルだわ。

 気が抜けて肩が落ち、少しだけ気が楽になる。

 

「それで、何がしたいわけ? 随分と私に興味があるみたいだけど?」


 にこやかに、それでいて隠せない苛立ちを皮一枚下から覗かせながら、佐藤先輩が元に嫌味を叩きつける。

 悪意を持ちながらこちらにそれを叩きつけてくる表情に、俺はこの人が本当に佐藤先輩なのかと疑問に思ってしまうほどだった。

 古賀にいらないと言っても見せつけられ続けた写真で、佐藤先輩は一度たりともこんな表情をしてはいなかったはずだ。


「真実、ですかね。」

「はあ? まじキモい。」

「あー、確かにくさい感じになりますけど、本当にそれだけなんですよ。」


 そう言い、元はスマホを机の上に置き、ある画像を表示した。

 電車の中、大学生の彼氏に肩をよせ、目を瞑る佐藤先輩。

 俺と元が見たあの日の光景が鮮明な画像で画面には映っていた。

 

「一方的かもしれませんが、俺は古賀君を友達だと思ってます。

 そんな彼がこんな状況に陥ってしまったことを、すごく悲しく思ってます。」

 

 元の声から、色が消えた。そういうふうに聞こえた。

 目の前の女の人に対し憐れみだとか、怒りとか、嘲りとか。

 正負どちらの感情も感じない、壁にでも話しているような温度のない声が元の口から吐き出された。


「ですので、そちらの目的も知りたいんです。

 一時の気の迷いなのか、それとも本気なのか。そう言ったことを。」

 

 横を見る、元の目は佐藤先輩を捉えて動かない。

 俺なんかが佐藤先輩を見続けたらどこかで恥ずかしくなって顔を背けそうなものだが、それだけ怒ってるのか、あるいは詞島さんで慣れてるんだろうか。

 見てるのか見てないのか、瞬きをしなければマネキンの目とも間違いそうな元の目に見つめられたまま佐藤先輩は苛立ちをその顔に載せ始めていた。

 

「なんなの、まじキモイんだけど。」

「それはすみません。けど、それでもお答えいただけませんかね。」

「そんなもんで脅して、まともに話すと思ってんの?」

 

 何を言ってるんだこの人は。

 おどすもくそも、どっちに引け目があると思ってるんだ。

 

「あのね、私は忙しい中、君なんかのために時間割いてあげたんだよ?」

「そもそも、先輩の言葉がなければそれも必要なかったでしょう。」

「それこそなんのこと?

 私は君の名誉挽回のお手伝いをしてあげようとしてるだけだよ?」

 

 表情は、笑み。

 だがそれはプラスの感情などかけらも感じられない、明らかにこちらを馬鹿にしているようにしか感じられなかった。

 俺は古賀から先輩発の元に対する誹謗を聞いている。

 この人は、本当に目の前にいる俺の友人を貶めることで自分の行動を相対的に正当なものとしようとしているのだろうか。

 目の前にその行動の道筋が見えたことで、元々持っていた嫌悪感がさらに鋭さを増す。

 端的に言って、目の前の美人な先輩の顔に、吐き気を催し始めた。


「先輩がどういう考えをされているか、まぁ知らないですけど。

 脅しとかなんとかは勘違いしてませんか?

 俺は別に、これを持って警察に行こうなんて思ってない。

 ただ、あったことを伝えるために持ってるだけです。」


 トントン、と指で画面を叩く元。

 動作が妙に堂に入っていて、横で見てるだけの俺ですらじわりとした圧力を感じてしまう。


「離婚のために証拠集めしてる訳じゃない。

 裁判を有利に進めるための材料をかき集めてるわけでもない。

 知り合いが馬鹿にされて悔しくて、恨みで証拠を集めてるだけなんですよ。」


 脅して何かをしようっていう段階では既にない。

 もうやることは決まってるんだ、という意思が元から先輩に向けて叩きつけられる。

 瞬間、初めて先輩の顔から取り繕いが消えた。

 怒りも嘲りも、愛想笑いも世間体も消えた無表情な能面に、俺は背骨の隙間に氷を詰め込まれたのではないかと思うほどの寒気を覚えた。

 

「関係ないでしょ。」

「あります。」

「ただの友達でしょ。」

「俺にとっては大事な友人です。」

 

 先輩の虚な視線に、元は全く揺れない。

 正直助かると言えば助かるのだが、こいつは本当になんなのだろう。

 友達がいない状態で彼女ができるとこんな人間ができるんだろうか。

 そうやって考えを散らすが、元と先輩の間にグイグイと意識が向けられる。

 どうやったって逃げられない、そう行きつき、目を瞑って一呼吸。

 その間に先輩の声が聞こえてきた。

 

「こんなことに首突っ込んできてさ。

 人の付き合いを面白おかしく暴いて楽しもうってだけじゃない。ほんと信じられない。」

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