49 ちょっと引いた

 人垣が自然に別れ、詞島さんが現れた。

 俺の語彙では表せないが、服装含めてゆったりしたお嬢様って感じだ。

 そこだけ解像度が上がったような美人がいきなり現れる。

 女も男も、目線が詞島さんに向かい、人垣の中にあったはずの熱気が一時的に吹き飛んだ。

 そのまま詞島さんが自然に立ち位置を変える。

 女の隣、駅員さんに比べろ、とでも言うようにきちんと女に対面し、姿勢を整えた。


 遠くから見ていてもわかる。

 これは、もうオーバーキルにも程があるだろう。

 ゆったりした服をきた詞島さん、上品に整えられたコーディネートがいかにも育ちのいいお嬢様と言った感じだ。

 言葉もゆったりと、耳に心地いい感触で女の耳に障る叫び声とは違いすぎる。

 声量は彼方の方が大きいので、耳に入るのは間違いなく女の方のはずなのに、耳を通り、脳に残るのは間違いなく詞島さんの方だ。

 そして改めて思うが、見た目が違いすぎる。


 女の見た目も、悪いわけではない。

 化粧によって整えられた見た目は、まあ確かに美人と言える。

 だが、その横に詞島さんが立った時点で比較対象が残酷にその違いを見せつけてくる。

 横幅が違う、腰の位置が違う、空気が違う。

 辺りの無責任な群衆も感じるだろう。

 こんな彼女が居て、これを触るか?

 しかも、彼女の方は手を繋いでいたと言っている。


 疑惑が生まれ、立ち止まって見ていた物見高い人たちの中に、痴漢として元を咎める以外の空気が生まれた。

 空気が一瞬だけ固まる。

 その瞬間を元は逃さなかった。

 

「ちょっとルカ、どこ行ってたんだ? いきなりいなくなって。」

「ごめんね。最近叫び声って聞くことなくて、びっくりしちゃった。」

 

 両手を合わせ、小さく謝る姿。

 一歩間違えれば嫉妬してしまいそうな光景だ。

 驚きの感情が周りの人から感じられる。

 それはもちろん、痴漢を叫ぶ女からもだ。

 ん、キョロキョロしてる、何かを探してる?

 いや、誰かを?

 

「どうしました?」

 

 元がそう言葉をかける。

 表情は何も変わらないはずなのに、血まみれで満面の笑みをしたピエロをその背中に幻視した。

 元からの反撃は彼女にとってはあり得ない事だったのだろう。

 先ほどまで女性側に傾いていたマウント合戦の天秤は、気づけば元の方に大きく傾いていた。

 

「えっと、元。行こうって言ってたお店、予約の時間大丈夫?」

 

 詞島さんが元の腕を引く。

 本当に演技なのだろうかと思わされるほどに自然にくっついていて、俺も自然に殺意を覚えてしまう。

 これはいかん、元に対して男の目線が厳しくなってしまう。

  

「ん、あぁ、そうだね。けどほら。」

 

 ゆっくりと、詞島さんにむけていた目線を目の前の女に向け、そして広げた手で相手を示した。

 周りの野次馬たちの目線が、自然と女に向き、その視線の束の圧力に女の顔が強張った。

 

「この人が言うには、俺が痴漢したらしいんだ。」


 鬼か。

 自然と呟きそうになり、ぐっと堪えた。

 騒いでいた女の声が止まったこと、周りの野次馬たちのざわめきが一瞬おさまったこと。

 全てを合わせた的確なタイミングで、冷静な視線を束ねて女に叩きつけやがった。

 さて、ここで一度野次馬たちの中に芽生えた疑惑が芽を出してくる。

 

 『こいつ、本当に痴漢なんかしたんだろうか。』

 

 一度静かになった場で、自分から場の空気を決めるような言葉を発せられる人間は野次馬の中には居なかったようだ。

 元を痴漢だと最初は決めつけていたはずの人達ですら、口を噤んで詞島さんと女を交互に見ている。

 空気が変わったことがわかったのだろう、女は周りの人間に視線を走らせ、自分を見てくれる人間を探すが思うような相手は一人もいなかった。

 目があったと思えば、その人は急いで視線を外す。

 今、女の側に立ってくれる存在は、人垣の中にはいないようだ。

 

「えっと、元はそんなことしないよね?」

「するわけないじゃん。」

 

 ポフ、と詞島さんの頭に元が手を置いた。

 あ、なんか羨ましいな。詞島さんの髪、すげえツヤツヤしてて滑らかなんだよな。

 頼んだら触らせてくれないだろうか。

 視界の端に写るあんまり見たくない物を意識から外すために少しばかりそんなことを考えた。

 

「な、なによいきなり! アタシがやられたって言ってんのよ!」

 

 そう、やられた、という証言一つ。それだけで痴漢の成立には十分だ。

 流石に裁判までも連れ込ませられたら色々とやばいだろう。

 俺たちは学生で、親の庇護下にある。そんな状況は親への被害も考えなくてはいけなくなる。

 ただ、不思議なことにここまでくるとその考えも焦りからくるものというよりは「どうやってこれを切り抜けるのか」と言うワクワクに変わってきていた。

 

「へぇ、勘違いじゃないんですか?」

「あ、当たり前でしょ!」

 

 人畜無害そうなのぼっとした元の顔、そこから放たれる確認の言葉に女は強く反論する。

 その姿を前に、元はスマホの操作を開始した。

 

『言っとくけど、もう写真も撮ってるんだからね!』

 

 元のスマホから、声が飛ぶ。

 流されたのは女の声。先ほどホームに引き摺り出した時に聞かされたのと同じ言葉。

 

「決め台詞なんですかね。全く同じ言葉を言うのは、こう言うことになっちゃうんでやめた方が良いですよ?」

「はぁ!? 何言ってんのオタクが! 

 私が言うことをとってるなんて信じらんない!マジきもい! そんなんだからモテないんだよ!」

 

 馬鹿かこいつ。

 今この状況で相手の人品を貶すような言葉を使うのは悪手だろ。

 やったやらないの水掛け論で周りに自分の心証を低くするようなことしてどうするんだ。

 コメントつけられる動画サイトだったらこう言ってただろうな、なんて思いながら心の中でツッコミを入れる。

 今の言葉を撮られてたらどうするんだか。

 

「わざわざさっき撮ったのを今流すわけないでしょ。お忘れですか? 二ヶ月前の、環状線のとある駅で起こった騒動の動画ですよ。」

 

 元が今度は、見せびらかすようにスマホを掲げ、再度動画を再生させた。

 投稿されていたものを再生したそれは、先ほどと同じセリフを繰り返す。

 二ヶ月前か。疑問に思った俺と同じく、周りの人間も気になったのかスマホで調べたり、あたりの人と話をし始めた。

 にわかに人垣が己の意思を持ち、糾弾以外の意図を持ち始めた。

 

「すごいですね。この短期間でこんなに痴漢にあうなんて。」

「そ、そうよ仕方ないでしょ! 私だってやられたくてやられてたわけじゃ…」

『見てました! この人です!』

 

 動画が切り替わり、別の声が再生される。

 おんなじ声、しかし少し違う内容で、今度は誰か痴漢された人をこの人だ、と示したらしい。

 いくら何でも、との空気が人垣を包んだ。

 それとともに、女の顔色が明らかに悪くなっていく。

 

「平均示談額五十万、月一ペースみたいですけど、これは一応周りの記憶とか考えてのことなんですかね。」

 

 元がふっと表情を緩める。

 それとともに、スマホをひらひらと揺らし、女に明らかにプレッシャーをかけた。

 なにをどうやって痴漢させられることを予想していたのか、そして相手の傷になる動画を集めていたのか。

 知りたいような知りたくもないような、そんな気分のまま、俺は気付けば一人の観客としてこのショーを見ていた。

 

「お互い、なかったことで収めませんか?

 俺も、これから用事があるんです。高村さんだって、用事があって電車にのってたんでしょう?」


 どんな用事か、知りませんけどね。

 言葉に出していないが、思いっきりそう言っているように俺には聞こえた。

 元の言葉に顔を赤黒く変色させながら口をパクパクさせるだけになった女、それを一瞥すると元はスマホを再度操作した。


「もしもし。」


 スマホを耳に近づけ、通話する元の声はどこかイライラしているようで、少しだけ言葉の速度が早い。

 通話相手に対する苛立ちが隠せないのだろうか。


「どうも、山上です。

 すみません、お電話できたらよかったんですが、ちょっとトラブルに巻き込まれちゃいまして。

 お待たせしてませんか?」

 

 言葉の内容で、相手が分かった。

 佐藤先輩か。想定していたとおりとはいえ、やはり苛立ちが強いような気がする。

 声はにこやかに速度も落ち着いたものだが、その分目に力が入り始めている。

 と、その姿に一つ疑問が湧いた。そもそも何で電話番号を知ってるんだ?

 わざわざSNS使ってたよな、と自問するが、答えが出ない。出せない。出したくない。

 

「いえいえ、こちらは何の問題もありません。

 そっちもですよね?

 今から行きます。

 お友達は今忙しいみたいですので俺だけですが。」

 

 言葉を切り、すぅ、と鼻から息を吸う動作。

 普通のはずのそれが、怖い。

 

「待っててくださいね?」

 

 表情からも、声からも。

 何のマイナスも感じられないその一連の動作に俺は無意識に唾を飲み込んでしまった。

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