47 撮ってた
「こいつ、痴漢しました!」
元の手が大きく上げられた。
ざわ、と車内が騒がしくなる。
離れた場所にいた俺も、つい元の方に目が向いてしまう。
「ちょっとあんた、どこの学校よ!
言っとくけど、セクハラに年齢なんか関係ないんだからね!
次で降りなさいよ!!」
キンキンと甲高い声でやかましくがなりたてる女。
その姿に、元と女を中心とした空白が出来る。
何をバカなことを、とつい動こうとするも一瞬だけ元の目がこっちを向く。
辺りを見回したような、ほんの一瞬の目線だが、それでもしっかりと目が合った。
その瞬間の目の光と、電車に乗る前に言われた言葉。
「何があろうと大丈夫だから、絶対に俺には近寄らないでくれ。」
それらを信じ、浮きかけた踵をまた地面に着ける。
ざわざわと好き勝手に騒ぐ群衆、ギャアギャアと中身のないことを騒ぎ立てる女。
喧騒の中心地にいるはずの元が全く反応をしない。
蔑みも焦りもないまま、しんとした目で見続ける元の視線に時折気圧されそうになりながらも、女の人は無理やりよくわからないことを言っている。
よくもまああそこまで静かにいられるものだ。
焦りと不安があったはずなのに、あまりにも泰然とした元の姿は、逆にこっちを冷静にさせてくれる。
周りの人たちも、何の反応もしない元の姿に段々不安そうにしている人も出てきた。
何というか、役者の貫目がちがう、そんな気がした。
アナウンスが駅に着くことを告げると、下がり気味だった女の声の勢いが盛り返してきた。
「言っとくけど、もう写真も撮ってるんだからね!
ドアが開いた瞬間に逃げてもすぐ捕まるんだから!
あんた見苦しいことするんじゃないわよ!」
決めつけ、脅すようなその声にも何の反応も示さず、元は引っ張られるままにホームに引き摺り出された。
体格的にみれば元が配慮しているようにしか見えないが、それでも逃げるな、とかこれだから男は、など罵倒するような言葉を言いながら女はホーム中央に元を引っ張る。
そこで立ち止まり、駅員を呼ぶ女。
ホーム中央に人が近寄らない空間ができてしまい、割と迷惑な気もするのだがそんなことを気にしてはいないのだろう。
叫び声に惹かれたのか、困ったような顔をしながら制服を着た駅員が元と女に歩み寄ってきた。
「あの、すいません。
何かありましたか?」
「痴漢よ!」
女は駅員の言葉に被せるように、元気よく端的に内容を伝えた。
その言葉に、周りの人間がざわりとどよめく。
遠巻きにしながら、ヒソヒソと話す電車の利用者たち。
蔑むような目でチラリと見て、歩き去っていく人たちの中では痴漢がいたということだけが残っていくんだろう。
なるほど、これは確かにとんでもない傷だ。
いや、ちょっと待て。
ここにきて思ったが、このままだとこれ詞島さんにも色々やばいものが及ばないか?
本当に俺何もしなくて大丈夫か?
元はともかく、詞島さんが悲しむのは嫌だ。
ひいては清子さん達も悲しむのでは?
あまりの剣幕に、ついつい割って入りそうになってしまうが、元が慌てているような様子がないのおかげで俺も動かず、そのまま待つ。
女が叫ぶ近寄らないで、の言葉のままになってしまうのは少し癪だが、人混みに紛れて遠巻きに元とその手を掴むXX染色体を持つ二足歩行生物を眺める。
ホームの柱に寄りかかる形で人の流れから離れてみた俺の視界には、騒ぎ立てる女、事態を把握していないかのようにじっと動かない元、二人を強調するかのように遠巻きに眺める群衆というどこか非日常的なものが映っていた。
「私の体を触って、なんかぶつぶつうるさいし!
本当に信じられないんですけど!
さっさとこんなやつ逮捕してよ!」
自分の言葉の正しさを全く疑わない強い語調に駅員さんは明らかな困り顔で落ち着いてください、と繰り返している。
そんな行動も知ったことではないと、女の声は止まらない。
言ってることは単純で同じ事の繰り返し。
信じられない、逮捕して、あんたじゃなくて女の人呼んで。
言葉尻を変え、テンポを変え、結局は三つのことを繰り返す。
ふと電光掲示板を見れば次の電車まであと二分。
随分と叫んでいる気がするが、実際の時間的には大したことはないようだ。
あまりにも退屈な時間は経過するのが遅く感じるというが、耳に入れるだけで疲れる声のせいで疲労感と経過時間の釣り合いが取れていないのだろうか。
「それで、えっと。
ちょっとここで話されると通行の迷惑にもなるので、駅員室まで来てもらってもいいですか?」
ぽんぽんと飛び出してくる言葉の隙を縫って何とか話しかけた駅員さんの言葉に、女の言葉が止まる。
肩越しの横顔ぐらいしか俺には見えないが、ホームに降りて初めてと言えるくらいに静かになった女の顔は不機嫌そうにしながら、どこか粘着質な喜びが口の角度から見てとれた。
「いいけど、こいつ逃さないでよ!」
「はい、えっと君も来てもらっていい?」
「嫌です。」
一閃。
ピシャリと切り捨てた元の言葉に、駅員も女も一瞬動きが止まった。
いつも通りの声なのだが、圧がすごい。
外から見てるとちょっとざまぁって気になるが、本気になったあいつ結構目力強いんだよな。
「ちょっと何よあんた!
開き直ってんじゃないよ!」
唾を飛ばす女の顔。
叫ぶときに大きく口を開けているからか、シワが濃い気がする。
俺の心持ちのせいだろうか、それなりの美人顔だと思っていたその女の顔を醜く感じ始めている。
きっと化粧もパーツもアクセサリーも、褒められて当然な上質なものなのだろう。
それが、心一つで不快に、もっといえば醜く見えてくる。
ふと、周りを見ると少しづつ状況に変化が生まれていることに気づいた。
元を冷たく見下していたはずの観客が、ボソボソと話し合ったり、元に向けていた視線を女の人にも向け始めている。
あまりにも自然にそうなりかけていることを疑問に感じ、もう一度元と女の人をみる。
痴漢冤罪、男と女で起こされたそれは、ひっくり返すことが途轍も無く難しい、らしい。
何だかで聞いたが、裁判官というのは正義であるという立場を自負し、拘泥しているらしい。
そんな人たちにとって、性犯罪。
しかも自分たちの生活圏から遠いそれは気持ちよく叩ける犯罪行為だということだ。
何があっても、被害者が悲しんでいる、と言えば済むそれは彼らにとっても絶好の正義の執行機会なのだろう。
故に、社会でも色々と問題が起こっていて、人々の見る目も厳しいままだ。 そんな一方的に叩かれる立場に足を踏み入れる瀬戸際だというのに、元は全く揺らいでいない。
両足をしっかりと踏み締め、怒りも恐怖も焦りも見せない表情のまま、女の人を睨むでもなく視線に捉え続け、じっと動かない。
一方、女の方は対照的だ。
駅員を向き、喚く。
元を指差し、面罵する。
助けを求めるように周りを見回し、女の人には愛想良くしている。
ずっしりと、芯を持ち動かない元とネズミ花火のように捲し立てる女。
その対比に、元に心情を寄せる人が増えているように思えた。
その数は決して多くない。
しかし、確かにヒートアップする人垣の中に亀裂が入っている。
そこに、楔を打ち込む一撃がきた。
「元? どうしたの?」
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