35 10:20 天国

 背筋が凍る。

 店が閉まってたら、踏み込むこともできなかったんじゃないか?

 いや、あの入り口に鍵でもかけられてたら。

 刑事って普通にドア破ったりなんてできないよね?

 そもそもシャッターまで閉められたら、開ける方法なんかあるの?

 絶対に出ることができない場所で、私たちは何をされた?

 血の気の引いた顔がコップに映る。


「そうそう、刑事さん到着する直前かな。

 俺と店員のおっさんが問答してる間に二人位また男の人が来てさ、その人達も多分仲間だったんだろうね。

 いきなり俺を突き飛ばしにきたんだ。

 ほんとそのすぐ後に刑事さん来て助かったよ、」

 

 はっはっは、と軽くわざとらしい笑いを放ちながら宣う山上君。

 一体どれだけの幸運の上に今の平穏があるのか、立っている立場が崩れるような目眩を感じた。

 と、あれ?

 

「二人?」

「おう。」

「私たちが入り口に来た時には居なかったよね?」

「あぁ、応援できた人たちに連れてかれたからな。」

「は?

 そんな簡単に拘束したり連れてったりとかできるの?

 別に山上君、怪我してないよね?」

「何言ってるんだ、ちゃんと擦りむいたよ。」

 

 ほら、と私に右肘を見せる山上君。

 確かに言われればわかるくらいに白い跡とすんごいちっこい瘡蓋がついてるが、これってせいぜい爪で痒いところ強く掻いたくらいの、って。

 

「え?

 まさか。」

「お巡りさんの目の前で突き飛ばされて、血まで出た。

 いやー、人生うまい具合に動くもんだよねえ。

 天網恢々。」

 

 こいつ、いけしゃあしゃあと。

 絶対いいタイミングになるように機を図ってただろ。

 というか、血糊とか使ってねーだろうな。

 そんなもん、厨二病患者のやりたくて仕方ないムーブじゃん!

 ずるい!

 できるなら私だってやりたいわ!

 

「まぁ、普通ならそこまでいきなりの行動には警察も出ないんだろうけど、明らかに臭かったし目がやばかったのもあったからなぁ。」

「えぇ、そのレベルの人が来そうだったわけ?

 ちょっとほんとやめてよ。」

「まぁまぁ。

 そんなわけで時間使うのもやばいだろうってことでそいつらの連行は急いで呼んだ制服警官に任せて、川神さんには急いでルカ達がいるだろう場所に行ってもらったってわけ。」

 

 知り合いだから、顔もわかるしな。

 そんな山上君の言葉に、ルカはなるほど、と感心して頷いている。

 

「え?

 ルカ、あの刑事さんと知り合いだったの?」

「はい。

 外にいた若い方は初めてですけど、部屋に入ってきた方。

 川神さんとは何度か会ったことがありました。」

「はー。

 え、じゃああの警察手帳の番号検索してほっとしてたのも演技?」

「いえ、あれは実際にほっとしてました。

 ネットが繋がるようになっていた、ってことはもうあの人たちの枠は外れてたってことですから。」

「あ、なるほどね。」

「それに、あそこで繋がらなければ刑事さん連れて外に出るつもりでしたから。

 まぁ、どっちでも良かったんですけど安心できる方に転がってくれて良かったなって。」

 

 はぁ、と惚けたような声にもならない音が私の口から漏れた。

 結局私がから回っている間、山上君が必死に動き、ルカもそれを信じて待ち続けていたということか。

 苦笑しながらも心の中で何かぐるぐると黒いものが回っている。

 けど、きっと。

 

「でも、本当に助かった。

 ありがとう、大木さん。」

 

 ほらな、こういうところ卒がないんだよこいつ。

 知ってんだよ、ルカに負い目を持たせないためならいくらでも人に頭下げるんだろ。

 そして、気が楽になるのもなんかムカつく。

 なので、ちょっと意地悪してやろう。

 

「ルカ、ちょっとこっち。」

 

 伊達メガネを置き、真面目な目をしながらテーブルを挟んで向かい側に座っていたルカを隣に呼ぶ。

 ぽんぽんと床を叩くと、そこに正座する。

 ロングか、いや、何でもないんだけど。

 別に惜しいとは言ってない。

 そこに頭を倒す。

 あ、柔らかくて暖かい。

 

「山上君、カルピス。」

「あぁ、はいはい。」

「きちんと一:三で牛乳割りね。

 一がカルピス。

 プレーンだよ、間違ってもぶどうとか〇カロリーとかは使わないように。」

「はいはい。」


 座布団から腰を上げ、部屋を出ていく山上君。

 頭の上に置かれたルカの手から温度と小さな笑いが伝わってくる。

 ゆっくり少しだけ動かされる手に、悦がすごい。

 

「ルカぁ。」

「はい。」

「ちょっとだけ何も言わないでね。」

 

 ぽんぽん、と頭の上の手が優しく叩いてくる。

 了解の意だと勝手に解釈し、寝転んでいる方向を反転、ルカの方に顔を向ける。

 お腹に顔を埋める。

 柔らかいのに、ぷにっとしてない。

 スカートもサラッとしてて頬と鼻が気持ちいい。

 ゆっくりと息を吸い、吐く。

 ルカの腰に手を回し、顔を強めに押し付けた。

 いつもならそのすばらしい香りと暖かさにだらしない顔を晒すのだろうが、残念ながら今の私の精神はそういうことをできる状況にない。

 押しつけられたことで真っ暗な視界に血管の白が浮かぶ。

 それの向こう側が、ゆらゆらと揺れ始めた。

 強く搾った瞼はこぼれ、吹き出す涙を前に堤防の役目を果たしてくれることはなかった。

 流れるままに、顔を押しつける。

 肺が痙攣し、嗚咽だけがのどを上ってきた。

 しばらくの後、しゃくりあげるような音が声に変わってゆく。


「ごめん、ごめん…っ!」

 

 何に対してなのか、どうして欲しいのか。

 確かな目的も持たない、ただの謝罪行動。

 はっきりといえば、やっていることは卑怯なことだけど仕方ないじゃないか。

 吐き出したくてしょうがなかった。

 なんでもいいから謝りたかったんだ。

 

「ごめんなさいっ!

 ごめん、なさいっ!」

 

 裕子が怖がってたらどうしよう、才加に傷がついたらどうしよう。

 私がもっと嫌われる勇気を持ってれば、あんなところに行かなくても良かった。

 色んなああすればよかった、が浮かんでは私の脳に刺さってゆく。

 思い出すたび、あの時なんで私はああも無警戒に、無思慮について行ったのか。


 カッコつけたかった、考えるのが面倒だった、変な事を言ってそれを周りに言いふらされるのが嫌だった。

 断ったら力づくで何されるかわからない、そう考えていた筈なのにいろんな理屈が自分の中から溢れてきた。

 思考に整合性がつかなくなってきたのがわかる。

 躁状態になりはじめているのだろうか。

 溜め込んだ後悔と安堵がルカにとにかくあやまりたいという欲求に変わっていく。

 

 ルカのお腹に頭をうめ、鼻水と嗚咽を堪えることなく吐き続ける。

 謝っていたのも少しのこと、暫くすると私の喉は意味のある言葉を吐かなくなっていく。

 とにかく、吐き出したかった。

 ただの高校一年生に抱えられる物じゃないんだ、仕方ないだろう。

 ごめん、ありがとう、もういやだ、嫌い、ふざけんな。


 私は言ったつもりでも、絶対ルカには分からなかっただろう言葉がルカのお腹に直接押し付けられる。

 感情の爆発は一瞬で最高潮に達し、下降までの時間も短い物だった。

 一頻り、私の語彙で言えるだけの感情と後悔を叫びきるとやっと思考の制御が私の手に戻ってきた。

 一瞬前までの癇癪じみた躁状態の後遺症のような熱にぼうっとしながら鼻を啜る。

 やっと何も考えないことができたのだ。

 吐き出すだけ吐き出し、やっと空っぽになった私の脳は温かさと心地よさに気づき、それに脳を浸しはじめた。

 時折なでられる頭頂部から伝わる快感を享受する時間がしばらく続いた後、私を撫でる手が止まりルカの声がした。

 

「桃ちゃん。」

「ん?」

「今度は、どこに行きましょうか。」

 

 柔らかさに顔を挟まれ、横目からの上目遣いの私が見上げる、ルカの唇から放たれた言葉。

 それは私を許す言葉なんかじゃなくて、ただの世間話だった。

 それが嬉しくて、倒していた上体を起こし、ルカの首に抱きついた。

 髪が鼻につく、耳が触れる。

 いままでで一番濃いルカの匂いが脳を焼く。

 躁状態で焼けた脳が別方向に焼かれて逆にもう大丈夫だ。

 遊園地、カラオケ、ショッピング。

 どこだってきっと楽しい。

 顔を擦り付け、ルカの耳の後ろに鼻を近づける。

 あぁ、安心する。

 これグラム十万くらいで売れないかな。

 

「おまちー。」

「あ、おかえり。」

 

 ガチャガチャと音を立て、山上君がちゃぶ台の上にグラスとお菓子が置かれた。

 振り返る私に彼からはい、と渡されたのはローション配合の鼻に優しいティッシュで、思いっきり鼻を噛んでちゃぶ台横のゴミ箱にシュートする。

 スッとした心そのままにルカの膝の上に乗ってやろうとしたところ、両肩をルカに抑えられた。

 

「ごめんね、桃ちゃん。

 ちょっと今の状態だとその、ね?」

 

 改めてルカを見る。

 いつの間にか腹のあたりから膝にかけてタオルがおかれている。

 よく見ればタオルの下のルカのスカートが濡れてるようで、胸の谷間部分も水分のせいで色が変わっている。

 あ、首筋も鼻水でぬらぬらしててやばい。

 気遣いによってしかれたタオルのおかげで私の方にはついていないから良いが、ルカの方は結構ぐちゃぐちゃじゃないか。

 いやぁ、泣いたもんなぁ。

 しかしこう、エロいね。

 困ったようなルカの言葉に、あぁ、とかごめんね、とか言って隣に座るとルカが立ち上がった。

 着替えてくるね、と少し恥ずかしそうにするルカ。

 山上君に向けられた視線がちょっと羨ましい。

 山上君と入れ替わる形になったルカの背中を見送り、鼻をすすってカルピスに口をつける。

 気づけば男の子と二人。

 ただ、身の危険は感じない。

 まぁ、山上君だしな。

 

「ねぇ。」

「ん?」

 

 個包装の梅しばを開けている山上君に声をかける。

 別に意識しろとは言わないけど、ちょっとは私を気遣うそぶりを見せてもいいんじゃなかろうか。

 

「どうなるかなぁ。」

「まぁ、変化はあるだろうな。

 未遂とはいえ、クラスメイトを売ろうとしたんだ。

 それに今回の手際とか設備とかを考えるに、余罪は絶対あるだろ。」

「そうだねぇ。」

 

 ふぅ、と息を吐き、スマホを見る。

 学校からの連絡は無い。

 うちの学校には結構な上流階級の人間や、そことは別方向のいわゆる特権階級の人間も少数ながら在籍しているため、色々な行動がやたらと素早いらしいのだ。

 だというのに、私にもルカにも、何の連絡も無い。

 この段階まで来てしまえば、普通後回しにしてもいいような事態では無いだろう。

 なのに放置、とすればきっと色々あるんだろう。お偉いさん方は。

 まぁ、想定以上に今回の事件の根が色んなところに刺さっている可能性も、なきにしもあらず。

 とまぁ色々考えてはみるが、結局、私はどこまでも一女子生徒で私の苦悩も煩悶も事態の進展には関係ない。

 ゆっくりとカップを傾け、舌の上で飲み物を伸ばして飲む。

 ルカに吐き出しまくったお陰で、少々脱力感を感じる。

 上体を倒し、ちゃぶ台に頬をつける。

 九十度倒れた視界に山上君の部屋の中身が映った。

 広さ的にはルカの部屋と同じ。

 ただ、和室のくせに防音と気密はかなりしっかりしているようで、不快な温度や騒音もないし、隣にいるだろうルカの衣擦れの音もこれっぽっちも聞こえてこない。

 見たこともない本に、よくわからない電気工作キットの箱。

 ゲーム機にごっついタワーPC。

 趣味全開ながら整理された不快ではない部屋だ、と今更ながらに感じた。

 ふと、ルカの座っていたクッションが目に入る。

 暗色を基調とした部屋において、一つだけ浮いている暖淡色のふわふわクッション。

 ルカの部屋で見たことのないそれは、ルカが日常的に山上君の部屋に入り込んでいるという事だろうか。

 勝手に妄想し、脳が灼かれる感触に内心身悶えていると、襖が開く。

 ルカが戻ってきた。

 爽やかな風合いのシャツと上品なロングスカート。

 お嬢様系の女子大生のような落ち着いた服で、胸部分の立体縫製は見事にルカの曲線を際だたせていた。

 わたしはアレに抱きついてたのかと改めて考えると、ちょっとばかりたぎる物がある。


「おかえりー。」

「はい、ただいま戻りました。」


 自分の横に座布団を寄せ、ぽんぽんとたたく私に苦笑すると、ルカは促されるまま私の横に座った。

 そのままルカもちゃぶ台の上の梅しばに手を伸ばし、ぽりぽりと音を立てながらおいしそうに食べる。

 ふと山上君と目があうと、ふにゃっとしたかわいらしい雰囲気で笑う。

 あぁ、いいなあ、よかったなぁ。

 そんな風に考えてしばらく、カルピスがなくなったあたりで、私は口を開いた。


「ルカは、どうするの?」

 

 要領を得ない質問だ。

 だが、そんな私の言葉にルカはいつもの柔らかな笑顔を浮かべてこう答えた。


「竹田さんによる、ですかね。」

 

 謝りの言葉を望んでるのか、それともそうじゃ無いことを望んでいるのか。

 いつも通りのルカの言葉に、私は改めてこの子の新しい一面を見た気がした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る