15 16:59 門
住宅街、敷地面積ギリギリまで建物が建っているような場所から、塀によって区切られ、庭付きの家が増えてきた場所に風景は変わってきた。
気づけば電柱がなくなり街灯がところどころに建つだけで、コンビニすら四分前に通り過ぎた以来、看板も見えない。
車の音や電車の音も遠い、閑静な住宅街という言葉そのままな場所を、ルカと相合傘で歩く。
どうしよう、いいボケが出てこない。
えっと、結婚したらこんな家で大きな犬を飼おう、とか適当なところで言えば良いか?
「桃ちゃん、どうしました?」
「あ、ごめん。
私のお父さん何人いればこんな家買えるかなって思ってた。」
ちょっと苦しいか。
いや、ルカは困った顔をしてるけど唇はちょっと笑ってる、ヨシ!
「この辺りは昔からの土地持ちの方が多くて、ずっとここにいる人たちばっかりらしいですよ。」
「へー、昔からお金持ちばっかりだったの?」
「いえ、実は微妙に幹線から外れてて、家がどんどん建った時期はすごく土地が安かったみたいなんです。」
私のお母さんが生まれる前の話らしいんですけどね、なんて言うルカに、純粋な感心と驚きを感じ、ほへー、とまた口から声が漏れる。
バブルだとかベビーブームだとか、それ以上の昔か。
すでに日本史の授業でも受けないと分からない時代の話に、改めて家を見ると装飾などはあまりない、いかにもな豪邸ではないのに気づいた。
だとしても十分にすごいことはすごいのだが。
(ん?
でも、他と比べても大きいってルカ言ってたよね?)
ちょっとした怖さを感じる。
私、もしかしてとんでもない子を親友認定してないか。
「あ、着きました。」
ルカが足を止め、体の向きを変える。
目の前にあるのは木の境目、いや、門。
日傘で隠れて上が見えないので、ちょっとその傘の下から歩み出て改めて見上げる。
黒い鉄で縁取られた重厚な扉板。
それらを嵌め込まれ、扉以上の重さを感じる門構。
時代劇やヤクザもののVシネで見るような正門がそこにあった。
横を見る、曲がり角まで板塀は続いている。
続いて反対側、こちらもだ。
さっきから生垣じゃなくて板塀になってたなって思ったが、まさかこれが人の家か?
すでに認識がバグり始めていて驚きの感情を外に出力することができずにいた私の目に、門柱に嵌め込まれたインターホンが飛び込んできた。
普通によくあるものなのだが、何というか場違いさを感じてしまい、つい吹き出してしまう。
「ルカ、これ押していい?」
「ダメですよ、お父さんしかいないし、私も一緒なんですから。」
「うん、ごめん。」
首の後ろに手を回し、えへへとわざとらしくポーズをとるとルカが頭を撫でてきた。
ちょっとでも撫でる面積を増やそうと、手の動きの逆に頭を動かす。
あー、さらさらだー。
行きましょうか、と声をかけてきたルカに続いて開けられた門に入る。
敷居を跨ぐと足元は玉砂利に変わった。
そして、なんと表現したら良いのかわからないが、すごくふわっとした感じを受けた。
大きな日本家屋、左右を見回せば丁寧に手入れされ、チリ一つ落ちていない綺麗な庭が塀の中には広がっていた。
まるで寺の境内にでもいるような心持ちで、ルカの後ろを付いて歩く。
敷地から十数歩歩いてやっと到着するガラス戸を横に引いて開ける玄関は、それだけで私の部屋よりも大きく見えた。
「ただいまー。」
ルカが誰も居ない廊下に声をかける。
お母さんとお祖母さんが居ないと言っていたが、お父さんとかいるのかな。
そういえば、兄弟とかはいないんだっけ?
いや、この広さなら親戚とか住んでない?
返事はないまま、ルカが玄関から一段上がったところに座って靴を脱ぐ。
何かこう、玄関から廊下に上がる前に一段あるのはすごく解釈一致。
横座りして靴を脱ぐ姿はすごく心に刺さる。
不思議と色気とかはないんだけど、心の中のおっさん連隊が騒ぎ立て、スタンディングオベーションをかましてくる。
あぁ、素晴らしいものを見た。
「さ、どうぞ。」
玄関で立ち尽くす私に、廊下に上がったルカが正座して奥を促す。
簡単にやっている姿に照れのようなものはなく、ぎこちなさもない。
実に自然なその姿は不快さをかけらも感じないものだった。
「お邪魔しまーす。」
靴を脱ぎ、ルカの靴の隣に置く。
上がった床はサラッとしていて、どこかひんやりとした空気を靴下越しに伝えてきた。
立ち上がるルカに促されるように廊下を進む。
驚くことにこの廊下、曲がり角がある。
いくつかの襖の前を通り、水墨画タッチな三毛猫が描かれた襖を開く。
通されたのは、ルカの部屋だった。
畳が敷かれた床と、床の間だっただろう場所に備え付けらえた上品な木の本棚。
片方の壁に敷かれた襖は押入れだろうか。
部屋の中には机にディスプレイ、ゲームが入っている棚に小さな保冷庫とチャブ台が家具と呼べるものだろう。
他には大きめなぬいぐるみや、ソファーになるビーズクッションなどが置かれている。
全体的な視界に入る品数が少ないことに加え、目で数えて八枚ある畳の広さが部屋の開放感を増していた。
「ゴミが、ない。
脱いだ服も……?」
「あの、桃ちゃん?
女の子の部屋にそれがあるのはどんなもんかと思いますよ?」
部屋の入り口でワナワナと戦く私に、ルカが声をかける。
どうぞ、と促されるまま丸いちゃぶ台に着く私。
まるで上質な旅館にでも通されたようだ。
部屋の奥に目をやれば、縁側に続く障子が陽光を取り込んでいる。
「ちょっとお豆腐を冷蔵庫に入れてきます。
楽にしててくださいね。
あ、常識の範囲で。」
リモコンを机の上の見やすい場所に置くと、ルカは来る途中に買った豆腐を手に立ち上がった。
いってらっしゃい、と見送り改めて部屋を見回す。
押入れの襖に、ぬいぐるみ、クッション、机、タブレット、ディスプレイ、ゴミ箱、鏡。
女の子の部屋で、女の子らしくない部屋だ。
もっと雑然としていて良いだろうに。
と、先ほどから気になっていた部屋の奥に向かう。
障子に手をかけ、開けてみる。
まず目に入ったのは緑。
綺麗に整えらえた生垣が板塀から離れた場所にあって、そこまでの地面には見た目柔らかそうな草が生えていて、さわさわと揺れる風に合わせて陽の光を反射していた。
思わず息を吐き、ぼうっと庭を眺める。
枯山水とか、動物の形をした生木とか、そう言ったものはない普通の空間だったが、何となく良いものを見た気がして、呆けながらしばらく庭を眺めた。
「桃ちゃん。」
そんな私の意識は部屋の持ち主の声で体に引きずり戻された。
はっと、弾かれるように部屋の入り口を見る。
声をかけたルカは、お盆にグラスとガラス製の箱を乗せてちょっと困ったように私に笑いかけていた。
「あんまり開けたままだと、温度上がっちゃいますから。」
そう言うと、ルカはお盆を持ったまま私のいる縁側に歩いてきて、部屋の襖を閉めた。
そしてそのまま縁側に腰掛け、軒下のスリッパを足場に足を伸ばした。
リラックスしたその姿に、私はつい見惚れてしまった。
学校で見る柔らかで綺麗な優等生の顔ではない、空の星を見るような、露に濡れた朝顔を見るような、当たり前にあるものに不思議な美しさを目の当たりにした時の暖かさと同時に苦しさがあるようなあの感じが胸に再来した。
しばらく庭を眺めるルカを何を考えるでもなく見つめ続けた。
自分との比較、他の人との比較、今日何しに来たか。
ありとあらゆる疑問や考えを停止させ、ただ座るルカを見た。
そんな私に気付いたのか、ルカがちょっと驚きながら私を見つめ、にこりと微笑むとお盆を挟んで側の位置を薦めてきた。
その誘いに乗せられ、私も軒先に腰掛け、庭に足を投げ出した。
ルカが置いてくれたサンダルに踵を乗せ、庭を眺める。
玄関から見えた大きな木や池のようなものは見えない、ただの芝生とブロックで区切られた小さな花壇。
家屋の規模からしてみればあまりにもせせこましい普通の庭。
そこがとても、私の中にグッときた。
風で揺れる芝生と、元気をなくし始めている花たち。
添木に元気に巻き付く茄子と、ずいぶん長い間使われたのか角が取れて丸くなっているブロック。
そこで育ってきた人の笑い声が聞こえてくるような、暖かでこじんまりとした庭。
私の脳が勝手にロリになったルカと山上君を庭で遊ばせる。
と、頬っぺたが優しく摘まれた。
「桃ちゃん、また気持ち悪い顔になってましたよ。」
「ごめん。」
「本当なら止めたいんですけどね、ここが好きになってくれたみたいなので、許します。」
ちょっと背筋を正し、大きく息を吸う。
土の匂いと、青い緑の匂い。
微かな香ばしさはルカの入れてくれた麦茶とルカ本人の香りか。
周りも立派な家だったからか、静かで穏やかな空間が広がっている。
生垣に隠された板塀の上には空が広がっていて、スズメや鳩が飛んでいる。
気づけば右手は麦茶のカップを持っていて、私の喉が潤されていた。
チラリとルカを見ると、ルカは花壇を見ていた視線を私に向けてきた。
何となくその目線が嬉しくて、ふにゃりと口角が上がる。
それに答えてくれる笑顔に勧められ、お盆に乗せられたおしぼりで指を拭うとお菓子に手を伸ばす。
歪な形をした落雁、ただ味は素晴らしい。
小豆と砂糖の甘みを噛み締めて麦茶を流し込む。
そのまま何を話すでもなく、しばらく私たちは縁側でのんびりとした時間を過ごしたのだった。
そんなに長い時間ぼうっとしていたつもりはないのだが、気付けば三十分は経っていた。
そろそろご飯の仕込みをしますね、と言うルカに付き添って台所へ向かう。
スリッパの足音だけで廊下の軋む音はない。
そのことにちょっと驚きながらルカに先導され、廊下の奥まった襖を開けた。
目に入ったのはアイランド型キッチン。
それとテーブルとソファーで形つくられたリビング。
LDK部分を含んだ調理場、私にはそんな感じの部屋に思えた。
家庭科の教室でしか見ないような立派な調理台に驚いていると、ルカが私の背中を押してきた。
「さ、桃ちゃんにも頑張ってもらいますよ。
いつもは元にお願いするんですけど、今日は女の子二人ですからね。」
「うん、わかった。」
気合を入れ、ルカの手伝いを始める。
そして数分、私は愕然とした。
いや、違うだろう。
ここは普通、電子レンジで全部済ませてずっこけるところだろう?
何普通に手際よく料理してんの。
ルカにも可愛いところあるんだね、ってギャップを見せるべきでしょ。
そんな私の嘆きもどこ吹く風と、せいぜい母の手伝いしかしたこともない私をうまく使いながら、ルカは調理を進めた。
煽てられ、乗せられ、気付けば私の目の前には真っ赤で香ばしい匂いの麻婆豆腐とボウルに盛られた搾菜、野菜スープが並んでいた。
やばい、料理に目覚めそうだ。
大皿に盛られた主菜、副菜をお盆に乗せ、炊飯器から四つのお椀にお米をよそう。
その間にルカはスマホで連絡をしていた。
ルカのお母さんとおばあさんはちょっと帰りが遅くなるらしく、先にルカのお父さん、山上君、ルカに私の四人で食べててくれと言うことだった。
ルカご自慢のおばあさんにすぐに会うことができないのはちょっと残念だが、お父さんが見れるのは少し嬉しい。
「そうだ、桃ちゃんはテーブルとお座敷、どっちが食べやすいですか?」
そもそも座敷で食べやすいって何?
え、畳の上で物食べるのってそんなによくあったっけ?
そんな疑問が湧いてきたが、とりあえずいつもはテーブルでご飯は食べてると伝えた。
「わかりました。
それじゃあ桃ちゃん、そこのテーブルを拭きますので、ご飯を運んでもらえますか?」
指示されたのは、キッチンから少し離れた場所の広いテーブル。
見た感じ片側に四人ぐらいは座れそうな木のテーブルで、ビニールのテーブルカバーがかけられたそれはずしりとした存在感を醸し出していた。
ルカが布巾でテーブルを拭く。
あ、着きそう……ち、着かないか。
欲に塗れた目でルカのテーブル拭きを眺めていたが、どうやら拭き終わったらしいのでお盆に載せられた大皿を運ぶ。
花椒に八角、肉の油。
歩く度に鼻に飛び込んでくる香りで胃が元気になっていき、口の中に唾が溜まる。
大皿をいい感じの場所に配置、ルカの持ってきた食器なんかも配膳した頃に山上君が部屋に入ってきた。
「あ、山上君やっほー。」
「ういっす。
大木さんも、いらっしゃい。」
甚平に着替えている山上君はいつものすっとぼけた感じの顔で私に挨拶してきた。
何だこいつ、気易いな。
こちとら現役のJKだぞ、もっとカッコつけろよ。
そして私を笑わせろ。
自然体な山上君に理不尽な怒りを心の中でぶつけながら、ルカのものと思われる食器の置かれた場所の隣に腰掛ける。
「元、お父さんは?」
「ちょっと三番行ってから来るって。」
「そっか。」
三番、トイレか。
変な符牒を家の中で使う二人が面白くて、口から笑いが漏れてしまう。
自然とルカの向かいに山上君が座り、席が確定する。
向かいに、ルカのお父さん。
ちょっとそわっとしてしまい、椅子に座り直す。
クッションは柔らかくも硬くもないし、足の長さもぴったりのようでしっかりしてる。
うん、よし。
勝手にちょっとした緊張をしている私を面白いものを見るような目で山上君が見ている。
ムッとした表情で威嚇してやろうとしたその時、部屋の襖が開いた。
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