よいのくちより ともがたり

ウタゲ

一章 さけのみよにん あつまって

00 18:02 小料理屋『魚吉』

 土曜日、夕暮れ時。

 人通りの多いメインストリートから少々入り組んだ路地を進んだ少し細い道。

 一車線しかないような道の側、そこにあると知っていなければよらないような場所にこの店はある。

 入口の扉を挟んだ外では茜色の空が町の上に被さっていて、東から濃紺のグラデーションがつき始めているのだろう。


 人目に付かないような奥まった席で私は意識を切り替えるため、軽く目をつぶって一呼吸してみる。

 ため息にはならないように、眼前にいる人間に心の中が読まれないように。


 机を挟んだ向かいから聞こえてくるすすり泣きにさらなる燃料を投下してしまわないように、慎重に意識の切り替えを行った。


 休日の夕飯時ともなれば、飲食店としては稼ぎ時なのだろう。

 店内はうるささを感じない賑やかさで満たされていて、この店を愛する人たちの努力によっていわゆる"良い"雰囲気というのが保たれている。

 そんな中、楽しさを感じない一角を作ってしまっていることに申し訳なさを感じながら、改めて目の前のそれを眺めた。


 肩身を狭くし、両手を膝の上に置いたまま。

 垂れた前髪は学生時代からなにも変わらない絹のような艶やかな黒で、うつむき気味に下を向いた目に御簾のようにかかり、不思議な色気を感じた。

 その向こうの眼にはうっすらと涙が浮かんでおり、赤い瞳がゆれている。

 形の良い鼻も少し赤くなっていて、健康的な白さを持っている顔がまるで子供が泣いたあとのようなそれに変わっていた。

 その色味は常日頃の美人さを欠かせることになっているのだがその分かわいさを感じさせてくる。


 ふつうにしていれば、彼女——詞島琉歌しじま るか——は間違いなく美人、と評される女性なのだ。

 高校からのつきあいを経て、ルカに憧れを抱く男女をみてきたが、それも仕方ないと思うほどに、ルカは美しい女性だ。


 持ち前の美貌とスタイルの良さに加え、祖母から教わったと本人が話していた姿勢の良さと本人の性格も相まって振る舞われる落ち着いた所作は、否が応にも人の目を惹きつける。


 丁寧に手入れされた黒髪は、私のものと同じ色のはずなのに陽光の下では鉛筆と黒曜石を比べるような悲しさを感じさせ、透き通るような肌と、バランスよく配置された顔のパーツは嫉妬抜きに綺麗だ、と思わせる。


 パーツごとでみても十分なスペックを持っているくせに、立てば芍薬、の言葉にあるようにルカは動作全てに華があった、いや、華が舞うのだ。

 立ち姿、座り姿、歩き姿。

 何度かまねをしてみようとがんばってみたり、ルカの祖母に教えを乞うたりもしたのだが、なぜかルカのようにはなれなかった。

 これでも姿勢がいいね、と勤務先ではよくほめられたりするのだが、それでもなぜかルカのようにはいかない。本当になにが違うのだろう。


 たまたま私たちの年代に美人とイケメンと呼ばれる人間が多く存在しておりその人気が分散していたからよかったが、年代がずれたり、別の学校に進学していたりしたら彼女の取り合いは間違いなく発生していたのではないかと思う。


 そんな高校からの友人であり、憧れであり、放っておけない妹のような彼女が、泣いている。


 ルカの隣に腰掛けている私たち共通の友人が肩を抱いたままその涙を優しくハンカチで吸い取った。

 切れ長の目にきっちりと短く整えられた髪、細くしっかりとしたシルエットに色気まで感じさせるスリーピース姿の友人は相変わらず格好いいという言葉がよく似合う。


 ルカの涙を拭くその姿は、まさに美男美女の一組で、じっと眺めていれば視力が回復するだろうし、辺りの空気をパックして毒沼に撒けば花が咲き乱れ、今の光景を写真にとって売り出せば小金にくらいなるのではないだろうか。


 そんな絵画のような光景を目にしても、残念ながら私の心は特に沸かなかった。


 ちらりと右手側をみれば、私の彼氏がこちらをみていたようで目が合った。

 目の奥に浮かんでいる感情が私と同じものだと言うことを感じると、彼の方が小さく首を縦に振った。


 そのまま視線をスライドし、友人へと目配せをする

 私からの視線を感じたのか、ルカに向けていたあちらの視線が私のそれと重なり、彼氏の時と同じく軽く首肯された。


 本当に、なんでこんなことに。


 はじめが・・・と、この場にいない彼氏の名前をぽつりと漏らすルカの声を聞きながら、私は何でこんなことになってしまったのか、とため息をはくことなく、脳内に住む二頭身の私に大きく息を吐かせた。


 詞島琉歌しじま るか山上元やまがみ はじめ


 私の人生を彩り、正しい道へ進ませてくれた愛すべき友人たちのことを思いながら、現実逃避をするように私は初めて二人にあったときのことを思いだした。


 あぁ、そういえば言っていなかった。

 私の名は、大木桃おおき もも


 とりたてていうこともない一般的な中流会社員。

 そして、目の前で彼氏の名前をつぶやき涙を流す詞島琉歌の、高校以来の親友である。







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