彼女が着替えたら

ヤジマ ハルカ

第1話 日常の終わり


はぁ‥‥‥

今日も寒い‥‥寒すぎる



防寒対策してるのに、体がブルっと

震えてしまう



まだ本格的な冬が来てるわけでもないのに、

ここは本当に身体が冷える



外の日向で仕事してれば汗かけるのに、

倉庫内ってどうしてこうも寒いんだろう‥



仕事で邪魔になるため寒いけど

適当に束ねてくくった髪をゴムで縛り、

一切可愛げのない作業着に身を包み

慣れたものでもう七年目



大学を卒業してから、

これといって特にやりたいこともなく

就職した会社で営業にも向いていない

わたしは現場を進んで選んだ



大抵は力仕事の世界

女ができることなんて少ない中で、

わたしは届けられた荷物の整理や、

仕分け、ダンボールに納期や届け先の

伝票を貼る作業をしていた



時々事務所


または時々電話応対や接待



それくらいの方が人付き合いの苦手な

わたしには似合ってる



『あ、甲斐田さん、いいところにいた。

 もうすぐ仕事上がりだよね?

 久しぶりにみんなで飲みに行きませんか?』




座り込んで仕分けをしていたところに

笑顔で現れたのは上司の東井さんだ




「すみません、誘っていただいたのですが

 今日恋人と会う約束してまして。」



わたしより二つ上と歳の近い

東井さんは、女のわたしにも

関係なく異動してきてから

優しく接してくれている



優しくて顔も普通にカッコいいのに

彼女がいないなんて不思議なくらいだ



年齢も31歳独身。

みんながほっとかないくらいな

有料物件な気がしてならない



作業着も悪くないけど、

スーツ着たらかっこいいのにな‥‥



同じ作業着なのに、

スタイルがいいからより似合ってるけど、

フォーマルな姿も見てみたいなんて

彼女でもないのに思ってしまう




『‥そっか残念‥‥また今度な。

 じゃあ今週もお疲れ様』



「ありがとうございます。

 また誘ってくださいね。」



軽く手を振って去る東井さんに

笑顔で頭を下げると、残りの伝票整理を

しながら荷物を仕分けした




‥‥ちょっと時間過ぎちゃったかな



ロッカールームで急いで作業着を脱ぎ

私服に着替えているとスマホがメールの

受信を知らせた。



悠介かな‥‥あ、やっぱりそうだ。



18時30分にいつものカフェで

待ち合わせなのにあと15分しかなく

急いでセーターを頭から被りメールを開いた。



「あ‥なんだ‥良かった‥悠介も遅刻か。」



30分遅れる


たった一言の短いメールに、

急いでいた手を止めて着替えると

ロッカールームについていた小さな

鏡に映る自分の顔が

とても疲れていることに気づいた



付き合って一年で

こんな内容のメールになって

返す内容も了解の一言



もう少し自分が若くてわがままが言えるなら

もっと会いたいとか可愛く

言えたのだろうか‥



髪の毛ボサボサ‥‥


昔はちゃんと巻いたりしてたのに

いつからやらなくなったっけ‥‥

今日は恋人に会う日って分かってても

いつも通りになってしまっている。




あ、三人目のDV男の辺りから?



はぁ‥忘れよ。

悠介がせっかく時間作ってくれたんだもん



今までのろくでもない恋の変歴など

頭の外にかき出した。



ガチャ



あーやっぱり今日寒い‥‥‥



倉庫内も寒いけど、外に出た途端に

暗闇に吐かれる白い息に

襟元がゾクゾクっと震える



カフェに着いたらあったかい飲み物

早く飲みたい‥‥



上着のポケットに両手を突っ込み

待ち合わせ場所があるカフェに

急足で向かうことにした。



チリン



「ごめん、遅くなって‥待った?」



付き合ってから一年間、待ち合わせに

使っていたカフェのいつもの席に

スーツ姿で座る彼がいる



この光景も今では

当たり前になってしまった。



たまには駅前とか他の場所で待ち合わせ

してもいいのに、ここで待ち合わせて

彼の車で出掛けるのが殆どだ



『‥‥奈央、仕事お疲れ様。

 そんなに待ってないから。』



「そっか、寒いからあったかい飲み物

 頼んでいい?」



既に悠介はコーヒーを飲んでいたので、

わたしも店員さんに温かいカフェラテを

注文し、冷え切った身体にそれを

流し込んだ。



「今日珍しいね、悠介の方から誘って

 くれるなんて。何かあった?」



冷え切った身体を温めたくて、

熱々の飲み物をなん度もすすってから

目の前の相手に視線をうつす



普段から落ち着いてて、

あまり自分から沢山話す方ではないから

静かなのには慣れてるけど、

なんとなく今日の悠介は変だった



『‥‥あのさ』


「ん?」



『ごめん‥‥‥‥‥奈央と別れたいんだ』



えっ?



飲んでいた唇をカップから離し

目の前の恋人を見ると、

笑い話ではなく思い詰めたように

暗い顔をしていた



別れたい‥‥って聞こえた‥‥?



先週だってこうして会って

ご飯食べてドライブして

ホテル行って身体も重ねて愛し合ったのに?



普通に過ごしてきたのに‥‥



なんで‥‥



口元まで出そうな声を唾と一緒に

飲み込んでから震えそうな手に力を込めて

静かにカップを置いた。



『奈央が悪いわけじゃない‥‥ただ

 俺が一緒にいるのが無理で辛くなった。』




ズキン



「‥‥‥そっか‥‥分かった。

 ごめんね、辛くさせて‥」



理由が知りたい‥‥



今までだってろくでもない恋愛してきた。



でも悠介とは

‥‥もしかしたらこのままって

どこかで夢見てしまっていたんだ‥



歳も同い年で、

話しやすくて楽しくて

一緒にいると安心して、

もうこれが最後の恋だろうなって‥‥



『本当にごめん‥‥会計済ますから

 先に行くな‥‥それじゃ‥」



えっ?



伝票をを手に立ち上がる悠介を

見ることが出来ない‥



引き止めたい‥‥それなのに

弱い心が邪魔をしてうまく声が出ない。



下を向いたまま

零れ落ちそうな涙を堪えて

膝の上で両手を握りしめる



泣いたらダメ‥‥

きっと悠介を困らせるからって



店員さんのありがとうございましたの

声かけとドアを閉める音を聞いた途端

口に手を当てて声を殺して泣いた。



またダメだった‥‥

私‥‥もう誰とも付き合えない‥‥



いつもこうだ。いつも捨てられる‥‥


こんな思いするのはもう最後でいい。



悠介‥‥‥



ここはで名前を唱えると、

一年過ごした思い出が蘇り

すぐ嫌いになれない苦しさでいっぱいになる。



はぁ‥‥飲み物があったかくて良かった‥



明日が週末の金曜日の夜



家路に急ぐ人、

夜な夜な遊びに街へ繰り出す若者、



その合間を抜けてわたしは仕事場に

戻ってきてしまった。



家に帰りたくない‥‥


帰って一人でいたらどうせ泣いて

変なこと考えてしまいそうだったから





「‥‥流石に倉庫内は誰もいないか‥」



事務所には明かりがついていたけど、

基本的に倉庫内は残業は殆どない。

その代わり二交代で

午前5時から午後3時までと、

午前9時から午後5時までに

分かれている。



閉められたシャッターの前に

しゃがんで座ると膝を抱えて俯いた。



「はぁ‥‥」



会社を出てまだ一時間しか経ってない‥


なんか‥‥呆気なかったなぁ。


外の寒さに纏めていた髪を解いて

くしゃっとさせる



悩んでてもどうしようもない‥‥

一緒にいるのが無理って言われたら

どうしようもないのだから。



きっと10代や20代前半なら

もっと引き止めたのかもしれないけど、

もうわたしも来年で30歳


重い女になりつつあるって感じてるのは

周りがどんどん結婚して、子供を

産んでるから。



でも悠介にそれを求めたことは

ないんだけど‥‥



「何がダメだったんだろ‥‥」



ガチャ



『えっ?‥‥あれ?‥‥‥甲斐田さん?』



ビクッ!



倉庫の横扉から出てきた人に

ボケッとしていた頭と重たい瞼が一気に開く



突然背後とかから聞こえる音って

妙にビビることあるよね‥‥



まさかこっちからはもう誰も出てこないと

思ってたから、

不意打ち過ぎて扉の方を向いてみた。



『何してるの?こんな寒いとこで‥』


「と、東井さんこそ‥‥飲みに行ったんじゃ

 なかったんですか?」



作業着姿から私服に着替え終えた

東井さんとは、つい先ほどサヨナラした

ばかりなのに、まさかの職場での再会に

お互いが驚いている



あ‥‥まずい


今、多分目がパンパンに腫れてるよ‥


『あ‥‥俺はやっぱり飲みに行くのやめて

 仕事少ししてたから今、上がり。』



飲みに行くの辞めたんだ‥‥



どうしよう‥‥

こんな顔見られたくないから

とりあえず帰ろうかな‥



「そ、そうだったんですね。‥あ、えっと

 じゃあ私帰りますね。お疲れ様です」



地面に座り込んでいたため

立ち上がってから両手でお尻をぱんぱんと

叩くと、俯いたままペコリとお辞儀をした



いくら暗がりでも、

倉庫の前は街灯が多くて

泣き顔が一目でバレてしまいそうで

ボサボサの髪を下ろしたまま歩き始めた。



同じ仕事場の人にこそこんな顔

見られたら来週から気まずい‥‥



東井さんは直属の上司になるし来週も

必ず顔合わせることになるから



『待って!』



えっ?



上着の上から手首を掴まれて驚くと、

すぐそばまで東井さんが来ていて

振り返った後しまったと思いすぐに

また俯いた。



なんで追いかけて‥‥‥



そんなにしっかり話したことが

ない相手だけに、足を止めるも

どうしていいかが分からない



『あ、ごめん‥‥でもやっぱり

 見てないフリ出来なくて‥‥』



やっぱり見られちゃったよね‥



相当泣いたから、化粧なんて大してしてない

顔は既に酷いことになってるはずだし、

さっきばっちり目があってるから仕方ない。



あのまま歩いて帰ってれば良かった‥



家はすぐそこだし、

その方が誰にも見られずに済んだのに

ここに来たのが失敗した。



「すみません、本当に大丈夫なので

 東井さんが心配することないですよ。」



『じゃあその顔で彼氏に会いに行くの?』



ドクン



心臓がドクドク鳴ってるのか、

掴まれた腕がドクドクしてるのか

分からないけれど、彼氏というワードに

止まっていた涙がまた滲む



一時間前までは彼氏だったんだよ‥‥


でも今は‥‥



グイッ


えっ?



事務所の方から

帰宅する人たちの声が聞こえてきたと

思ったら、腕を引かれて倉庫の横の隙間に

東井さんが私を隠してくれた



『あれ、東井さんまだ居たんですか?』



『忘れ物してしまって‥もう戸締りしたので

 帰るとこです。お疲れ様です。』


『お疲れ様です、また来週ねー』



街灯もなく暗いその場所を隠すように

前に立つ東井さんの後ろ姿が

泣いてる私の視界にうつり

また涙が溢れる



こんなに背が高かったんだ‥‥とか

作業着脱ぐと思ったより細いとか

悠介のスーツ姿とは違う男性の姿なのに

心が弱っている私には大きく見えてしまう



『フゥ‥‥甲斐田さんすみません、

 咄嗟にこんなところに押し込んでしまい』



「‥‥いえ、助かりました。

 ありがとうございます東井さん。

 もう帰りますから。」



カバンから既に濡れてしめったハンカチを

取り出して涙を拭き取ると、

私の頭に東井さんの掌が

優しくポンポンと触れる




なんで頭なんて触るの‥‥?

しかもなんで関係ない東井さんが

泣きそうな顔して笑ってるの?




仕事してる顔しか知らない先輩の

知らない顔に視線が逸らせない‥



『‥‥帰るなら送るよ。

 今の甲斐田さんを一人に出来ないから。』




ポンポンともう一度頭に触れた東井さんは、

今度は優しく私の手首を握ると、駐車場まで

ゆっくりと歩き始めた



振り切ろうと思えば出来た。


離してくださいって言うだけなのに‥‥



今どうしようもなく

一人になりたくない自分がいる



『乗って。すぐ車温めるから‥』



「‥‥ありがとうございます」



東井さんがなんの車に乗ってるかなんて

気にしたことなかったけど、まさかの

黒い高そうなレ◯サスで驚いた



あ‥‥中もすごい綺麗‥


高級車だけに内装もおしゃれで素敵なのに、

新車のように綺麗で乗る時に少し緊張した



私さっき地べたに座ってたのに

汚れてないだろうか?



そもそもそんなに綺麗な服じゃないし、

変なところが気になってしまう



『そういえば甲斐田さんご飯食べた?』



スマートに運転席に乗り込む東井さんは、

コートを脱いでいて、改めて見ると

すごく品のいいタートルネックの服に

ジャケットを着ていて、作業着姿とは

別人のようだった



やっぱり姿勢がいいし、体のラインが

整ってるからスーツ似合いそうなのにな‥



「まだです‥けど‥でも食欲が」


グゥーー



静かな室内に響く音に、

一気に顔が熱くなりお腹を押さえる



絶対‥‥聞こえたよね‥‥

相当大きかったから‥‥



『クス‥‥ハハッ‥体は正直だな。

 少しでも食べれるなら行かないか?

 知り合いのバーの飯が美味いから』



「でも‥」



『元気ない時は1人でいない方がいい。ね?』

 



「‥‥‥ありがとうございます。」




クスクスと笑う東井さんに

顔が真っ赤であろうわたしは

俯いたまま小さく声を出した



あれ‥‥私‥もう泣いてない?


さっきまで止まらなかった涙が

嘘みたいに止まってる



どうして?‥‥



『じゃあ行こうか。』



暗闇でニコっと笑った東井さんに

小さくコクリと頷くと、また頭を

ポンポンと優しく触られた

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る