第39話 伝説のおっさん、覚悟する
「そう――種としては下等でも、中には警戒すべき存在がいる。俺は学習した」
イジャールは次の攻撃を仕掛けてこない。かつて、俺がイジャールを倒せたのは、こいつが慢心していたからだ。
スピードもパワーも超一流だが、戦闘経験は浅かった。特化能力の知識もろくになかった。だから、勝てたのだ。
しかし今のイジャールは、賢くなっている。さらなる強敵になっていた。
今の消耗した俺でイジャールを抑えることができるか、それはわからない。
「そして、お前との戦いを何年も考えた。どうすれば勝てるかをな」
「……それがかくれんぼと紅い閃光か?」
「いいや、こんなものは前提に過ぎない。お前を殺す手は、しっかりとある」
そしてイジャールのマナが鳴動し、渦巻く。
灼熱のマナが凝縮され、両腕に結集していった。
それは人間だけの技術。
紛れもないマナの集中だった。
俺は唖然とそれを見ていた。
やつの両腕のマナは、いまや紅く輝く手甲のようだった。空気が熱せられ、蜃気楼が生まれる。マナをこれほど圧縮するのは、俺でさえ時間がかかる。
しかしイジャールはやってのけた。
研磨されたどころのマナではない。大気を焼き尽くすマナの拳だった。
魔獣もマナを操る以上、無意識に身体をガードする。しかし特定部位にマナを集中するのは、聞いたことがない。
しかもS級魔獣のマナで……。
これほどの脅威を、俺は感じたことがなかった。
「いいぞ、その表情……。やっと見れた」
相変わらず表情は変わっていないが、その声音は上ずっていた。俺を驚かせたのが、よほど嬉しいらしい。
「かくれんぼの種も、それか」
「……そうだ。お前たち、人間から学習した。お前もコレが得意なのだろう? 思い返すと、俺が殺した何人かも……コレをしていた」
九州を襲ったイジャールの討伐には、現地の覚醒者数十人が従事した。しかし第一陣は、イジャールによって全滅。その後も第二陣、第三陣が全滅した。
だが、これは政府が無能だからではなかった。イジャールの被害を抑えるため、覚醒者たちは進んで死地に赴いたのだ。
そして俺ら第四陣討伐隊によって、イジャールは死んだ。
それが、まさかこんな形で蘇ってくるとは……。
「ふん、でも俺と同じことが出来るようになった程度で、自信ありげだな」
「問題はない。同族でもう、試した。コレは素晴らしい」
イジャールの抑えていた殺意が、膨れ上がっている。しかしマナに揺らぎはない。完璧に制御していた。
「本当はもう少し、様子を見たかったが……我慢できん」
イジャールの漆黒の瞳が俺を射抜く。
「死ね」
何の捻りもない、殺意。
同時にイジャールが距離を詰める。
放たれるのは、正拳突きだ。
狙いは……さっき傷を負った、俺の左腕。
刹那の間に、思考が駆け巡る。
まずイジャールに勝てるのか。
恐らく、俺一人では勝てない。
俺の能力にも、大きな弱点がある。
それは能力の発動が『ダメージを負ったら』なのだ。
理論上、俺の力はダメージによって指数関的に増大する。
死にかければ死にかけれるほど、強くなれる。
しかし、ダメージから能力に反映されるまで、ほんのわずかなタイムラグがある。
イジャールクラスとの戦いには、致命的とまで言える差だ。
さらに死にかけても、イジャールを倒せないかもしれない。形勢が悪くなれば、イジャールは逃げるだろう。恐らくこのダンジョンを出て、街を燃やしながら別のダンジョンへ逃げる。
そうなったら、数千人が殺される。
迷っている余地はない。
俺はあえて、左腕のガードを解いた。
「ほう……!」
イジャールも予想外だったようだ。
だが、俺の特化能力は苦痛や精神攻撃にも有効である。
腕がちぎれても、どうということはない。
腕くらいなら、なくしてもどうにかなるのは、もう知っている。
イジャールの正拳突きが俺の左腕の肘を焼き飛ばす。
肉の焦げる匂いさえ、感じない。大気さえ燃えている。
だが、左腕を失くした瞬間――身体のマナがより強固になるのがわかった。
数段階、俺の中のギアが上がった。
捨て身もいいところだが、これしかない。
今の俺なら、一撃で戦車さえ砕ける。
左腕と引き換えに、俺は渾身の突きをイジャールの胴体へと放っていた。
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