ミドリガメ

姫路 りしゅう

9歳

 爬虫類が好きな少年だった。学校帰りに捕まえたニホントカゲをカゴに入れて、カナヘビを手に乗せて帰宅していた。背中を撫でて、指を噛ませた。ピンセットで虫を食べさせたこともある。テレビや図鑑の中、海の向こうにいる爬虫類への興味も尽きなかった。日本国内の種とは比べ物にならないサイズ。全く異なるカラー。そのインパクトのある見た目の生物と実際に爬虫類園で対面したときの衝撃はいまだに忘れられない。


 9歳の夏、おれは父親とペットショップに行った。父親が飼っていたグッピーだかネオンテトラだか、小魚共の餌や水草を買いに行く予定だった。そこでおれは、一匹の亀から目が離せなくなった。


 ミシシッピアカミミガメ。

 幼体はミドリガメとも呼ばれる。


 その飼い亀の中で最もポピュラーな亀がばっちりおれの方を見ていた。負けじとおれも見返す。そのまま数十秒が経過して、おれはその亀が好きになってしまった。

 飼いたい。

 うちは犬や猫などペットを飼っておらず、人間以外は父親の小魚しかいなかった。

「お父さん、おれ、この亀飼いたい」

「…………」

 品定めをするような目だった。

 無言の圧が、『世話できるのか?』という疑問を投げつけてきていた。その圧に負けないためにもう一度「飼いたい」と言った。

「亀の世話は大変だぞ」

「そうなの?」

「何をやればいいと思ってる?」

「餌やり」

「餌やりと、水槽周りの掃除と、日光浴だ」

 日光浴という聞き慣れない響きにおれは少し戸惑った。「日光浴?」きょとんとした顔で尋ねる。

「亀は太陽の光で強くなるんだ。太陽の光を浴びないと甲羅も骨も弱まって死んでしまう」

 後に調べたところによると、亀は紫外線を使って体内でビタミンDを生成し、甲羅や骨を育てるそうだ。当時のおれがビタミンDどうこう言われてもわからなかったと思うので、この説明は最適だった。

「じゃあベランダで飼うよ。ベランダなら昼間ずっと光が当たるでしょ? そしたらめちゃくちゃ強くなれるよね」

 父親はゆっくりと首を横に振った。

「太陽光を浴びさせすぎると、亀は熱中症で死ぬんだ」

「…………」

「基本的には日陰で飼育。ただし一日十分程度太陽の光に当てること。学校から帰ったら何時だ?」

「四時くらい」

「ならもし友だちと遊びに行くとしても、十分だけ亀を日光浴させてから遊びに行け。できるか?」

 簡単だった。

 毎日十分間亀の水槽をベランダに出すだけ。

「父さんは絶対に世話しないからな。それでもいいか?」

「いいよ。世話できるもん」

「わかった。わからないことがあったらなんでも聞いてくれ。でも父さんはなにもしない。実行は全部お前がやること。これを約束できるなら飼ってやる。お母さんの説得は……仕方ないから父さんがやってやろう」




 暑い夏だった。

 ミドリガメは二週間で死んだ。


 亀の水槽をベランダに出したまま遊びに行って、そのまま三日ほど放置していた。

 初日の夜に父親から「亀出しっぱなしだぞ、しまえよ」と言われたにも関わらず、おれはその時アニメを見ていて、アニメを見終わる頃には忘れていた。


 気付いたときにはもう亀はほとんど動かなくなっていて、それから三日後に死んだ。熱中症になり、のろのろと弱々しく動くことしかできない亀を見て、おれはようやく自分がとんでもないことをやらかしたことに気が付いた。


「最後まで見届けろ。それがお前の責任。命を預かったことに対する責任だ」


 緩やかに死んでいく亀を二人で見ながら、父親が言った。父親が亀を世話しても良かった。もう一度おれに警告してくれても良かった。けれど父親はそれを教えるためだけに、命の責任を教えるためだけに、それをしなかった。おれたち二人に見守られて、ミドリガメは死んだ。

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