治癒魔法は役立たない

黄黒真直

前編

 その果樹園も、人の手が入らなくなって早数年が経っていた。もしクロエが来ていなかったら、ここの果樹たちは全て枯れ果てていただろう。もっとも、クロエが来たところで、彼らの運命はそう大きくは変わらない。早く枯れるか、遅く枯れるかの違いだけだ。

 半分以上の果樹は枯れていたが、まだかろうじて生き残っているものも多くあった。クロエはほっとため息をつくと、その中から一本の木を選んで、幹に触れた。

「光の魔女の名において命ずる。汝の生命の時を戻せ。ル・フォルス・ネルテル」

 呪文を唱えると、クロエの手の平から金色の光があふれ出した。それとともに、枯れかけていた木がみるみる蘇っていく。

 垂れ下がっていた枝は瑞々しさを取り戻し、力強く立ち上がった。茶色に変わっていた葉っぱは緑色に戻り、さらに新たな葉を次々と出していく。痩せた老人のようだった見た目が、希望に満ちた若者のように生まれ変わる。枝の先から何輪もの花が咲き、赤い大きな果実をいくつもつけた。

「ふぅ、こんなものかしら。あら、これ、ノレムの木だったのね」

 クロエは手近な位置にできた果実をもいだ。手の中に収まる程度の大きさだった。

 ちょうどお腹が空いていたクロエは、皮もむかずに、そのままかぶり付いた。それはまさに食べ頃だった。薄皮の下の白い果肉は、シャリシャリとしたノレム特有の食感だ。中央付近の黒い種は指でかき出し、クロエは一玉丸ごと、ぺろりと食べ切ってしまった。

「ああ、美味しかった。きっと、もともといた農家の方が、優秀だったのね。ここの木は全部、ノレムの木なのかしら?」

 独り言を言いながら、クロエは隣の木も、その隣の木も、次々と蘇らせていった。

 正確に言えば、クロエは「蘇らせて」いるわけではない。彼女にできるのは「治癒」だけだ。完全に枯れてしまった木は、クロエの力をもってしても、蘇らせることはできなかった。

 一通り木々を治癒すると、クロエは果樹園の端にあった大きな木の根元に座り込んだ。さすがのクロエも、これだけの本数をいっぺんに治すと疲労が溜まる。もぎ取ったばかりのノレムをシャリシャリと食べながら、クロエは果樹園を見渡した。

 雑草が無尽蔵に生えていて、見た目は良くない。ここにしばらく住むのなら草むしりが必要だ。果樹は全てノレムだったので、他の果物が食べたければ、近くで別の果樹園や田畑を探した方がいいだろう。

 周囲はどうだろうか。ここに来る途中で観察した限りでは、街道が近く、川もあって、住むには悪くなさそうだ。

「あとは、魔物がいなければいいのだけれど」

「グルルルル……」

 言霊の力というやつだろうか。クロエが心配事を口にした瞬間、まさにその魔物の鳴き声が聞こえた。しかも、結構、近い。

 ノレムの残りを口に詰め込むと、クロエは立ち上がった。呻き声は、果樹園の外から聞こえてきているようだ。鬱蒼とした雑草に阻まれて、その姿はまだ見えない。

「もご……困ったわね……むぐ……倒すべきかしら……ごくん」

 一般人なら魔物の声を聞いた途端に逃げ出してしまうところだが、クロエは落ち着いていた。ノレムを飲み込んでから、魔物の正体を確かめようと前に進む。

「一匹二匹くらいならいいのだけど、いっぱいいたらどうしましょう。もし巣があるようなら、この果樹園は諦めないといけなくなるけど……」

 ガサガサと、わざと音を立てながら進んでいく。すると、少し先の雑草が大きく揺れた。

「グァアアア!」

 四つん這いの小さな魔物が、クロエ目がけて飛びかかってきた!

 クロエは咄嗟に腕を前に出した。魔物の牙が、その腕に突き刺さる!

「いったぁっ! こいつは、スキロスね! ってことは、集団でいる可能性が……あら?」

 よく見ると、そいつの毛並みはボロボロで、肌もただれていた。牙の本数も少ない。明らかに弱っている……いや、明らかに死んでいる。

「なーんだ、アンデッドだったの。全く、よくもやってくれたわね! ル・フォルス・カブ!」

 クロエがごく初歩の、簡易的な治癒魔法を唱えただけで。

 彼女に噛みついていたスキロスの体は、パッと強烈な光に包まれ……次の瞬間には、消滅していた。

 アンデッドとは、死体だ。魔力を持った獣(魔物)や人間が死んだとき、稀にアンデッドになる。死んでいるが故にあらゆる攻撃魔法が効かないが、治癒魔法を受けると逆にダメージを食らう存在だ。

 クロエはため息をついて、その場にへたり込んだ。噛まれた腕を見ると、痛々しい傷から血が流れ出ている。クロエは慌てるでもなく、その様子をじっと見ていた。どうせ、すぐに治る。

「あっ、しまった。うっかり消滅させてしまったわ。生け取りにするべきだったのに」

 久々に出会ったアンデッドだったから、ついやってしまった。次にアンデッドを見つけたときは生け取りにして「実験」しようと決めていたのに……。

「他のアンデッドはいないかしら? 生きてるスキロスなら、集団で生活してることが多いけど……」

 クロエが耳を澄ませていると、再び、雑草の揺れる音がした。

「えっ、本当にいるの?」

 痛む腕を押さえながら立ち上がる。アンデッドなら生け取りにして、そうでなかったら逃げよう。頭の中でそう決めて、音のする方を見る。

 だがそこから現れたのは、予想外の生き物だった。どうすべきか全く考えていなかった相手だ。

 それは、相手も同様だった。クロエの姿を認めると、信じられないものを見るような目になった。

 そこにいたのは。

 二足歩行をする、背の高い、人間の男。

 クロエと彼は、同時に叫んだ。

「「生きてる人間だああああぁぁぁ!!!!」」


***


 その戦争は、ある日突然始まった。魔物達が統率を取り、彼らの長らしき魔物の指示で、人間達を襲い始めた。人間達はその謎の長を、魔王と呼んだ。

 魔王軍と人間軍の戦争は、日に日に熾烈さを増した。魔物は人間より武力で劣ったが、数と生命力で勝った。人間はジリ貧だった。

 そして三年前、その戦争は終結した。

 人間の絶滅によって。


「……と、私は思っていたのだけど」

「俺もだ」

 二人は大きな木の根元に座り込んだ。お互い、三年ぶりの会話だった。

「まさかお前みたいな子供が生き残ってるとはな。というかお前、怪我してるじゃないか。大丈夫か」

 男がクロエの腕をつかんだ。ひんやりとした手だった。だが、つかまれたそこは、カッと熱を帯びた。

 三年ぶりに触れた人間の体。それも男の手。心臓が飛び跳ねたのだ。

「だっ、だだっ、大丈夫よ! 痛みはあるけど、こんなのすぐ治るわ」

「そんなはずないだろう。血は止まってるようだが、傷はかなり深いぞ」

 男は傷を覗き込んだ。例のスキロスにつけられた咬傷は、まだ痛々しい見た目のままだ。

「まずいな。まずは清潔な水で洗っ……て……。え?」

 クロエの腕を凝視したまま、男の動きが止まる。

「な、なんだ、この傷。動いてるぞ」

 驚きのあまり、男が手を離す。クロエは触られていた辺りをさすり、傷もさする。クロエがさするだけで、傷はみるみる治っていった。

「だから言ったでしょ、大丈夫だって。放っておいてもすぐに治るし、こうして触ればもっと早く治る。私、治癒魔法使いだから」

 話しているうちに傷は浅くなり、やがて塞がった。服には穴が空いたままだが、もう傷は全く見えない。

「そんなまさか……。自分自身を治癒できるのは、治癒魔法使いの中でもごくわずかだ。王国の中では、王女以外には二、三人しか……」

 ハッと気がついたように、男はクロエに顔を近づけた。

「待てよ、お前の顔、見たことあるぞ。自分自身を治癒できるほどの魔法使い。そしてこの顔」

 男の顔が、吐息がかかりそうなほど近くにくる。三年ぶりに男の顔を見て、クロエの心臓はまた跳ね上がった。

「そうだ、思い出した。お前、アスピリーナだな! クロエ・アスピリーナ。黒き光のアスピリーナだ!」

 その二つ名で呼ばれるのも三年ぶりだった。いや、これは二つ名などという、名誉な呼び名ではない。憎悪に満ちた忌み名だ。

 クロエはシニカルな笑みを浮かべた。

「ええ、そうよ。私はあの戦争で最前線に立っていた、使クロエ・アスピリーナよ。……あなたを治療したこともあったのかしら?」

 男は首を振った。

「いいや。幸か不幸か、お前の世話になったことはない。しかしそうか、お前があの……。もし戦争に勝っていれば、お前は歴史に名を残しただろうな」

 男は再び、クロエの顔をまじまじと見た。生きている人間に出会えた喜びよりも、歴史に名を残しうるほどの有名人に出会えた好奇心の方が勝っているようだった。

 クロエは戦前から、「史上最強の治癒魔法使い」として名を知られていた。枯れかけた植物でも、死の淵にいる人間でも、彼女が触れ、呪文を唱えれば、たちどころに治ってしまう。クロエが本気を出せば、老化すら治癒できるほどだった。

 当然、クロエは戦争で最前線に招聘された。傷ついた兵士を、傷ついた端から瞬時に治癒し、再び前線へ投入するためだ。彼女は日に、何百人、何千人と治癒した。

 それは言い換えれば、死にかけた兵士を、再び死地へ送るための行為だった。兵士達にとっては地獄のような苦しみだったろう。魔物に殺されかけ、瀕死の重傷を負っても、すぐに再び戦場へ狩り出される。日に何度も彼女の治癒を受ける者もいた。つまり、一日に何度も死の恐怖を味わったのだ。

 やがてついた二つ名が、黒き光のアスピリーナ。聖なる治癒魔法を意味する「光」を、死と災厄の闇魔法を意味する「黒」で修飾した名だった。

「そ、そんなことより」

 クロエは男から距離を取った。

「あなたも名乗りなさい。あなたはどこの誰なの? どうして生きてるの?」

「子供のくせに随分な物言いだな。まぁいい。俺はハレック・カニス。元は……シエンシア王国の兵士だ。なぜ生きているのかは、俺にもわからない」

「ふぅん?」

 ハレックは、明らかに何かを言い淀んだ。隠し事でもあるのだろうか。たった二人しかいないのに?

 隠しているというよりは、言いたくないのかもしれない。あの戦争で、人類は滅亡した。普通なら、生き残った人間は思い出したくもないトラウマを抱えていてもおかしくない。

 クロエだってそうだ。自分が多くの兵士から恨まれていたことなど、忘れ去りたい記憶だ。彼女だって、苦しむ兵士たちを再び戦場に送ることに、抵抗がなかったわけじゃない。ただ命令に従っただけ。クロエは心を殺して、軍務に服従していただけだ。

 クロエは、彼の秘密には立ち入らないことにした。

「それじゃ、ハレック、これからよろしくね。私たちはどうやら、この世界でたった二人の人間みたいだから」

「……。ああ、そうだな」

 ハレックはやはり、何かを言い淀んでいた。


***


 幸い、この果樹園の周囲には、あまり魔物はいなかった。クロエはしばらくの間、ここに住むことにした。

 まずは、住めそうな場所の確保だ。果樹園なのだから、近くに管理小屋があるはずだ。探してみると、川の近くに木造のオンボロ小屋を発見した。三年間放置されていたせいで埃まみれだ。それに、家具が散乱し荒れていた。

「見事なオンボロ具合ね! 直しがいがあるわ!」

 クロエは張り切って腕まくりした。

「修理できそうな道具があると良いんだけど……」

 小屋の中を探していると、「ふっ」と鼻で笑う声がした。ハレックだ。

「な、なによ」

「いや、独り言が多いなと」

「し、仕方ないでしょ! ずっと一人で生活してたんだから!」

「すまんすまん。馬鹿にしたわけじゃない。俺もそうだから、面白いと思っただけだ」

 クロエも思わず、「ふふっ」と笑ってしまった。

 お互い、人類史上最も孤独な三年間を過ごしてきたのだ。どんな些細なことであっても、二人に共通の話題があるというだけで、クロエは嬉しくなった。

「ところで、こういうのは魔法で直せないのか」

 ハレックは脚の折れた椅子を持ち上げた。太い木製の脚が、真ん中でばきりと折れている。さっきのアンデッドみたいな魔物が、力任せに叩いたのだろう。

「直せないわよ。治癒魔法は生き物にしか効かないわ」

「そうじゃない。お前は魔法使いなんだろう? 建物くらい、大工みたいに魔法でひょいひょいと直せないのか?」

 ハレックが言っているのは、おそらく、建築魔法の類だ。たいていの大工はそうした魔法を会得していて、仕事で使う……というより、会得してないと仕事にならない。

「ああいうのは……ああいうのは、無理よ」

「なんでだ?」

「建築魔法は、私の守備範囲外なの!」

「なんだ、そうなのか」

 ハレックの答えはあっさりとしていた。

「すまんな。有名人に会えた興奮で色々聞いてしまうんだが、治癒魔法以外にはどんな魔法が使えるんだ? やっぱり、空を飛んだり、動物を操ったりできるのか?」

 すまんと言いつつ、ハレックは遠慮がなかった。そしてどれもが、クロエにとって答えたくない質問だった。

「……ぇない」

「なんだって?」

「使えない! 使えないわよ、飛翔魔法も、動物魔法も!」

「そんなはずないだろう。お前は史上最強の魔法使いなんじゃなかったのか?」

「史上最強の魔法使いよ! でも、治癒魔法以外の魔法は、一切使えないの!」

 ハレックは呆気に取られたようだった。「史上最強の治癒魔法使い」という噂が一人歩きして、いつしか治癒魔法以外の魔法も強力だと勘違いされてしまっていたのだ。クロエは戦前から、何度この勘違いを正してきたことか……。数年振りのやり取りに懐かしさを感じつつも、精神的疲労がどっと押し寄せてきた。

「驚いたな。そんなことがあるのか」

「普通は、ないわ。たいていの魔法使いは複数種類の魔法を使える。でも私は一種類しか使えない」

「なるほど、それで逆に、魔力が治癒魔法に集中して、最強になれたのか」

「さぁ……知らないわ。というか、あなたはどうなの? 何か魔法は使えるの?」

「いいや、俺は一切魔法を使えない。その代わりといっちゃなんだが」

 ハレックはずかずかと、クロエに近づいてきた。大柄の男が近づいてきて、クロエは思わず一歩引く。その踵が、背後にある硬い何かにぶつかった。

「な、なに?」

 ハレックは無言でクロエの隣にしゃがむと、クロエの背後にあるものを掴んだ。それは倒れた棚だった。大人の背丈ほどある重そうな棚を、ハレックは軽々と持ち上げて、壁に立てかけた。

「こういうことはできる」

 埃が舞う中、ハレックは澄まし顔で言った。クロエがどんなに力を込めても持ち上がらなさそうな物体を、まるで絹糸でもつまみ上げるかのような気楽さで立たせてしまった。

「すごい……」

 クロエが褒めると、ハレックは得意げになった。小さく笑うと、クロエを見下ろして言った。

「治癒魔法は役立たないが、俺は役立ちそうだな」

「な、な……なによその言い方! あなたが怪我しても治してあげないからね!」

「ハハ! 黒い光魔法なんて、こっちから願い下げさ!」

 ハレックはわざとらしく笑い声を上げた。


 なんにせよ、小屋は修理しないといけない。クロエは荷物の中から布切れを取り出し、川の水で濡らした。それでせっせと、床や壁を拭く。

 それと並行して、ハレックは小屋の中を整理した。一度中のものを全て外に出し、使えそうなものを選別する。

 ここはもともと、二、三人が詰められる管理小屋であったらしい。それなりの広さと、大きめのテーブル、仮眠用と思しき簡易ベッドもあった。当然、斧や鉈などの農具や工具もたくさんある。ハレックはそれらを一つ一つ点検した。

「錆びてるものが多いな。それに血糊がついてるものもある」

「血糊っ!?」

 ハレックの独り言を聞いて、クロエは叫び声を上げた。

「ここで戦闘があったのだろうな。探せばどこかに死体もあるかもしれん。とっくに骨になってるだろうが」

「ぶ、不気味なこと言わないでよ」

「死体ぐらいで何を怯えているんだ。戦争中も、この三年間も、腐るほど見ただろう?」

「そうだけど……だからって慣れるわけないでしょ」

「ふん。お子様だな」

 ハレックは鼻で笑った。

 クロエはムッとしながらも、たった二人しかいないのに喧嘩するわけにもいかないと思い、表情には出さなかった。小屋に戻って、濡らしてきた布で拭き掃除を続ける。

 ハレックが家具も道具も全部外に出したので、小屋の中はガランとしていた。床には家具の形に埃が積もっている。

 管理小屋には箒もあったので、クロエはまずそれで塵や埃をある程度外に掃き出した。ひと掃きするとブワッと埃が舞い上がり、クロエは咳き込んだ。慌ててガラスの窓を開け、換気をする。そのガラス窓も、半分割れていた。

 そして今は、床をせっせと拭いていた。部屋の隅から拭き始めたが、少し拭くだけで布が真っ黒になる。川と小屋を何往復もするうちに、クロエは心が折れかけた。

「せめて桶(バケツ)があればよかったのに」

 果樹園の管理小屋なので、当然バケツはあった。しかし全て底板が割れてしまっていたのだ。

 クロエが嘆いていると、ハレックが小屋に入ってきた。

「おい、クロエ。直ったぞ」

 その手には、まさにバケツが抱えられている。しかも中には川の水が入っていた。

「えっ、直った!?」

「ああ。急拵えだから少し漏るが、無いよりマシだろ」

「な、なんでわざわざバケツを?」

「そりゃ、お前が何度も往復していて大変そうだったからだ。いらないのか?」

「いる! いるわ!」

 クロエはバケツを受け取った。ずしりと水の重みを感じる。ハレックの言う通り、確かに底から少し水が漏れていた。それでも、ハレックがわざわざ木を切って、修復してくれたのだと思うと、クロエは感動した。

「助かったわ……ありがとう、私のために」

「何言ってるんだ。俺たちしかいないんだから、助け合うのは当たり前だ」

 照れた様子もなくハレックはそう答えた。


「な……直ったーー!」

 クロエは両手を上げた。小屋を寝起きできる程度にまで、なんとか直すことができた。あたりはすっかり暗くなっている。真夜中になる前に直せて本当に良かった。

「お疲れ様だな」

 そう言うハレックは、少しも疲れた風に見えなかった。

 クロエはテーブルにランタンを乗せると、硬いベッドに腰掛けた。

「ああ……疲れたわ。このまま寝てしまいたい」

「好きにしな。俺は腹が減った」

 ハレックはノレムの実をひとつ、手に取った。さっき彼が、カゴを直したついでにいくつか収穫してきたのだ。

「待って、私も食べたいわ」

 クロエはよろよろとベッドから立ち上がると、二人で果実を食べ始めた。

「しかし食事がこれだけと言うのは辛いな。明日からは獣や魚を探すとするか」

「そうね。手伝うわ」

「お前、狩りができるのか?」

「そりゃあ、三年間一人で生きてきたんだから、獣を捕まえるくらいできるようになってるわよ」

「それもそうか」

 満腹になると、クロエは体の汚れが気になってきた。髪も服も埃まみれだし、体は汗まみれだ。そろそろ風呂に入りたかった。

 クロエは立ち上がると、ランタンを持った。

「なんだ? どこかへ行くのか?」

「汗かいちゃったし、川で水浴びしてくるわ」

 するとハレックも立ち上がった。

「暗くて危ないだろ。着いていってやる」

「そう? ありが……」

 とう、と礼を言いかけて、クロエはハッと気がついた。

 クロエは三年ぶりに人間に、しかも男に出会った。つまりハレックから見れば、クロエは三年ぶりに出会った女なのだ。色々いるに違いない。

「ま、ま、まさか、覗く気!? っていうか、お、襲う気!?」

「何を言っているんだ?」

「だ、だ、だって、そうでしょ! 三年ぶりに女の人に出会って、男の人が何も思わないはずがないわ!!」

「はぁ?」

 ハレックは物凄く不快そうな顔で、クロエの体を上から下までジロジロ見た。そして、「ふんっ」と鼻で笑った。

「いくら三年も女に会わなかったからって、そんなガキみたいな体に欲情するものか」

「ガ、ガキですって!? 私、これでも十九歳よ!」

「十九?」

 ハレックは再び、クロエの体をジロジロと見た。

「ふんっ。ばかを言うな、どっからどう見ても、十二、三歳の体じゃないか!」

 そう言ってから、ハレックは「……そんなばかな」と自分の発言のおかしさに気がついた。

「お前の噂は、戦争の前からうっすら聞いたことがあった。つまり十年近く前には、お前の治癒魔法の威力が知れ渡っていたってことだ。計算が合わない」

「合うわよ。私は今、十九歳なんだから」

「じゃあ、どうしてそんな貧相な体なんだ?」

「貧相って言わないでよ! 私は、成長……というか、老化が『治癒』されているの。だから、普通の人より何倍もゆっくりとしか、体が成長しないのよ」

「そんな話、聞いたことがない」

「でしょうね。『人類史上最強』の治癒魔法じゃないと、こうはならないわ」

 人類史上、こんな例はほかに存在しなかった。それはつまり、クロエが今後どうなるかもわからないということだ。

「……お前、寿命はあるのか?」

「わからないわ。もしかしたら私は、あなたが天寿を全うしたあとも、一人孤独にこの世界を生き続けるかもしれないわ」

「恐ろしい話だな」

「そうね」

 クロエは孤独というものを、この三年間嫌というほど味わった。最近は慣れてきた……気がしているが、もしハレックが死んで、再び孤独に陥ったとき、自分がどうなるかはクロエ自身にもわからなかった。

 そして、だからこそ。

 それを防ぐ計画を、クロエは立てていた。

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