第98話 夏のせい
最後の花火が一際大きな花を咲かせて、ゆっくりと溶けて無くなった。
何かしらの音がひっきりなしに鳴り止まなかった時間は終わりを告げ、夜空は静寂に包まれる。
色々思うことはあるが……俺は感動している。
お祭りなんてたいして好きでもなかった俺がこうして楽しみ、花火なんてうるさくて眩しいだけの炎色反応だと鼻で笑っていたこともある俺が花火を楽しみ、その終わりに寂しさを感じている。
これも全部陽菜のおかげだ。
彼女といたからこんなにも楽しむことができたのだと改めて実感している。
もう花火の咲かない夜空を見上げたまま、腕を少し動かすと、指先に温もりが感じられた。
隣に転がる陽菜の手だ。ちょっと動くだけで触れ合える距離感で、なんとなく余韻に浸流無言の時間もまた心地いい。
そうやって遠くの星を見つめていると、触れていた指先が俺の手を這い上がり、ぴったりと重ねられた。
特に言葉は交わさないままにぎにぎぺたぺたされる。
この小さな手に引かれて、今日一日中振り回されたのがあっという間だった。
「玲くんの手、おっきくて、温かくて、安心するので好きです」
「俺も陽菜のちっちゃくて、かわいくて、俺をどこにだって連れ出してくれるこの手が好きだ」
手を握ると陽菜の手がすっぽりと収まる。
確かに安心する。陽菜といるのが、毎日のように触れ合える時間が当たり前みたいになってきたから、触れ合えない時間を不安に感じた。
でも、その分こうできることを実感できる喜びも大きくなっている気がする。
そうやってしばらくの間夜空の星とお互いの息遣いだけで幸せを感じていると、にぎにぎとこねられるような手つきが静かになった。
「陽菜……? 寝たのか……?」
ふと顔を横に向けると、むにゃむにゃと気持ち良さそうに寝息をたてる陽菜の顔があった。
比較的早い時間から母さんに拉致されていたのもあるだろうし、花火が始まる前まであんなにもはしゃいでいたのだから、疲れているのも無理はないか。
しかし、それはそれとしてここで寝られるのは困るな。
夏とはいえ日が落ちると肌寒く感じる。
陽菜が浴衣の下に何を着用しているのか定かではないが、場合によっては風邪を引いてしまう可能性もあるだろう。
「陽菜、家に帰るまで頑張れるか?」
「すぅ……すぅ……」
「無理そうだな。さて、どうしたもんかね……」
夢の世界に旅だったお陽菜様を連れて帰るにはどのようにすべきか……。
サプライズだったから浴衣姿の陽菜がより輝いたというのは否めないが、こうなってしまったら事前に知っておきたかった気持ちも少しある。
祭りに向かっていると気付いたのは電車の中だ。
どこに連れ出されるか知らぬまま母さんが指定した場所に向かっていた身なので、帰りのことまで頭が回っていなかった。
陽菜はここまでどうやって来たのか。母さんと一緒だったからおそらく車で送迎してもらった感じか。
眠った陽菜を抱えて電車移動は……不可能では無いが、ある程度混むことを考えると理想的ではない。
誰かさんが張り切って乱獲したおかげで荷物も多いからな。
かといってあまり待つのも現実的ではないな。
とりあえず母さんに電話をかけてみるか。もしかしたら迎えに来てくれるかもしれない。
「もしもし、母さん?」
「あら〜、どうしたのかしら? 誕生日プレゼントの感想?」
「いや……まあ、最高だったけどさ」
「そうでしょ〜。陽菜ちゃんかわいいし、浴衣もすっごく似合ってて素敵だったものね。玲のお誕生プレゼントじゃなかったら私も一緒に回りたかったわ〜」
「……地獄絵図かな?」
花火大会デートwith母さんとか一種の拷問だろ。
もしそんなことになったら誕生日プレゼントどころではない。陽菜を置いて去ってくれてよかったと切実に思う。
「陽菜ちゃんはどう? 怪我とかしないで楽しめたかしら?」
「それは問題ない」
「それはよかったわ。その陽菜ちゃんは?」
「疲れて眠ってる。朝から母さんに連れ回されたからだろ。だから帰りどうしようかなと思ってな。母さん、迎えに来てくれないか?」
「あら、ごめんなさいね。陽菜ちゃんの浴衣姿を肴に一杯やっちゃったわ」
一杯やった……ということは、酒を飲んだということか。
何を肴にしているんだと突っ込みたいところではあるが、今はこらえる。
飲酒運転をさせるわけにはいかないので、母さんを迎えに来させる線は消えたか。
「玲も男の子なんだから彼女の一人くらい抱えて帰れるでしょ? 寝てるのをいいことにおんぶしておっぱいとかおしりとか色々楽しんじゃってもいいと思うわぁ」
「ぶっ……げほっ。おい、酔ってんのか?」
「酔ってないわよぉ」
そんなさも当たり前のようにセクハラ推奨するなよ。彼女だからって何をしてもいいわけじゃないし、実の息子にそういう話をするなんて相当酔ってやがるな。
こりゃ、母さんはあてにできなさそうだ。
「あ、それかホテルで休憩とかすればいいじゃないかしら?」
「アホか。こちとら未成年だぞ?」
「あら~、私はホテルで休憩としか言ってないわよ~。玲ったらむっつりなのね。でも、男の子なんだから当然よね~」
「……うぜぇ」
「大人の休憩してもいいけど浴衣がシワにならないようにしっかり脱がせるのよ~」
「うるさい。さっさと水でも飲んで寝てろ。じゃあな」
相当悪酔いしてるのか絡み方がおっさん臭いな。
とりあえず迎えは来てもらえなさそうだし、これ以上電話を続けていても酔っぱらった母さんにからかわれるだけなので通話を切った。
「くそ……母さんを頼るんじゃなかった……」
まさかこうなるとは……せっかく良いプレゼントに感謝していたというのになんかそこはかとなく感謝の気持ちが薄れてきたような気がするな。
ちっ……意識させるようなこと言うんじゃねえよ……。
高校一年生に何を求めてるんだ、ちょっとは自重しやがれ。
そんな風に心の中で悪態を尽きながら、陽菜に目を向ける。
外だというのにすっかり安心しきった顔で眠っている。
普段通りのかわいい寝顔なのだが、母さんに変なことを言われたからかやけに色っぽく見えてしまって仕方がない。
くそ……そういうつもりじゃなくても、そういう目で見えてしまう。
恨むぞ、母さん……。
「……頑張るか」
タクシーを拾うにもここから移動する必要があるな。
おんぶは……厳しいか。した後に寝るならまだしも、寝てる状態の人を背負うのは難しい。
まさか米俵を抱えるように肩で持つわけにもいかないし、やはり消去法でお姫様抱っこが安牌か。その方が陽菜だけじゃなくて荷物も持ちやすいし。
荷物をまとめて、陽菜を抱える。
すると、起きているんじゃないかと疑いたくなるほど迅速に腕が回される。
正直助かるな。でも――。
(なんかムズムズする)
別に身体が触れ合うなんて初めてじゃないし、抱き合ったりキスとかしてる身でこんなことを思うのも今更かもしれない。
でも、今は変に意識してしまっている状態だからか、妙に緊張してしまっていたたまれない気持ちになる。
抱き抱えることで伝わる柔らかさといい匂いが非常によろしくない。
でも、おんぶじゃないだけまだマシなのかもしれないな。母さんのシャレにならん冗談のこともあるし、余計に意識してしまいそうだ。
(あっちぃな……)
おかげで心臓がバクバクだ。
顔が熱くて、喉がカラカラに干からびるような感じも――全部夏のせいということにしておこうか。
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