第16話 セーフティ

「く……放せ下郎が……」


 勇者に首を掴まれている王女エナイスの全身から、オーラが溢れ出す。そのパワーが相当な物である事は、その激しい力の迸りから伺える。実際、幼い頃から訓練を積んで来た彼女の力は、王国の騎士達と比較しても劣らない所か勝る程だ。だが自らの解放のために勇者の腕に掴みかかっている両手は、何の成果も出せずにいた。明らかにパワーの桁が違う。


 所詮凡人の力は、選ばれし超人の前では無力でしかないのだ。


「非力……無駄……」


「ぐ……が……おのれ、ならば……」


 王女が掴んでいた手を放す。そしてその右手を勇者に向けた。その掌には不思議な文様が浮かんでおり、それが光り輝く。


 ――セーフティー。


 勇者が命令に従わなかった場合を想定して、肉体の創造時に手を加えられたくさびだ。強大な力を持つ異世界の者を生み出すコピーするにあたって、それは当然の措置と言えるだろう。勇者という圧倒的強者が思いのまま振る舞う事を許してしまえば、それが世界にどれだけの影響を及ぼすか考えれば。


 当然これは、勇者召喚された御剣那由多みつるぎなゆたにも当てはまる。もし彼が自身の才能をあの場で披露していたら、楔によってエナイス達にいい様に利用されたであろう事は語るまでもないだろう。つまりあの場での御剣那由多の判断は、正しかったと言う事だ。


「む……」


 突如全身に走った猛烈な痛みに、巨体の勇者が足を一歩後ろに下げる。


「お前の……仕業か?」


「さ、さっさと放しなさい……この愚図……」


 苦痛に顔を歪め尋ねる勇者に、エナイスが勝ち誇った顔でそう告げる。


「無駄だ……この程度では」


 勇者の受けている苦痛は、常人なら悲鳴を上げ転げまわるレベルの物だ。だが、勇者は彼女の首元を掴んだ手を放さない。それどころか――


「これ以上がないなら……お前を殺す……何かあるなら……さっさとしろ」


 そうエナイスを挑発する。まるで更なる攻撃を期待するかの様に。そして首を掴む手に、少しづつ更なる力を込めていく。何もないなら殺すと宣言した通り。


「ぐ……うぅ……」


 エナイスの顔が青くなっていく。


「貴様!王女様からその手を放せ!!」


 突然の勇者の行動にあっけに取られていた兵士達だったが、王女の危機にやっと動き出す。彼らは警告と同時に剣を抜き、全身のオーラを滾らせ無防備な勇者の背中に向かって斬りつけた。


「くだ……らん……」


 訓練された兵士による、岩すらも容易く断ち切る一撃。だがその全ては、強靭な勇者の肉体によってはじき返されしまう。


「なっ……馬鹿な……」


 驚愕に目を見開く兵士達。その馬鹿げた打たれ強さを目のあたりのにした大司教アルダースが、魔塔の副塔主であるゴンザスに声をかける。


「最悪の事態を想定した方が宜しいですな。ゴンザス殿、魔法の準備をお願いしたします。カバーは私がしますので」


「む……そうですな」


 アルダースの言葉の意味を即座に理解したゴンザスは一瞬戸惑うが、目の前の勇者ばけものならその最悪が起こりえる。そう判断し、彼は魔法の構築を始める。


「ぐ……う……」


「化け物め!」


 兵士達は効かないと分かっていながらも攻撃を続けるが、勇者はそれを意に介さずエナイスの首を握る手の力を強め続けた。楔による激痛も続いているが、勇者を止めるには至っていない。


「ぐ……ごの……ばけぼの……ぞんなに……じにだいなら……じになざい!」


 エナイスが右手が輝く。先程より遥かに強く。それは死の宣告。これを発動されれば、勇者は内側から爆発して死ぬ。


 そう、エナイスはその気になればいつでも勇者を殺せたのだ。彼女がここまで我慢したのは、此処で勇者を殺せばそれまでにかけた莫大なコストが完全に無駄になってしまうから。要はそれを惜しんでいた訳だ。


 だが自分の命と、手に負えない勇者を天秤にかければ、その帰結は考えるまでもないだろう。エナイスは勇者を始末する為、最後の手段を発動させる。


「む……これは……」


 勇者の体が光り輝き、その眼が見開かれる。そしてその内側から体が爆発する。


「がぁ……はぁ、はぁ……」


 勇者の手が開かれ、王女が爆発の衝撃で吹き飛ばされる。その全身は爆発の影響で酷い火傷を負っていたが、命に別状はない様で、彼女はふらつきながらもゆっくり自力でと起き上がってきた。そして爆発の煙を憎々し気に睨みつけ、汚い言葉を吐き捨てる。


勇者つくりもの如きが……この私に手を掛けようなんて……100年早いのよ……カス野郎が……」


 エナイスは胸元から瓶を取り出し、その蓋を開けて中の青い液体を一気に飲み干した。


 それは回復薬ポーションと呼ばれる霊薬。口にすれば傷ついた肉体を瞬く間に修復する、10段階に分けられる魔法の7段階目――超絶級魔法セブンスマジックであるヒールと同等の効果を持つマジックアイテムだ。


 ――攻撃魔法がある様に、この世界にはゲームの様な回復魔法も存在していた。だが単純に破壊のエネルギーをぶつける攻撃魔法と比べ、複雑な構造をしている生物の肉体を修復する回復魔法の難易度は跳ね上がる。そのため回復魔法はあっても、高難易度のセブンスマジックに指定されているヒールを使える者は、この世界ではごくごく限られていた。


「最悪……最悪……最悪最悪さいあくさいあくさいく!!ああーーーーもうっっっっ………最悪よ!!!」


 ポーションで傷が癒えたエナイスが自身の頭を抱え、天に向かって絶叫する。大量のコストをかけてまで呼び出した勇者を制御できず、自ら手で始末する羽目になった不始末。それは彼女の、王位継承争いからの脱落を意味していた。


 失敗からの挽回が上手く行ったかと思えば、待っていたのは最悪の結末。天から地に落ちるととはまさにこの事である。エナイスがヒステリーを起こすのも無理はない。


「王女、おさがり下さい」


 そんなエナイスに、魔法の準備が整ったアルダースが呼びかけた。その言葉の意味が分からず、王女は『何を言っているのだ』という目を其方へと向ける。


「奴はまだ生きておりますぞ」


 彼女の瞳に、顏を顰めたアルダースの顔が映る。その表情は、彼の言葉が冗談でない事を如実に物語っていた。


「なっ!?そんな馬鹿な事!体の内側から爆発させたのよ!!」


 問題行動を起こす勇者を始末する最終手段。真面な生物なら、確実に死に至るそれに耐えたなどとありえない。エナイスはそう絶叫しつつも、爆発で上がった煙の方へと視線を戻した。そしてだんだんと薄れていくその中から――


「今のは……かなり痛かったぞ……」


 ――平然と佇む化け物の姿を見出し、彼女は固まる。

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