第四十七話
「若い娘がこんなオッサンに投げやりな態度を取るな!お兄さんのことが片付いて落ち着いたとして、君がそれでも僕にそういう態度を取れるか?
今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ。帰りなさい」
語気が強かったのか、律子さんは少し怯えた表情に変わって、それから静かに泣きはじめた。
最近、私は彼女の涙ばかり見ているような気がした。
「ゴメン、痛かったかな。でもな律っちゃん、君のことを心配してるんだよ。お兄さんのことも何とかして補償金を取ってやるから。だからきちんと解決してからまた飲もうよ。その時は楽しい気分で」
律子さんは静かにしばらく泣き続けた。
私は律子さんの隣に腰をおろし、涙が枯れるのを待った。
肩が上下しなくなってから律子さんは顔を上げ、「ごめんなさい、岡田さんの言うとおりです。私、ちょっとヤケになってました。兄のことお願いします」とキチンと言った。
それから私は律子さんと一緒に部屋を出て、マンションの前でタクシー拾ってやった。
彼女は乗り込んだあとも何度も頭を下げていた。本当はいい子なのだ。
家族のことで苦しんでいるから、本来の自分を見失って自暴自棄な行動に出てしまうのである。
部屋に戻り、冷蔵庫から缶ビールを取り出して飲んだ。
ホッとして落ち着いてみると、このところ真鈴から連絡がないことに気がついた。
いったいどうしたのだろうと気になったが、おそらく来年の受験のために勉強に励んでいるのだろう。
あと一週間ほど連絡がなかったら、一度メッセージでも送ってみようと思った矢先にスマホが鳴った。ディスプレイには「関さん」と表示されていた。
「お久しぶりです。夜遅くにごめんなさい」
関さんから電話をもらうのは八月十日以来だった。
前日に家出した真鈴が、翌日の昼頃に徳島の穴吹療育園にやって来たと連絡をもらったのだった。
早いものであの日から三か月も経つのだ。
「やあ関さん、元気ですか?」
「どうにかね」
彼女は静かな声で答えた。
関さんとは七月に会って以来、ときどき電話で話をするだけだが、私は彼女のレッキとした彼氏なのだ。
「こちらにはなかなか来れないんですか?」と私は関さんに訊いた。
「そうね、もうあれから四か月近くにもなるのね。月日の経つのは早いわ」
「西条の実家にはときどき帰っているの?」
「うん、九月のお彼岸のあと少しだけ帰省したのよ。岡田さんがときどき帰りなさいって言ってくれたから」
「それは良いことだね。帰省は疲れたこころのカンフル剤だから」
「フフフ」
ようやく関さんが電話口で笑った。
「それでね、私ももうすぐ二十八歳になるから、そろそろ考えないといけないと思って」
「考えるって、何を?」
「結婚」
「・・・・・それは、少しショックだな」
「でも相手がいないのよ。岡田さん、私の彼氏でしょ、ずっと待っていていいのね?」
「えっ?」
関さんが冗談で言っているのか、それとも本気なのか、電話でのやり取りでは分からなかった。
私はしばらく黙ったまま考えた。
「岡田さんと京都で一晩過ごしたこと、ずっと忘れないの。そのあと西条の実家まで私を連れ戻してくれたこと、とても感謝しているのよ。
実家に九月に帰ったときも、そのあと電話で話すときも、両親が岡田さんは元気なのかって訊いてくるのよ」
「年が明ければ、時間を作ってそっちへ行くよ。年末までちょっといろいろと忙しくなりそうなんだ。我慢してくれるかな」
「うん、もちろん大丈夫よ。会えるのを楽しみにしているわ。またときどき電話していいかしら」
「いつでも待っているよ」
「じゃあまた電話するね。私、これから当直なの」
そう言って関さんは電話を切った。
徳島の山奥にある身障者施設で働き続けていることが、彼女の不安定な精神状態の一因には違いなかった。
だからと言ってどういう風に環境を変化させればよいのか私には明確に分かっていなかった。
今すぐにでも関さんのもとに車を飛ばして行きたい気持ちはあった。
でもそういう行動に走ることが、彼女の将来に何か指針を与えることになるのかどうか、それを考えると躊躇するのだ。
自分の気持ちに正直になることが、相手に対して誠実とは限らない。
いや、誠実とは結びつかないのだ。オネスティはサッチャ、ロンリーワードなのだ。
ビリージョエルも歌っている。
時計を見ると、すでに午後十時前になっていた。今日はいろんなことがたくさんあって疲れた。
L社からの連絡があれば、律子さんの兄の補償金を何とかして奪い取ってやらないといけない。
そして落ち着いたら律子さんと美味しいものを食べに行こう。
それから真鈴の受験勉強のはかどり具合と両親との暮らしぶりを訊いてみよう。
先日怒らせてしまった有希子にも謝りの電話を入れないといけない。
私はいろいろと考えているうちに、疲れと猛烈な眠気に負けて、いつの間にかソファーで眠りにおちていた。
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