動物園の魔女

東雲佑

1.魔女のため息

 どこかの宇宙の片隅に、魔女がひとりで住んでいる星がありました。


   ※


 ある秋晴れの午後のこと。

 魔女が庭に出て楽器を弾いていると、空から乱暴なシャチに跨った乱暴そうな男が降りてきて、いきなり怒鳴り声をあげました。


「おい! お前が動物園の魔女か!」


 魔女は思わずため息をつきます。それから立ち上がり、まっすぐに男の顔を見上げました。


「はい、私が動物園の魔女と呼ばれる女です」


 目と目が合った途端、男はポカンとした顔になります。

 無理もありません。伝説通りなら百年以上生きているはずの魔女は、だけどしわくちゃの老婆などでは全然ない、若くて綺麗な女の人だったのですから。


「それで、ご用件は?」


 魔女が静かに問い質すと、男ははっと取り直して。


「単刀直入に告げる! この星に隠れているという世界クジラをこの俺に寄越せ!」


 想像通りの返答に、魔女はもう一度ため息をつきます。

 手に入れたならば自分だけの世界を生み出すことができると、そう神話に伝わる世界クジラ。それを狙ってこの惑星にやってきた男たちが、今までどれほどいたことか。


「そんなクジラ、ここにはいませんよ」

「嘘をつくな!」

「嘘ではありません。この星に住んでいるのは私ひとりだけです」

「隠してるんだろう!」

「この星はクジラよりもずっと小さいんです。いったいどこに隠すというのですか?」


 もっとも千万なこの返事に、男がうっと言葉を詰まらせます。

 しかしそれでもまだ諦めきれない様子の男に、魔女は三度目のため息をついて。


「わかりました。では、ご納得いただけるまでこの場所をお見せします」


   ※


 魔女がいった通り、そこはとても小さな星でした。

 少しばかりの平らな土地がこの惑星のすべてで、その上にあるのは魔女の暮らす家と、ひとり分の生活を支えるのがせいぜいの畑と。

 それから、動物のいない動物園だけ。

 

「動物がいない? ふん、それでよく動物園が名乗れたもんだ」


 先を歩く魔女に向かって、男がシャチの上から言いました。

 馬鹿にしたような声に魔女は返事をせず、黙ったまま男を先導します。


 動物園は森のような静けさに満ちていました。


 檻や囲いはあっても、その中に動物はいません。

 休憩用の椅子はあっても、それを使う人間はいません。


 廃墟じみた景色を前にした男が、大袈裟に肩を落として落胆を示します。そこには男の求めるクジラはもちろん、クジラの代わりに奪って行く価値のあるものすらなかったのです。


 二人は会話もないまま園内を進んでいきます


 すると、一つ目の檻に差し掛かった時です。


「グォぉぉぉン!」


 いきなり猛獣に吠えられて、ビックリした男がシャチから落っこちます。

 起き上がった男が檻の中に目をやると、そこにはさっきまでいなかったはずのライオンが現れています。


「ここは想い出の動物園です」


 まだ驚きから立ち直り切れていない男に、魔女が問わず語りに説明しました。


「想い出りの私が近づいたので、この子の想い出が姿を現したのです」


 魔女はそのライオンの想い出を語りはじめます。

 美しいエメラルド色の毛皮とたてがみを持ち、そのために乱獲されて絶滅した孔雀ライオン。ここにいたのはその最後の一頭。


 魔女のたくさんいた友達のひとり。

 たくさんいて、だけどもういなくなってしまったみんなの。


「ここにいるのは想い出ですので、連れ去ることはできませんよ。私が離れればすぐに姿を失ってしまいますし、たとえ私が一緒でも檻から出ることはできません」


 魔女がそう釘を刺します。

 しかし男には、もとよりそんな気持ちはありませんでした。


「よかったら、もっとあんたの想い出を見せてくれないか?」

「かしこまりました」


 それから、魔女の動物園ツアーははじまります。

 陽だまりモグラにかなづちペンギン、三色パンダと純白カラス、小人ゾウ、首長キリン、そして宝石ドラゴン。

 魔女は男を案内します。

 檻から檻へと、想い出から想い出へと。

 

 そうして動物園を巡っているうちに、男の表情からはどんどん乱暴さが抜けていきます。


「……あの、よかったらあなたが乗ってください」


 シャチから降りて、男は魔女に言いました。

 魔女はお礼をいってシャチに跨り、さらにもう少しだけ動物園の案内を続けました。



 ※

 


 動物園見物が終わった時、男もシャチも、もうすっかり乱暴者ではなくなっていました。

 男は無礼な態度を魔女に謝って、案内のお礼としてたくさんのお金を彼女に差し出します。

 お金なんてあっても仕方ないからと魔女が遠慮すると、代わりにありったけの食料を置いて帰って行きました。


 男とシャチを見送ったあとで、魔女はまたため息をつきました。

 誰も聞いていないため息を。

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