ゲームと現実(1)

 センシルカにある丘を登りながら、私は『彩生世界』での同じ場面を思い出していた。

 ゲームでは美生たちが丘を登る前に、『少年』の視点で十七年前のセンシルカの事件が描かれる。



 十七年前。センシルカの街。

 街の大半を見下ろせる丘の上に、少年はいた。

 広場に並ぶ露店、大通りに連なる専門店。太陽の光が反射した石畳の路を、多くの人々が行き交う。そこにあるのはいつもと変わらない見慣れた街の風景だった。――ほんの数秒前までは。

 騎士見習いの少年は食い入るように、雇い主である領主邸を見つめていた。いや、領主邸があった場所を見つめていた。

 今日は邸に多くの要人が訪れているせいで、見習いであった少年まで街の巡回に駆り出されていた。その巡回中に丘に佇む顔色の悪い若い女性を見かけ、声を掛けようとした心優しい少年は今、自分がそれ以上に青ざめた顔をしていた。

 どのくらいそうしていたのか、彼が我に返ったのは街が完全に混乱の渦に呑まれてからだった。

 見知らぬ人々の叫び声が、少年を現実へと呼び戻した。


「ライフォード!」


 弾かれたように友人の名を叫び、少年は丘を駆け下りた。

 防護柵を乗り越え、急傾斜を滑るように走る。

 脇目も振らず真っ直ぐに目的地へと向かう。


「はぁっ……はぁっ……」


 程なくして辿り着き、少年は大きく呼吸を繰り返しながら周辺をくまく見回した。

 突如現れた巨大な闇。領主邸の門と僅かなアプローチだけを残し、地表から空の彼方までを覆い尽くす闇。

 目の前に来てまで、少年はここに在るべきものを見つけることが叶わなかった。


「ライフォード!」


 門の前で再び叫ぶ。


「父さん!」


 少年の父は、友人の父である領主を護衛していた。やはりこの闇の向こうにいたはずだった。


「!?」


 ふと、地表近くの闇が揺らいだ気がして、少年は目を凝らして見た。

 誰かが逃れてきたのだろうか。そんな少年の淡い期待は、彼が吸った息を吐く間すら与えずに打ち砕かれた。


「何だ、あれ……」


 闇の中からアプローチに姿を現した黒い物体。

 四足歩行の動物のような、しかしその全体はもやもやとした霧のようで、実体が有るのか無いのか判別が付かない。


「……っ」


 だが、その目に捉えられたと、少年は直感した。

 初めて目にした得体の知れない『それ』に、本能的に佩いていた剣を構える。『敵』に剣を構えることもまた、初めてのことだった。

 黒い物体が少年に狙いを定め、走り出す。

 ガシャンッ

 少年に飛びかかった物体はその間を隔てる門に阻まれ、反動で地面に転がった。


「物理が効くならっ」


 門に飾られていた旗を引き抜き、衝撃で開いた門の隙間からそれを敵に投げつける。


「グルルッ」


 少年の背丈ほどある旗の軸は敵に突き刺さり、狙った通りに敵は地面へと縫い付けられた。

 すかさず敵に走り寄り、混乱した頭のままで身体に任せて剣を振るう。


「こ、の……っ!」


 くそれに、少年は何度も何度も剣を突き立てた。


「このっ! このっ!」

「グォオオオオ……」


 何度目かの手応えの後、ほうこうを上げた霧のような敵は、やはり霧のように散って消えた。


「はっ……はっ……」


 浅い息をしながら少年は、暫くの間、呆然とした面持ちで地面に突き刺さった剣を見つめていた――



 この後少年は、三日間飲まず食わずでライフォードと父親を探し回った後、丘で見かけたセネリアを殺すつもりで追い掛け、神殿で神官たちが惨殺された現場を目撃。大鏡の中へ消えたセネリアを追えなくなった彼は、その後ナツメに出会うまでセンシルカの街で魔獣退治に明け暮れることになる。

 私は、『少年』を見た。


「ここだ」


 最初に丘の上に着いたカサハが短く言って、皆を振り返った。

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