第8章 罪を背負って地獄を進む
51 黒い夢と特殊な人間
恐ろしい、と椿は思った。
振り返る、けれど視界は霞むばかりで解らない。不安という種ばかりが膨らんでいく。すると、誰かが自分の片手を握った気がした。温かく優しい体温に椿がほっとする。と、急に硬い冷気を感じた。それが強く感じる方へ眼を向けると、黒い塊のようなものが、誰かの黒い曲線を描く手を飲み込むように覆っている——「椿」。
はっと渇いた息を呑んで眼を覚ます。上体を起こすと冷汗をかいているのが
肩から力を抜いた椿が、「ありがとう父さん。すぐ行くよ」と答える。ドアの向こうで気配が遠ざっていくと、リビングの方からテレビの音が微かに聞こえ始めた。
ちなみにお月見ナポリタンとは、目玉焼きが乗ったナポリタンのことだ。育ての
——もう七時、七時だよ。起きろ起きろ。グッドモーニング! ハッピーな朝だよ! 新しい朝にベリーベリーサンキュー!
椿の起床から少し時間が経った後、馴染みある眼覚まし時計の音に、夢叶がゆっくりと瞼を開けた。
寝惚け
(どうして綾杜君が私の部屋に? それもベッドの上に……ってあれ?)
Tシャツから覗く腕を眼にした夢叶の顔色が、途端にさあと
「何で……」
夢叶が思いがけず手を伸ばすも、制止するように相手に掴まれる。驚いて見ると、しっかりと瞼の開いた黒いつり眼が、金色の眸を捉えていた。
「心配するな。自然治癒するって前に話しただろ」
くすりと笑みを浮かべる表情に少しほっとするも、心配なことには変わりない。すると本人は後ろ襟足を軽く掻きながら、「お前の眼覚まし、独特でうるせぇな」とこぼした。
「でもまだ痛むでしょう……? それに助けてもらってばかりなのは嫌だよ。できることは少ないけど、私も綾杜君を助けたい」と訴えるも、綾杜は断固として拒否した。「ばぁか。その力は本当に助けを必要としてる奴に使え。
そう言ってむくっと起き上がった綾杜は、眼の前にある柔らかな頬を指で挟んだ。
「彼奴?」と夢叶が
「そ。昨夜あの後に、神明希人とやり合ってこうなった。まあ互いに怪我はしてるが、問題は無い」
驚愕の事実に、小さな口があんぐりと開く。綾杜はそんな彼女を
「——じゃあつまり、明希人君は綾杜君が帰宅するのを待ち構えていたってこと?」
「ああ、俺を挑発するように
「そんな、綾杜君とはほんとんどこの部屋でしか会ってないのにどうして……」
真っ直ぐに
その言葉に反応した夢叶がすぐさま顔を上げる。
「昨夜夢叶を襲った
――夢叶を利用しようと企んでいる人がいるから、親友を
微かに揺れ動く金色の眸を視界に映しながら、綾杜が話を続ける。
「氷柱に黒薔薇、昨夜夢叶や俺たちに
淡々と告げる綾杜に、夢叶が小さく唾を呑んだ。「三人て、椿君、風間先生、誠君の誰かっていうこと?」
「そうだ。
——もしかして、という微かな疑惑は、昨夜夢叶の中に芽生えていた。然し、明希人じゃ無いからと言って、その三人であって欲しい訳でも無い。
誠は良き友人であり、麻子のことを深く想っていた。風間は夢叶のために躊躇うこと無く、大切な書物を貸してくれた。椿も誠と同様に友人である。それに昨夜は、危険を
鼓動が
「綾杜君に訊きたいことが幾つかあるんだけど」
真剣な色が宿る眸を、促すように綾杜は見つめた。
「まず、
すると綾杜は「簡単なことだ」と言って説明した。
「妖気は妖狐一人一人に宿っているものだ。一人一人妖気は異なる。そして、誰かの妖気を真似することはどんなに優秀でも不可能だ――逆を言えば、誰かに化けたところで妖気は変わらない。つまり、桃也の姿でも妖気は俺のままだ」
耳を傾けていた夢叶は微かに眼を瞠った。
「氷柱と黒薔薇の妖気は同じものだった。だがそれは神明希人の妖気とは異なる。だから違うって
夢叶はそこで、え、と内心でこぼした。以前神秘の森で、椿から聞いた話が
——明希人君は、指輪にある妖気を他からは見られないよう妖術で上手く
「秘してない……? 指輪にある妖気も?」
「指輪? ……確かに指輪には
(じゃあ椿君は真実の中に嘘を混ぜて私に話したの……? 綾杜君の話が正しければ、自分の両親を傷つけた子どもが明希人君だと、椿君は
無意識に夢叶の視線が下がる。話し振りからして綾杜が嘘を吐いてるようには見えない。然し椿が嘘を吐いたとしても、その必要性も理由もすぐには
「もし夢叶を狙う奴があの三人の誰かだった場合、
驚いた夢叶が静かに金色の眼を瞠る。「そんなことが可能なの?」と問うと、一度瞼を伏せた綾杜が
「可能だ。妖攻の妖気は
再び考え込んだ夢叶を綾杜が静かに窺うと、さらりと揺れた金色の髪から、ちらとイヤーカフが見えた。少ししてから夢叶が疑問を口にする。
「でも妖攻できる距離に居たとはいえ、そもそも三人は人間なんだから、妖術は扱えないはずだよね?」
「普通の人間だったらな——だが、人間でも条件を満たせば妖術を扱える。この世には、そういう、業が深い特殊な人間が存在するんだ」
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