女性向けver.

▼女性向け版


 四月――冷たい風吹く春の日、ふわり、母のお気に入りだった香水の匂いがしたような気がして封子は足を止めた。振り向けば背筋の伸びたスーツ姿の妙齢のサラリーマンだった。


(お父さん……な訳、ないよね)


 母が好きだった香水をつけていた父はもういない。三ヶ月前、まだ雪の降る冬の日に封子の父は亡くなった。病だった。

 最期に彼は封子が推薦で大学に合格したことを知ると、「よく頑張ったな」と骨ばった手で封子の頭を撫でた。その手のひらは昔と変わらず大きかった。しかし、昔より冷たかった。


 大学生となった封子は今、父が残してくれたマンションに一人住んでいる。東証1部上場の大企業の役員だった彼は、封子のために新築のタワマンのワンフロアを買っていたのだ。一人には寂しい100平米を超える3LDK。寂しさを埋めるために、封子は出会いを求めた。

 とは言っても、今まで寂しさを埋めてくれる男性がいた訳ではない。ただ、ほんの少し恋愛への興味と、友人からの食事会の誘いが重なったのだ。


「チカちゃん、今日のお食事会はどんな男性がいらっしゃるんですか?」

「どっかの御曹司いるらしいよ。封子、もし好みじゃなかったら譲ってね?」


 封子を食事会という名の合コンに誘ったチカは、そう言ってウインクをする。チカは温室育ちの封子に普通と変わらず接してくれる子だった。明るく元気で面倒見の良い性格のチカは、封子に普通の女の子がすることを色々教えてくれた。お化粧、髪の毛のセット、自分の骨格に似合う服装――封子はこの一ヶ月で少しずつ覚えていった。


 チカにおすすめされたヘアアイロンで内向きにワンカールさせた毛先。色素の薄いセミロングは艶やかで、天使の輪ができている。デパートのコスメカウンターで選んでもらったピンクのリップとブラウンのアイシャドウ、そして柔らかな素材のワンピース。最後に大好きな父の香りと同じムスクが入った香水。


「封子、綺麗になったね。男の子にモテて、お父さん心配しちゃうかも」


 そう母が言うと、封子は嬉しくて少しだけ恥ずかしくなった。その恥じらいがちな性格を好む異性は、少なくなかった。




 ある日の夜、寝付こうとした封子は聞き慣れない音に眠気が覚めてしまった。


 ……ことり。


 キャビネットの上に飾っていたアクセサリーが、持ち上げられたように宙に浮いて、そして戻され、音を立てた。


(な、なに……?)


 封子は怖くなって、頭から布団を被る。


(お父さん、怖いよ――助けて)


 そう思っていると、次第に音は大きくなり、封子は眠れない夜を過ごした。

 翌朝、静かになってようやく眠りについた封子は、大学に行くのも忘れて昼過ぎまで寝息を立てていた。




 初めはポルターガイスト現象だけだったが、徐々に人の気配や話し声のようなものを耳にするようになった。そのことをチカに相談した封子は、オンラインの心霊相談を紹介される。

 猫山ミケ――千里眼を持つ占い師だった。


「猫山先生、どうでしょうか……?」

「画面越しでは確実なことは言えませんが、強力な霊の気配を感じます」

「そんな……」

「ですが、貴方に危害を加えることはないでしょう」


 一万円を対価にそう言われたが、封子は落ち着かなかった。先日誘われた合コンでは厨房から煙が上がってボヤ騒ぎとなったし、その後デートに誘ってくれた男性はその最中に足が痙攣して動けなくなってしまった。


(私のせいかもしれない……)


 不安になった封子は、チカと一緒に始めたカフェのアルバイトで貯めたお金から除霊キットを注文する。初めて一人でするネットショッピングにドキドキしたが、早く心霊現象から解放されたいと思う気持ちの方が大きかった。


 封子は荷物が届いたその日のうちに、不思議な器具を部屋に置いて呪文を唱えた。

 それが、失敗だった。

 彼女が行ったのは、降霊の儀式だったのだ。業者がピッキングを間違えて送られてきたものだった。


 その日から、心霊現象は余計に酷くなった。人の気配が多くなり、話し声は怒鳴り声になる。封子は布団から少しだけ顔を出して、揺れる家具を見る。

 ふと、封子はキットに同梱されていた心霊メガネを思い出した。霊が見えると謳われていた。


(何も見えなければ、私の気のせい――)


 封子は恐る恐るメガネを掛ける。

 すると目の前に、父の姿が現れた。


「お父さん!」


 ベッドから飛び出した封子は父の元へ向かう。助けに来てくれたのだと、そう思って縋りつくと、その身体をするりと通り抜けた。


「おとう、さん?」

「封子! 良かった。心配して戻ってきたんだ」

「お父さん、天国から私のために……?」

「ああ」


 封子はその場でへたり込んで泣き噦る。すると父の手がぽんぽんと頭を撫でた。実際には触れられないが、封子にはその手が温かく感じた。

 少しして落ち着くと、封子は自分と父以外の存在を認識した。


「もしかして、聖司、くん……?」


 小学校と中学校を共に過ごした幼馴染みだった。昔と違って背が伸びて男らしくなったが、目元のほくろときゅっと上がった口角は変わらなかった。

 封子は幼い頃、彼のことが好きだった。子供の口約束ではあるが、結婚を誓ったりもした。両親には内緒にしていたが、初めての、人生唯一のキスは彼だった。


「聖司くん、どうしてここにいるの……?」

「フウちゃんを守るためだよ」

「まさか聖司くんまで――」

「高校生の時だよ。事故だった」

「そんな……」


 封子は再びポロポロと涙を零す。その涙を拭おうと聖司が手を伸ばした瞬間、彼の腕は炎に包まれた。


「封子に触れるな! この虫ケラが!」


 父が聖司を睨み付けていた。彼は封子が見たことのない怒気を帯びていた。


「フウちゃん、その人から離れて。フウちゃんのお父さんは、もう地獄の人間になってしまったんだ!」

「地獄……?」

「私は封子のためなら地獄の番人にだってやってやるさ!」


 封子の父は死期を悟ってからというもの、で生き残る方法を考えていた。実行した方法の一つに、財産を死後の世界に持ち込むというものがあった。多額の資金を扱うことに慣れていた彼は、地獄であっという間に成り上がった。そして、その職権を乱用して封子の生活を見守っていたのだ。


「封子に寄り付く男は、全て祟る」

「フウちゃんの事は僕が守る!」


 対する聖司は、死後の世界で天使長になった。かつて封子が好きになった持ち前の純粋さと曇り無き愛の心が、神様に認められたのだ。


「オレの封子に近づくな!」

「僕は悪魔からフウちゃんを守る! それが例え、フウちゃんのお父さんだったとしても――!」


 互いに譲らない二人は、ついに封子を部屋の隅に置いて戦い始める。


「魂まで砕けろ小童こわっぱ! 獄王拳! 龍咬轢殺掌ドラゴンバイツ・フィンガー!」

「滅せよ老害。ナメクジのように溶けて無くなれ! 神聖! 極光斬破ディバイン・オーロラ・スラッシャー!」


 アイアンクローとチョップだった。封子はクラクラした。しかし封子は、地獄の覇者と天使長の戦いを目の前にして、意識を保っていた。封子は霊感のある母方から特別な能力を譲渡されていたのだ。


『お母さんはどこにいても封子を守るからね』


 一人暮らしを始める前にかけてくれたおまじないだった。

 おまじないに守られた封子は、二人の間に割って入る。


「お父さん、聖司くん、もうやめて!」

「だが封子!」「でもフウちゃん!」


 封子は涙を溢し、父と聖司をそっと抱き締めるポーズをとる。すると、二人はお互いに向けていた拳を静に下ろした。


「二人共、喧嘩はやだよ――」

「ごめん、フウちゃん」

「封子、泣かないでくれ」


 そう言いながらも足を踏み合っていることに、封子は気付かなかった。

 しかし街の霊圧が変わった瞬間、その小競り合いがパッタリと止む。二人は顔を見合わせてから、封子に向き直った。街に封印された二又の怨霊が下町に復活したのだ。封子の生活を守るために、二人はやむなく手を結ぶことにする。


「こいつは手強い。オレも年貢の納め時かな」

「もうこの部屋へは、戻れないかも知れません」


 そう言い残して二人は封子の部屋を出てゆく。あまりに強大な怨霊に、死を覚悟していた。

 残された封子は、フラフラとベッドに向かい倒れ込む。するとその瞬間、スマートフォンの通知音が鳴った。チカからだ。


『今度の食事会は、弁護士の卵呼んだからね!』


 いつもと変わらぬチカに笑みが溢れる封子。これからは、自分を守ってくれる父や聖司に頼らず生きていかなければならないと思っていた。


「私ももう子供じゃないんだから……!」


 週末、封子は綺麗に身なりを整えて合コンに向かう。


 それを察知した父と聖司が強大な二又の怨霊を力を合わせて倒し、合コン会場に急行したのは、また別のお話――。


『封子のために協力しただけだからな!』

『フンッ。お義父さんは素直じゃないですね!』

『お義父さんって呼ぶな!』

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