第2話 大剣のアドレア、ドワーフの英雄となる

 ズシンと重苦しい地鳴りがした。

 振動でパラパラと割と大きめの石が降ってくる。

 頭は愛用のヘルムが守ってくれるが、滑落の危険があるためアドレアは両手両足の甲冑に埋め込まれた魔法を発動させて断崖絶壁にへばりついた。

 震源は地上。

 アドレアのいる断崖絶壁のはるか下だ。


 数日前。

 山岳竜マウンテンドラゴンが長い眠りから覚めて、活動期に入った。

 ドラゴンとは自然界の頂点に立つ巨大な魔物の総称であって、空を飛ぶ巨大なトカゲだけを指すことばではない。

 マウンテンドラゴンは陸亀だ。数百年に一度、起きて食べ物を求めて練り歩く。

 名前の通り、山脈そのものが動いたと誤認するほどの巨大な陸亀が移動するのだ。

 各地で天変地異が起こるのも当然と言える。


 動かれるだけでも面倒この上ないが、ドワーフにとって死活問題なのは、マウンテンドラゴンの主食が良質な鉱石という点だ。

 餌場が大規模な鉱山を有するドワーフの都市になることが多い。ドワーフの国の首都は過去三度もマウンテンドラゴンに壊滅にさせられている。

 いわばドワーフの天敵だ。


「親父だいじょ~ぶ? 無理してついてこなくていいんだよ」

「馬鹿野郎。親の心配している暇があったらさっさと登れ。もう奴が真下に着ちまうぞ」

「でも親父までこんな崖登る必要ないのに」

「……娘が国を救うために命がけの大博打やろうとしてんだ。見届けない親があるかよ。お前が失敗したら、俺がこの大槌で続いてやるよ」

「またそんなこと言って。私は魔法でなんとかなる目算があるけど、おやじはただ死ぬだけだよね。今も崖から落ちたら最期なのに」

「それこそいらんお世話だ。この山岳鎧のダルドルフが崖から落ちるか!」


 ゲハハハと下品な笑いが下から聞こえてくる。

 少し前まで大剣のダルドルフと呼ばれていた名工だったはずだが、今では山岳鎧のダルドルフと呼ばれている。

 丈夫なのに軽くて、可動域が広く動きやすい。両手を自由にしたまま、重いものを持ち運ぶための固定具付き。

 なにより両手両足部分に付与されたバイト《かみつき》の魔法により、低身長で手足の短いドワーフでも断崖絶壁を登ることを可能とした画期的な鎧だ。


 かつては名工の一人。今では唯一無二の名工として名を上げている。

 出世なのだがアザレアとしては大剣のダルドルフの呼び方が好きだった。

 だが山岳鎧の制作経緯を考えればなにも言えない。

 山岳鎧はアザレアがグレートソードを扱えるようにと苦心して作られた鎧だ。

 瞬間的に脚部の装甲が大地に固定される魔法具の開発。重心の変動により、身体ごと流されるのを防ぐための機能だった。

 親としても職人としてもダルドルフには尊敬の念しか抱けない。

 だからこんなところで死なせるわけに行かない。両親が暮らすこのドワーフの国を守る。

 失敗は許されない。


「よいしょ、っと。親父……手を貸そうか?」

「てめえの細腕なんか借りるかよ。大一番にとっておけ」


 地獄壁とも呼ばれる断崖絶壁を登り切ったが先に休憩可能な開けた場所があった。

 これより上はワイバーンの巣。さらに登れば竜の巣と呼ばれる地獄が待っている。普段ならばこの辺りまでワイバーンが降りてくることもあるのだが、今は地上を通過中のマウンテンドラゴンを恐れているのか姿はなかった。

 

「おい……馬鹿娘。本当にここから飛ぶのか?」


 崖下を見下ろしながら、親父がおっかなびっくりに聞いてきた。

 顔には正気かお前と書いてある。

 アドレアとして雲に届きそうな高さからでも、確認できるマウンテンドラゴンの大きさにビビるのだが。


「おやじ。高さは力だよ。位置エネルギー。私の大剣術と重力魔法。そしてこの高さがないと、あのマウンテンドラゴンの甲羅は砕けない」

「あの山みたいにでかい甲羅を砕くか。最初に聞いたときは冗談だと思ったんだが……本気なんだな。他の奴らみたいに顔を狙うのは」

「言ったでしょ。前回の戦いで当時のドワーフ王が首を落とすことに成功した。でもマウンテンドラゴンは再生した。そういう記録がある。あいつの無尽蔵の体力と魔力に付き合っていたら、食い散らかされるだけだよ」

「だからってあの甲羅を砕くなんて」

「甲羅に守られた中心に奴のコア。魔力の源がある。それに甲羅部分は硬さ優先で、すぐには再生できない。甲羅を砕き、コアに衝撃を与えれば、マウンテンドラゴンは自重を支えることができなくなり、動けなくなる。その間にドワーフの騎士団がマウンテンドラゴンを倒してくれればいい」


 アドレアも自らの一撃でマウンテンドラゴンを倒せるとは思っていない。

 けれど一撃で戦況を変えることができると信じている。

 だからこの崖を登った。


 マウンテンドラゴンが真下に来るまでの待ち時間。

 眼下に広がる地平線まで見渡せる絶景を前に、母親ターニャの手作りおむすびを頬張った。

 ドワーフに米を食べる習慣はない。アドレアが好きだから、わざわざ人間の商人から味噌とともに買ったのだ。

 ただアドレアが米から酒が作れるとこぼしたばかりに、母親も今でニホン酒作りのターニャと呼ばれているのだからドワーフとは本当に器用だ。

 あれは日本酒ではなく泡盛に近いと思うが。


 これが最期になるかもしれないが、父娘の間に特別な会話はなかった。

 マウンテンドラゴンはもう真下だ。

 いつものようにアドレアはグレートソードを掲げた。ブレることのない堂の入った上段の構えは、何年も振り続けた成果だ。

 グレートソードはダルドルフ作。

 銘をなまくらという。


「大剣のアドレアに鍛冶と山岳の神ゴブニアの祝福があらんことを」

「……大剣のアドレア?」

「大剣の名はお前にふさわしい。俺は自分で振ることのできない大剣を作っちまったから、もう名乗れねえよ。それに山岳鎧のダルドルフって名前も気に入っている」


 アドレアに鍛冶の才能はない。

 採掘に役立つ破砕の才能はあったが、ついぞ鉱石の声を聞くことができなかった。

 これではダルドルフの工房を継ぐことはできない。

 それでも名は受け継がれた。

 ダルドルフがくれたのだ。


「行ってこい。お前とそのなまくらに砕けないものはない」

「親父……大好き」


 そう笑顔を残してアドレアは崖を駆ける。

 ガハハハハという下品な笑い声に背を押されて、父親の作った山岳鎧で断崖絶壁を踏みしめて、重力の楔では力が足りないと重力魔法を発動させて、さらに重く加速する。

 なによりも速く。

 星の力よりも重く。空気の壁も突破して破壊力を増していく。

 構えるの大剣のダルドルフが生み出した巨大すぎる大剣なまくらだ。

 どんな相手だろうと負ける気がしない。


 マウンテンドラゴンは上空を警戒する素振りすら見せなかった。

 悠久のときの流れの中で、甲羅の上から危機があったことなど一度もない。

 周りに這い回るドワーフの騎士団。

 その鎧や大斧に使われている金属が美味そうだと。

 ただ食べることしか頭になかった。

 そこに黒き破壊の化身が衝突する。


 その光景を見ていたドワーフ王は唖然とするしかない。

 爆音と衝撃に身体が浮いた。

 マウンテンドラゴンの歩行するたびに起こる揺れに備えていた身体がひっくり返った。


 なにが起こったのかはわからない。

 星が降る現象は聞いたことがある。

 でもこんな谷間にいるマウンテンドラゴンに直撃するはずがない。

 直撃したとしても、マウンテンドラゴンが白目を向いて四肢と頭を投げ出して倒れるなどありえるのか。

 なによりあの硬すぎるマウンテンドラゴンの甲羅の頂上に、一本の大剣が突き刺さるなんて想像もしたない光景だ。

 刺さっている。

 つまり剣先が甲羅を砕いている証だ。

 この遠い距離で刺さっているのが剣だと判別できる。刺さっている剣の大きさも異常だと認識できるまで時間がかかった。


「……なにが起こったのだ?」


 一族の存亡をかけた決戦に備えていた当代のドワーフ王が声を漏らす。

 その声に答えるように後方で酒盛りをしていた呑んだくれども騒ぎ出した。

 ドワーフの騎士ではない。この決戦に駆り出された採掘工達だ。


「てめぇら仕事の時間だぁ! アドレアの嬢ちゃんが大仕事をなしたぞ! 大鉱脈を掘り当てやがった!」

「穴さえ穿たれれば俺たちに掘れないものはねえ!」

「掘れ! 掘れ! 掘れ!」

「奴が起き上がれないうちに掘り尽くしちまえ」


 騎士団を押しのけて、巨大なツルハシを持った採掘工達が駆けていく。

 つい先ほどまで、後方で飲んだくれていたとは思えない。

 普段は呑んだくれの穀潰しども。

 けれどやるときはやると知っている。

 知っているが今ほどやる気に満ちた顔は初めてだ。


 王を含め騎士達は唖然と見送るしかできない。

 その騎士たちにも怒声が飛んだ。


「てめぇらもボサッとしてねぇでツルハシ持たんか! 目の前に鉱山があるのに剣も斧も槍も必要ねえ! 奴が気絶している間に甲羅を掘り尽くして! ついでに奴の肉で宴会すっぞ! さっさと仕事しねーか!」


 それはもう戦い時間ですらなかった。

 ドワーフの職人達による解体作業の始まりだ。


 一方アドレアはマウンテンドラゴンの頂上で血反吐を吐いていた。

 たった一撃。

 反動には魔法で十分に備えていた。

 落下の衝撃にも耐えられるはずだった。

 もちろん無傷とはいかないが、それでも全身がバラバラになりそうな程の衝撃を受けると思っていなかった。

 想定以上にマウンテンドラゴンの甲羅が硬かったのだ。

 砕けはした。

 でも貫けなかった。

 故に反動で死にそうになっている。

 途中でなまくらが折れてくれなければ、持っていた両腕がちぎれ飛んでいたかもしれない。

 もう一撃。

 甲羅を壊してコアをちゃんと破壊しなければ、マウンテンドラゴンは復活してしまう。

 だからまだ攻撃しないといけない。

 でも動けない。

 そこによく知った声が聞こえてきた。

 普段はただの呑んだくれ。けれど、いざというときの団結力はドワーフ随一の採掘職人たちの声だ。


「おい! アドレアの嬢ちゃんが生きていたぞ!」

「でけぇ穴の中だ!」

「早く救護班を呼べ! アドレアの嬢ちゃんを死なせるな!」

「どこもちぎれてねえ! 治せるよな!?」

「消毒のために度数の高い酒持って来い! 俺が呑む」

「……アドレアの嬢ちゃんよくやった」

「あとは俺らに任せろ」

「こんなひび割れた大穴が空いてれば、俺等なら山ごとほりつくしちまうからよ」

「だからお前さんは休め」


 その声に安心してアドレアは意識を失った。

 こうして吟遊詩人に謳われるドワーフの英雄『大剣のアドレア』が誕生した。

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