第1話 公務員

「もし、この町に勇者が来たら、あなたなら勇者に何をしてほしいですか?」


 田舎の町の商店が並んだ大通り。企業アンケートと称し女性を呼び止め、「回答のご協力」の承諾を得たクグツィル・タナカッヒは、いつもの作り慣れた笑顔で唐突に質問をした。

 今しがたクシで整えたかのような七三に分けられた彼の髪が、午前の日差しを受けて黒いツヤを放っている。


「こんなへんぴな町に勇者なんて来るのかしらねえ?」

 ラタン製の買い物カゴを左肘にさげた、ぽっちゃり気味の40代とおぼしき女性は、眉をひそめ不審がるような感じで口を開いた。

「確証はないですが、で、お伺いしております」

「そんなこと聞いてどうすんのよ?」

「市場調査です。皆様のニーズをお伺いしまして、企業の商品開発やサービスの参考にいたします」

「そういうことね。あなた初心者の冒険者みたいな安っぽい格好してるのに髪型が七三分けだから、ナンかヘンだと思ったのよ。冒険者じゃなくてどっかの会社の人なのね。最初に言ってよもう」


 と女性は言うと、彼の左肩をバシッと叩いた。

 地味に痛い。肩が亜脱臼しそうな強さだ。彼は笑顔を崩さず地味に痛む肩を我慢し、

(最初の説明でマチョカリプスって社名も言ったし、アンケートだと言って了解を得ただろ。これだからオバちゃんは)

 と心の中で彼は愚痴った。


 言った言わないの議論していたら任務の進行に支障をきたすばかりか、余計なことをしゃべってトップシークレットの任務であることがバレてしまう恐れがある。

 何気なく・さり気なく・穏便かつ迅速に進めることが彼の仕事の信条だ。


 彼の装備はいわゆるソードアンドバックラースタイル。決して立派な装備などではなく、誰が見ても初心者の冒険者かと思うくらいの簡素な装備だ。

 何の特徴もない剣。薄い金属の胸当て。革の小手。革の脚絆。つま先を金属で覆っただけの革のブーツ。面ファスナーで着脱可能な肘当てと膝当て。対魔コーティングが施された糸を編み込んだコンバットシャツとタクティカルパンツ。初級レベルの攻撃魔法が軽減できる程度だ。


 女性はというと、彼に亜脱臼レベルのダメージをあたえたことなど意に介していない。いいおしゃべりのネタができたと思ったのだろう、表情がゆるんだ。

 長年の経験から、良い情報を持っている人を見分ける勘が当たったかもしれないと彼は思った。この人ならこれまでとは別の情報が聞き出せるかもしれない。落ちたテンションが少し戻った。

「それは申し訳ございませんでした。で、勇者が来たとしたらどうしますか?」

 これ以上、無益なダメージ蓄積をしないようさっさと聞き込みを終えてしまおうと早速、本題にはいった。


「うーん、そうねえ……」女性は少し考える。「まず、家の屋根を直してほしいわね。雨漏りしてるから直してって夫に言ってるんだけど、毎日毎日、明日やるって言うだけでちっともやろうとしないのよ。気がついたらお酒飲んで寝ちゃってるの。もう、ほんとに困っちゃうわ」

「あの……業者ではなく、勇者なんですけど」

「勇者って業者みたいなもんでしょ。頼んだらやってくれるかもしれないじゃない。あなたが決めることじゃなくて、その勇者って人が決めることでしょ?」

「そう言われると、そうなのですが」

「アンケートとってるなら、少数派の意見もちゃんと聞きなさいよ」

「す、すみません」

「ほらっ。『屋根の修理』ってちゃんとメモしなきゃダメでしょ。紙がないならほらっ、コレに書きなさいっ」


 女性は肘にかけた買い物カゴから紙切れを取り出した。彼は女性に差し出しだされた紙切れを反射的に受け取ってしまった。黄色い紙に赤で一色刷りされた、食料品店の本日の特売チラシだ。

 流れで受け取ってしまい後に引けなくなった彼は、腰につけた道具袋から慌ててボールペンを取り出すと、言われたとおりチラシの裏に書き込んだ。


「え、えーっと。や、やねのしゅうり……」

 左手の手のひらを台の代わりにして書いているので、書きづらくて字がグニャグニャだ。

「それからね」

「まだあるんですか?」

「いいじゃない、言う分にはタダなんだし。アンケートなんだからいくつ言ったっていいでしょ!」

「……はい。お願いします」

 いつから女性のペースになってしまったのか。最初からなのか? 彼は困惑するが、女性は構わずしゃべり続ける。


「それから、うちの子たちに遊んでばかりいないで勉強するよう言ってほしいわ。やっぱりこれからの時代、学問だと思うのよ。戦うのは業者の人に任せて、子どもにはしっかり勉強を――」

 女性が勇者のことを『業者の人』と言うので、

「まいどおなじみ勇者でございます。モンスター、極悪人、魔王などがございましたら、お気軽にお声をおかけください」

 と勇者が言いながら荷車を引き町を練り歩いている姿を、彼は思い浮かべてしまった。

 女性は立て板に水のようにしゃべり続けているが、彼は移動販売式勇者が頭にこびりついてまったく話が入ってこない。


「ちょっと! ちゃんと聞いてるの?」

「は、はい。聞いてます聞いてます。お勉強、大事ですよね」

「そうなのよ。うちの子たちったら果てしなくバカなのよ。まったく誰に似たんだかねえ」

「そ、そうですね。果てしなくバカなのは困りますよね」

 自分の血が半分入っているのでは? と言いそうになるのを彼はグッと抑え、無難な返事をした。

「うちの子たちをバカ呼ばわりするのはやめとくれよ~」


 と女性は言うと、バシッと彼の左肩を叩いた。同じところに寸分違わずヒットした。地味に痛い。本当に肩が亜脱臼するかもしれない。

 三十路からはや3年、少しずつ地味なダメージが後を引くようになってきた。彼は自分の中ではまだ若者だと思ってはいるが、否応なくおっさんの入り口に立たされているのを実感した。


 国家情報局勇者部企画課総合戦略係の係長としてこの職務にあたっているが、現場からはそろそろ退いて事務方にでもなりたい、と1年ほど前から思うようになってきていた。

 しかし昇進しないと無理なのはわかっている。その昇進が簡単でないのもわかっている。組織に属するとは、理不尽なことを受け入れるということだ。


 女性は自分で子どものことを『果てしなくバカ』呼ばわりしたくせに、なぜ左肩が亜脱臼の危機を迎えなければならないのか。しかも何の情報にもならない話を聞かされている。世の中も理不尽だ。

 彼は左肩の痛みよりも、胸のあたりにモヤモヤしたものが広がることの方が気になり、任務をやる気が少しずつ削がれていくのを感じた。


 女性は好き勝手に喋っていたかと思うと、

「あらやだ、こんなところでおしゃべりしてる場合じゃなかったわ。早く帰らなきゃ」

 急に話が終わりを迎えた。やっと無駄話から開放されると早々に判断した彼は、道具袋にチラシとボールペンをしまう。


「ところで、アンケートのお礼って何がもらえるの?」

 女性は臆面もなく聞いてきた。彼はずうずうしいなと思いながらも、道具袋に手を入れアイテムを1つ取り出すと、いつもの作り笑顔で言った。

「プロテイン入り回復ポーションの『プーション』です。試供品ですが1本どうぞ」

「ナニそれ。ヘンなのっ」

 オブラートに包まないもの言いを女性にされたが、彼は自分でも変な物だと思っているので気にしていない。

「いらなかったら無理に受け取っていただかなくでもいいのですが……」

「ちょっと待って。いらないとは言ってないわよ。もらえるものはもらっとくわ」


 もらうなら難癖をつけないでいただきたいものだ。彼は一瞬、笑顔が引きつりそうになった。

 彼が「どうぞ」と言い終える前に、女性は奪い返すように素早くプーションを取り、買い物カゴにしまうと満足気な表情をみせた。

「あなたもお仕事がんばんなさい。ほらアメちゃんあげるから」


 女性は買い物カゴからアメ玉を取り出すと、彼の手に無理やり持たせようとしてきた。

 彼はふだんからアメなど食べないから受け取りたくない。相手の好意を受け止めつつごく自然に断らねば、怪しまれ任務に差し障りが出ても困る。


「お気持ちはうれしいのですが、お客さんから物を頂いてしまうとですね……」

「1個じゃ足りないの? じゃあアメちゃん3個あげちゃう」

 女性は彼が遠慮していると勘違いしたようだ。

「いや、そういうことでは――」


 女性が買い物カゴからアメ玉を取り出したかと思うと、彼は抵抗する暇もなくアメ玉を掴まされてしまっていた。ちゃんと3個ある。赤色・ピンク色・緑色のキラキラした包み紙のかわいいアメ玉だ。

 なぜ女性というものはこういうときに限って、上級冒険者でもできないような目にも留まらぬ早わざを繰り出すことができるのだろうか。

 アメ玉を無事渡し終えた女性は、機嫌よさそうに去っていった。


 この場に残された彼が得たものは、中身のない情報と、その情報が書かれたチラシと、手のひらのアメ玉3個。自分は何をしているのだろうか、と彼は急にむなしくなった。

 欲張って最後の1人と思って声をかけたのが間違いだった。終始、女性のペースで話が進んだだけでなく、勇者の冒険の参考になることはひとつもなかった。

 気持ちよく聞き込み作業を終えようと思ったのに、テンションが下がっただけでなく、肩にダメージまで負ってしまった。


 彼は大きく息をひとつ吐いて気分を落ち着ける。そろそろと落ち合う時間だ。聞き込み作業を切り上げ、町の中心へと向かって歩き出した。たぶんこっちの方にいるはずだ。

 通りにちらほらいる人を1人ずつ軽く確認しながら進む。


 日差しはだんだん高く昇ってきているが、まだ昼には少し早い。町の外れにある牧場から爽やかな風が吹き抜ける。彼の生真面目さを象徴しているかのように、七三の髪は少しもなびかない。

 大衆向けの飲食店。冒険者がたむろする酒場。宿屋には『素泊まり可』『空き部屋アリ』の看板。『天然素材のみ使用』『無添加』を売りにした薬草屋。チェーン店の武器・防具屋のショーウィンドウには『セール』の文字がおどっている。


 この町で唯一栄えている大通りを、中心から外れの方まで来たのだが、はいない。彼は大通りで探すのを諦め、他に人がいそうな場所を探し進む。


 町の中心から少し外れたところにある公園まで来た。芝生の広がる広場がある。端の方にはこんもりとした山があり、芝生の滑り台になっている。山の近くにはブランコやジャングルジムなどの遊具もある。暖かい日差しが公園にいる人たちを包んでいる。

 遊具で遊んでいる子どもたちの近くでは、母親たちがおしゃべりに夢中だ。

 サボっているのか、休憩なのか、休日なのか、平日の午前中だというのに芝生に寝転がって日なたぼっこしている人もいる。きっと仕事のない冒険者だろう。


 都会に比べるとゆっくりと時間が流れているように感じる。勇者が解決しなければいけない問題や事件などまったく起こりそうにないのどかさで、大事な任務中だというのに彼は緊張感が緩みそうになった。

 公園のベンチに腰掛けている青年を見つけた。探していただ。自分と同じ格好をしているので、すぐに見分けがついた。彼が青年の前まで行くと、青年は立ち上がりもせず彼に話しかけてきた。


「遅かったっすね」

「勇者のことを業者と言うおばさんにつかまってしまってな」

「どっちも似たようなもんっすよね」

 勇者と業者を一緒にするとは、同じ任務をしている者とは思えない発言だ。

「ちゃんと聞き込みはできたんだろうな?」

「そっち系の仕事はクグさんに任せてるっす」

 青年はダルそうに答えた。

「私は任された覚えなんてないぞ、ゼタ。もしかして何もやってないのか?」

「筋トレならバッチリっすよ。ちょうど終わったところなんで休憩中っす」


 堂々と任務をサボるとは、相変わらず呆れたヤツだ。

 クグツィル・タナカッヒは職場では皆からクグと呼ばれている。

 クグがゼタと呼ぶ青年は、ゼタリオ・フォルツァリーノ。2年前に異動で企画課総合戦略係に配属され、1年前からクグの相方として――上司の命令で相方にさせられ――同じ任務にあたっている。


「聞き込みってメンドクサイっすよね」

「面倒とかそういうことではないだろ。それでも主任か?」

「主任て言ったって、総合戦略係にはクグさんと俺の2人しかいないじゃないっすか」

「それはそうだが、人数は関係ない」

「無理やりとってつけただけの役職じゃないっすか。役職手当なんて雀の涙っすよ」

「主任は主任だ。主任として主任の仕事をしてもらわないと、主任は務まらないぞ」

 ゼタはまだ25歳だから、口を酸っぱくして言っていれば何かのきっかけで仕事に目覚めるかもしれない、とクグは淡い期待も抱いている。

「シュニンシュニンって……仕事のことを考えると筋トレの効果が薄れそうっす。あ、大事なこと忘れてたっす」


 筋トレ休憩中の細マッチョ――装備を着けているからマッチョ感はわからないが――のゼタは、道具袋から瓶を1本取り出して一気に飲み干した。試供品用のプーションだ。

 クグたちの任務は正体を明かすと支障をきたすので、民間企業を名乗って活動している。社名はマチョカリプス。

 表向きの業務は、『プーション』というプロテイン入り回復ポーションの販売だ。マーケティング調査と称した聞き込みの際に試供品用として配っているが、実態はペーパーカンパニーだ。


 社名も商品も商品名もゼタのアイデアだ。そんな怪しい会社名の怪しい商品など誰が買うのかとクグは思ったが、逆にそれでいいとすぐに思い直した。下手に買い手がついてはいけない。「いやー、ちょっといらないかな」とやんわり断わられる程度がちょうどいい。

 常に20本程度を道具袋に入れている。情報収集の際、お礼に配るだけで売りはしない。固定客がついてしまったら任務に支障をきたし、本末転倒になってしまうからだ。

 クグはゼタの隣に腰掛ける。


「とにかく、これがメインの任務だ。勇者の冒険に必要な情報を事前に集め、町でこなすイベントの原案を考える。世界でもっとも重要かつ、やりがいがある任務だろ」

 勇者が町に来たら、都合よくイベントが起こるわけない。しかも、すべての町でだ。国家情報局勇者部が各町でイベントをセッティングすることで、勇者が勇者としての冒険をすることができる。


「前から思ってたんすけど、そんなことしなくても、とりあえず町に着いたら『ヒャッハー』って言いながら、悪そうなヤツを片っ端からボコッていったらいいんじゃないっすか?」

「それは勇者ではなくただの危ないヤツだ。あと、勝手に試供品を飲むんじゃない。何を考えているんだ」

「腹減ったっすね」

「そうか、腹が減ったと考えて……って、聞いてないのかよ」


 それともわざと話をそらしたのか。ゼタが仕事に目覚めるというクグの淡い期待は、当分なさそうだ。

 こんな所でゼタの指導に時間を割くのはムダだとクグは身にしみてわかっている。任務を次の段階に進めなければいけない。


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