コンタクトを外し、夜道を闊歩せよ

カイエ・アイセ

01

 僕は、絶望的に視力が悪い。親であろうと、姉妹であろうと、僕の目から十五センチほど顔が離れていると、僕はその人が誰なのかを認識できない。誰かを認識できないどころか、性別すらわからない。高校生の頃、新しい黒い眼鏡をつくるために、眼鏡屋で視力を計った時、その結果を見た眼鏡屋の店員は、笑いながら僕を老眼だと言った。そんぐらい目が悪い。

 視力が悪ければ、人生は絶望的に不幸になる。当然読み書きなんてできないし、五十メートル走もロクに走ることができない。愛する人と寄り添うどころか、愛している人なのかするわからないし、愛すことができる顔面なのかもわからない。

 そんな不幸まみれな人生を彼女が救ってくれた。僕は、小学生の頃から眼鏡をかけてる。僕が彼女の素晴らしを本当の意味で理解するようになった中学生の頃からだけれど、彼女と僕はもう十年近い付き合いだ。愛着のようなものもあるし、僕のアイデンティティの一部を形成している。様々な観点から、彼女は僕の人生に欠かせないのだ。

 そんな僕であるのだが、彼女から絶大な恩恵を受けている僕であるのだが、最近彼女のことをないがしろにしている。というより、彼女のことをどうでもいい、むしろ、なぜ僕は彼女のことをこれほど愛していたのかよくわからなくなってしまった。

 考えて見れば、彼女に欠点が数多くあった。彼女は、僕に素晴らしい世界を提供する代わりに、素晴らしい世界を歩き回ることを不便にした。それに、視野を狭くした。まるで、そうすることが彼女からの恩恵を受けるための必須条件であることかのように。

 確かに彼女を耳にかければ、僕は五十メートル走でコースアウトすることはないが、僕は彼女を落とさないように気をつけながら走らなければいけない。僕が全力運動をすると彼女は上下運動する。そんな彼女を僕の身体から落ちないようにするには、言語化するのが難しいのだけれど、なんとかして頭を固定し、落ちないように意識しながら走らなければいけない。当然そんな器用なことしながら走ればタイムが落ちる。そして、僕はどんくさいヤツだと言われモテなくなる。彼女は、僕を走らせはするが足を引っ張る。そんなことあってはならいない。

 僕はもっと早くに気づくべきだった。ただ、僕は彼女は怖かった。

 僕はもっと早くに眼鏡からコンタクトちゃんへと乗り換えるべきだった。眼鏡のせいで僕は、本来味わうことができた青き春の絵画を見ることができなかった。

 具体的には、プールだ。当然だけれど、通常の人類であれば眼鏡をかけたまま水泳をする、なんてことはしない。大抵の場合、更衣室に眼鏡を置いていく。それが致命的だ。なぜなら、僕は、スクール水着を見ることができないからだ。中学生の時の僕の目は、今に比べて世界をくっきりと見えていたけれど、今が老眼なのだとすれば、中学の時の目は中年眼だった。要するに、僕にとって水泳の授業は、目隠し混浴水風呂だったわけだ。しかも、ふんだんに男汁が混ざっている。意味がない。むしろ、入らない方がいい。僕は、男汁が混じった混浴程度では興奮できない。クリアな視界をよこせ。

 スク水女子をを合法的に、しかも混浴しながら、拝むなんて経験、僕にはもう二度とできない。僕は教員免許を取得しなかったし、中学生をもう一度やるつもりはない。

 僕は一体誰を責めればいいのだろう?この不幸を誰に呪えばいいのだろう?親だろうか。それとも、眼内レンズを入れなかった自分にだろうか。それとも、遺伝子だろうか。もしくは、ブルーライトだろうか。

 過ぎたことは仕方がない。僕ももう大人だ。コンドームとか、オナニーという言葉で喜べないくらいには大人だ。スクール水着を、上下二枚セットタイプなのか、それとも一枚なのかを気にする程度は大人だ。

 基本的に目が悪くても、良いことはないのだけれど、最近、面白い発見をした。コンタクトを外して夜の街を散歩すると、その世界は、普段の世界とは全く異なるのだ。僕は、田舎とは言えないけれど、かといって都会とは言えないほどのところに住んでいる。だから、外灯やらマンションの廊下の光、信号機の光などにそこそこ溢れてた世界だ。おそらく、それが特殊な発見をするのに好都合な環境だった。裸眼な夜の世界は、僕にトリップ映像のような世界を見せてくれる。あるいは、広がった花火の光が固定された世界だ。信号機とか、マンションの廊下の灯とか、外灯が花火のようになる世界。美しい世界、とは言えないけれど、新鮮で、少なくとも今の僕にとって面白い世界だ。

 なぜ、コンタクトを外して夜の街を散歩しているか、という疑問には、納得するような答えを出せない。いつもなら、眼鏡をつけているのだけれど、その日はなんとなく裸眼で散歩して見ようと思ったのだ。

 というわけで、というのは説明になっていないけど、僕は、新たな世界を切り開くために、まずは、眼鏡をかけた状態で夜の街を散歩した。いつもの散歩コースは飽きたので、新たな裸眼散歩に向けての下見だ。

 下見とというと、なんだか仰々しいというか、重々しい。下見という言葉によって、僕は、物事を計画的に、用意周到に、進めようとする知的に見えなくもないけれど、そんな意図もつもりもない。

 僕がびびりなだけだ。このあたり一帯の道を知り尽くしているとは、それはあくまでの昼の話である。夜と昼は違う。もしかしたら、夜にだけ発生する現象とかモンスターとか道とかがあるかもしれない。そんなものに裸眼で遭遇したら、僕はコンクリートに激突することになる。

 そういうわけで、その日、僕は、夜の世界に繰り出した。時刻は、二十三時三十分。

 そして、僕は住んでいるマンションの駐車場で倒れている人を発見した。

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