穏やかな絶滅
中埜長治
第1話 発生
P国はQ族とR族が対立し内戦が続いてきた、などというのはありふれた話だ。QとRを政党にすればありふれる範囲は更に拡がる。あれが最初に始まったP国は紅海沿岸にあったという。紅海がどこにあるのかは世界地図で見てくれ。どうせこれを読む人間は誰も辿り着けない。誰に向けて書いてるんだろうな。
内戦で陸上の流通経路が寸断され、港湾施設も破壊された都市Sは住民も避難・逃亡し、利用価値がないため両勢力が撤退、放棄された。あらゆる生活資源は糞尿か死体となってそこかしこに遺棄されていたはずだった。Sが放棄されてから3ヶ月後、劣勢のRがSに新たな拠点を再構築しようと偵察部隊を派遣した。偵察部隊が見たのは、雑踏だった。
破壊された建築物は姿を消し、地面には瓦礫も死体もなく、人々は忙しなく歩いている。雑踏だけ見れば何もおかしな風景ではなく平和ですらあった。だが、Sで生まれ育った兵士Aには故郷に戻ってきた感覚はなかった。破壊されてた物のみならず建築物自体が数を減らしている。看板や木箱、露店など経済活動を示すあらゆる物品がなく、犬やニワトリ、ロバなど家畜どころかハエや羽虫の一匹もいない、放棄されたばかりのように整然とした廃墟と、そこを歩く人々だけがあった。人々は忙しなく歩いているが、建物に入る者はなく、取引や話し合いをする者もいない。立ち止まる者自体がいない。年齢も性別もバラバラだが、80歳を超えているであろう老婆は老いを感じさせない軽やかか足取りで、2歳ほどの幼児は泣くより先に歩き出したかのように大人と変わらない滑らかな歩みだった。
雑踏の中にAの旧友Bがいた。BはSからの撤退直前の作戦で敵の砲撃が直撃し、下半身を失いAの目前で絶命した。雑踏のBは五体満足で、軍服こそ着ていたが武装らしい武装はなく、まるでこれから誰かへの贈り物でも買いに行くかのような朗らかな顔で歩いている。
「無事だったのか」
AはBを呼び止めようとした。どのような奇跡があればあの大怪我から生還できるだろうか想像もつかない。BはAを見て笑顔で手こそあげたが、立ち止まる気配はなかった。
「久しぶりだな。悪いが今は用があるからまた今度飲みに行こう」
何者かがBに成り変わってるとか、Bによく似た他人でもない。向こうもAを覚えているし、聞き間違えようのない鼻の詰まったような低い声だ。
「どこに行くんだ」
「悪いな。急いでるんだ」
雑踏の反対側からQの軍服を着た男が歩いてくる。Aは咄嗟に拳銃を構えたが、BもQ兵もまるで互いを気にも止めずに歩いていく。Q兵はAの拳銃を見て眉間に皺を寄せ「危ないぞ」と一声かけて過ぎ去った。BもAを一瞥し「危ないぞ」と声をかけて雑踏の中に消えていった。
雑踏を俯瞰して見まわすと、R兵もQ兵もかなり混じっている。戦闘どころか、小競り合いもなく、対立することなく、仲間同士で徒党を組むことさえなく、何かを目指して朗らかな顔で歩いていく。「彼ら」からして見ればAは異物だ。真っ青になって立ち止まり、拳銃を抜いている。相当に目立ったはずだ。しかし、せいぜいが先ほどのBやQ兵同様、拳銃を見て「危ないよ」と声をかけるくらいで彼自身には気にも留めない。
死んだはずのBのことや、この国では消えたことのない対立がこの雑踏において存在しないことを鑑みれば、この町は死者の国なのかもしれない。確かに、思えば雑踏からは「何の臭いも」しない。足音以外の音もない。彼らは幽霊か何かなんだろう。ここにいれば死者の仲間入りをするに違いない。Aは踵を返して偵察隊のジープまで戻ろうとしたところでQ兵とぶつかった。
紛れもなく実体があり、服の感触も体温もおかしなところはない。だが、汗や香料、体液の臭いは一切なかった。
「おっと気をつけて」
拳銃を手にした敵を前にして、“同じ側”の人間とぶつかった時でさえ見せないであろうほど静かに会釈するとQ兵は去っていった。
ジープには偵察隊隊長と護衛が一人残っているはずだった。鍵は差したままもぬけの殻で、A以外の誰も戻っては来なかった。
S市を去ったAはRの本隊には戻らず、国連の管理する難民キャンプへ逃げ込んだことで、「雑踏」の最初期の、記録上は最初の報告となった。
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