閉じる

 ユファは抑えていた魔力を全開放した。青い魔力の奔流が、体から溢れ出ようとする。その魔力を、身体強化に注いだ。


 この間の五割とは比較にならない身体能力向上効果。


 未だかつて、全力のユファについてこれたものはいない。ただひとりを除いては。


「終わってくれるなよ、ネモ」


 重心を低くし、剣を担ぐようにして構える。

 ネモは実にゆっくりと剣を鞘に仕舞うと、目を閉じた。


「……何のつもり?」


 声に憤りがにじみ出た。

 目を閉じるなど、勝負をあきらめた人間のすることだ。これからだというときに、するものではない。


 しかも構えてすらいない。


 そんなこと、剣聖でさえしなかった。


「何のつもりって、迎え撃つつもりだが」


 さも当たり前のように返される。


「バカにしてるの」


 五感は生物が外の情報を得るうえで重要な要素だ。その中の視覚を潰すことに何の意味がある。

 ユファの心中に浮かぶのはたった二文字だ。


 屈辱。


「御託はいい。来いよ」

「後悔させてやる」


 怒りをバネに大地を蹴る。

 音を置き去りにして、ユファはネモに突っ込んだ。上段から剣を振り下ろす。


 手ごたえがなかった。


 目の前から、いつの間にかネモがいなくなっていた。


「終わりだ」


 右から声がする。


 ――斬られる。


 しかし問題ない。どれだけ速かろうが、ユファはその速度の上を行く。例え皮膚に刃が届いてようと、上書きして剣を弾き上げて相手を打ちのめせる。


 ユファは横薙ぎに剣を振るった。


 しかし、それは空振りに終わる。

 間合いの外にネモがいた。剣圧によって生まれた風が前髪をかきあげる。

 間合いの外。ユファのロングソードよりもネモの剣は刀身が短い。つまりネモは攻撃する気などさらさらなかった。


 ユファは釣られたのだ。


「……いい風だ」

「何を、した」

「避けただけだ」


 簡単に言ってくれる。ユファは歯噛みした。


「この速度を避けられると思わないんだけど」

「避けられるさ。しかしあれだな、そりゃ無駄な・・・力だな」


 こちらを指差しながら、あざ笑われる。

 ネモは親指を立てて、自分の首を斬るようなジェスチャーをした。


「俺を斬るのにそこまで力はいらんし、その程度の力で俺は斬れん」

「何それ、矛盾してるよ」


 自分でも声が震えるのがわかった。

 吹けば飛ぶような相手だ。そのはずだ。なのに、相手の底が全くわからない。底なし沼にハマったかのようだ。


 なんだ、こいつは。


 なんなんだ、こいつは。


 魔力を剣に注ぎ、魔法を発動した。魔力で形成された刃が、剣の刀身を何倍にも延長させる。


「はぁあ」


 振るう。


「お、魔法か」


 ネモはあたかも見えてるかのように屈んで避けた。

 手首を回して、振り下ろしに切り替える。それを半歩だけずれて避けられた。

 斬り上げるが、上体をそらしてそのまま、間合いを詰められる。


「さて」


 柄に手をかけられる。

 飛び退いて、間合いから外れた。

 しかし、ネモは剣を全く抜かなかった。自然体のまま、ゆっくり歩み寄ってくるだけだ。


 突きを放つ。魔力の塊が放出され、ネモへ飛んでいく。


 ネモは酔っ払いような動きで身を回すと、さらりと魔法を避けた。


「落ち着け」


 ユファは自分に言い聞かせながら、身体強化の魔力配分を変えた。特に目を、動体視力を強化する。


 今度は先ほどより速度を落として、斬撃を放った。

 ネモは知っていたかのように躱す。


「……あっはは。ははは」


 乾いた笑いが漏れる。

 ユファは額を抑えながら、ネモへ大声を張り上げる。


「なんで攻撃する前に避けられるんだよ!?」


 攻撃する瞬間。否、ユファがそれを行おうとした瞬間には避けられている。実行しようと思った瞬間では思考も動きも止められない。


「速いからだ」

「速い、から」

「止めらんないだろ」


 頭を親指でこつこつ叩きながら、ネモは淡々と告げる。


「速いから放つと思った時点で放たれてる。事前に何がくるかわかってりゃ、造作もねえ」

「さっきから簡単に言ってくれるね。魔法はどう避けるのさ」

「魔法の速度は強化できねえっぽいな。なら視てからでいい」

「見てからって……目閉じてるのに」


 さっきから単純な説明しかされていないのに、何一つ理解できない。


「……これなら、どうよっ」


 剣に魔力を集中させる。

 そして高出力の魔力が薙ぎ払いと共に放たれた。先ほどのような刃を延長させるものではない。


 前面全て焼き払うためのものだ。


 目の前が青で染まる。


 さすがに魔力なしでこれは耐えられまい。


「……な」


 ――と思っていたのに。


 ネモは立っていた。


「な、何したのかな?」

「斬った」


 鞘に剣は収まったままだ。


「魔力なしで?」

「さすがにサーベルじゃ無理だったな。こいつじゃねえと」


 剣を叩く。


「要は濁流みたいなもんだろ。斬ったことある」

「馬鹿げてるよ、キミ」


 ユファの呟きに、ネモは首を傾げた。


「馬鹿じゃねえとやってらんねえだろ」

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