夏の夢 6

 転移門をくぐると、そこは何もない小さな石造りの部屋だった。

 神殿側もそうだけど、門の周りに何もないのは転移の事故を防ぐためでしょう。


 わたしは周囲を警戒しているソフィの、繋いだままの手を気を引くように引っ張った。

 ソフィが私の方を向く。


「さっきの、何ですか」

「何、とは?」

「何もないわけないですよね。わたしに関係あることなんですか」

「貴女が気にすることではないわ」


 何それ。

 わたしのことなんだから、教えてくれたっていいでしょう。


「わたしに言いたくない理由でもあるんですか」


 思わず、声が尖ってしまう。


「…少し」

「え?」

「貴女のことで、あの人たちに厳しいことを言ってしまって。悪いとは思っていないけれど、少し感情的になっていたので思い出すと恥ずかしいのよ」


 ソフィは頬を染めて目を逸らした。


「それを、本人に説明しろなんて、なんでそんな意地悪を言うの」


 拗ねたような口調で言うソフィに、わたしは返す言葉を失った。

 何だろう、この気持ち。

 ソフィのことを可愛いと思ってしまった。

 奇麗とか、素敵だとかはいつも思うけど、まるで年下の少女のように愛らしいと感じてしまう。


 でも、宮殿にいた時のソフィは、わたしにこんな顔を見せてくれていた。

 あの頃のように振舞えば、またこの顔が見られるのだろうか。

 わたしはどんなふうにソフィと接していたかな。たしか、なるべく無関心なようにして、ソフィが我慢できなくなったら触れ合い多めに接する。

 無理だ。どう考えても、わたしのほうが先に折れる。


「ソフィ、可愛いです」

「何を言うの」

「ねぇ、なんて言ったんですか」

「もう、いいでしょう」


 わたしが腕を絡めて詰め寄ると、ソフィは逃げるように顔を逸らした。

 なにこれ。楽しい。


「お前たちは、いつもそうやって引っ付いているのか」


 声のした方を向くと、いつの間にかティティスが扉を開けて立っていた。

 いいところを邪魔されたわたしは、ため息をついてソフィから離れる。とは言っても、手は繋いだままだけど。


「この間から、わざと邪魔しているのですか」

「人の家で何を言っているんだ。お前、性格変わってないか」


 煩わし気にわたしが言うと、呆れたような返事がティティスから返ってくる。


「姫も、少し甘やかしすぎでは」

「甘やかしているつもりはありませんが。それより、姫と言うのをやめてください。今はソフィアと名乗っています」

「それでは、ソフィア様。幼子には躾も大切ですよ。あまり貴女にばかり依存するのはいいことだとは思えませんが」

「私はテレサの母親ではありません。それに説教ですか。テレサを追い詰めた側の貴女が」


 驚くほど冷ややかなソフィの声だった。

 王や猊下と同じで、わたしはティティスにも恨みはないけど、魔女に関わる全てがソフィには許せないのかもしれない。

 その中にはもしかしてソフィ自身も入っているのだろうか。

 わたしに対する罪悪感なんて、いらないのに。


「出過ぎた言葉でした」

「いえ…貴女には契約のことでは感謝もしています」

「ティティス」


 二人の会話を、わたしの言葉が遮った。


「なぜ、ソフィだけ特別扱いするのですか。あなたは誰にも敬語なんて使わないでしょう」

「敬意をもっているから敬語を使っているだけだが」

「ソフィのことが好きなんですか」

「好意は持っているが…お前とソフィア様の関係は知らないが、恋愛感情ではないぞ」


 特別な好意を抱いた相手なんてソフィしかいない。その好意は恋愛感情になったのだから、違いがどこにあるかなんてわたしに分かるはずがない。


「ソフィは、あげません」

「いらぬ。僕が一方的に敬意をもっているだけで、何かをもらおうとは思っていない」


 思っていようがいまいが関係ない。

 ソフィのことをただ一人の特別な人にしているのが許しがたい。しかも、わたしからソフィを奪えるかもしれない魔女なのだから余計に。

 二人の間にある、分かり合っているという雰囲気も胸がざわつく。

 わたしは多分、ソフィの他人との深い関わり合いを全て断ち切りたい。そんなのおかしいし、間違っていると分かっているけど、どうしてもその欲求は消えない。

 だって、わたしにはソフィしかいないのだ。ソフィの代わりになる人なんていない。ソフィがわたしを選んでくれて、わたしがソフィを選んだこの奇跡は、きっと二度とわたしに訪れない。

 ソフィがわたしの前からいなくなったら、わたしは一日ももたずに魔王になるだろう。

 それなのに、ソフィには選択肢があるなんて不公平だ。


 もう、ソフィに過去の関わりを全て断ち切って欲しくないなんて思っていた頃のわたしはいない。

 その意味ではアレクシス王こそがもっとも不快な存在だ。

 双子の兄妹として二人の繋がりは、わたしには理解できないくらいに深く強い。決別したと言っても、必要があればソフィは頼るし、王も可能な限り応える。

 家族なんて、血の繋がりなんて、わたしにはどうしたって手に入らないものは、ソフィにも捨ててほしい。そんな醜い願望が消えない。


 やっぱり、あの家から出なければよかったな。ソフィと二人だけでいれば、こんな醜い感情に気付かないふりができた。他人とソフィの関わり合いを見るから、こんな気持ちになってしまうんだ。


「テレサ、変なこと考えていない? 私は貴女だけのものよ」


 耳元で囁かれたソフィの言葉が、ぐるぐるとした思考を解けさせる。

 分かっている。

 ソフィを疑っているわけではない。

 でも、ソフィと他人の繋がりを見ていると不安になる。

 その不安がどこから来るものなのか分からなくて、怖い。


「ティティス。夜会は夏至の日と言っていましたが、明日でいいのですよね。早く終わらせて帰りたいのですが」

「夜会は明日で間違いないが、お前にはその後、残ってもらうぞ」

「え、いやです」

「お前、外魔力の制御まったくしていないだろ。基本だけでも訓練していけ。めったにあることではないが、暴走させてソフィア様を傷つけたらどうする気だ」

「…帰ったら、自分でやります」

「ユーリが残した魔術関係の書物があれだけあるのに、今までやらなかったのにか」


 ティティスの言葉は、わたしの痛いところをついた。

 ソフィと一緒にいるのが幸せすぎて、何も手につかなくなっている自覚はある。


「ソフィも早く帰りたいですよね」

「そうね。でも、いい機会だから、教えてもらったら」

「えっ」


 ソフィまで、そんなことを言う。

 よほどわたしは不満そうな顔をしたのか、ソフィが苦笑いを浮かべる。


「だって、最近の貴女、少し気が抜けすぎよ。術式の励起すらしていないでしょ」

「うぅ」


 たしかに術式の励起を維持していない。あの技術はそれなりに神経を使うものだし、緩んでしまっているわたしには一つだって難しい。逆に言えば、四つもの励起術式を維持していたのは、よほど異常な精神状態だったのだろう。小さな針が落ちる音に耳を研ぎ澄ますような、張り詰めた神経だけがそれを可能にしていた。

 きっと、あの頃のわたしを取り戻すことはできないし、そのつもりもない。


「…ソフィも一緒に残ってくれますか」

「当たり前でしょ。私が貴女の傍を離れるわけないじゃない」

「それなら、頑張ります」


 いやな気持ちをごまかすように抱きつくわたしを、ソフィは柔らかく受け止めてくれた。


「いや、だから、人の家でそういうことするなと言っているだろう」


 ティティスの言葉を無視して、ソフィに抱きつく力を強める。ソフィの温かさだけが、ささくれだったわたしの気持ちに安心をくれた。

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