第34話

 人の手の入らない鬱蒼とした森を抜ける。

 そこだけ歩ける程度に整えられた径があったので、迷うことはなかった。


 森の中に唐突に開けた空間に、その神殿跡はあった。

 神殿跡と言っていたから、廃墟を想像していたけれども、倒壊などはしていない。

 半分ほどは森に飲まれているけれども、外観は元型をとどめている。


 その閉ざされた入口の前に、ティティスが立っていた。


 私の、彼女に対する感情は複雑だ。

 もともと、私のことを視界にもいれない彼女のことは苦手に感じていたけれども、魔女の真実を知った今となっては、どんな感情を持てばいいかも分からない。

 おそらくティティスはテレサが魔女に選ばれたことには関わっていない。テレサが魔女に選ばれたから、魔王討伐の本命部隊として王がティティスの協力を仰いだと考えた方が自然だから。

 だけど、ティティスが王の協力者であることも事実。

 ティティスは自分と同じ魔女となるテレサに対して、何を思っていたのだろうか。


 神殿前に立つティティスは、いつもとどこか様子が違った。

 立ち居姿がまるで貴族の令嬢のような。

 いえ、むしろ五王国の姫よりも気品が感じられる。


 伏し目がちの灰青の瞳が、私を捉える。


「お待ちしておりました。大レタリア帝国ラ=レタリアの血を継ぐ姫よ」


 ティティスは裾を軽く持ち上げて、優雅に一礼する。あるいは私よりも洗練された所作だけれど、片足を後ろに引くのは何百年も前に廃れた作法。


「はじめてご挨拶させていただくご無礼をお許しください。わたくし、今はなき聖央国アジュリアの巫女ティティス・シル・ヴィ・アジュリアと申します」


 聖央国アジュリアは正教の総本山である聖都の前身と言われる、魔導文明時代最後の国家の一つ。


「私はすでに王族ではありません。礼は不要ですし、私も王族としての礼は返しません」

「かまいません。これは私からの敬意の形とお考え下さい」

「意味が分かりません。どうでもいいですけど、どいてくれませんか」


 そこに立たれると、中に入れないので邪魔。


「すでにテレサの魔女化は始まっています。今、中に入って、魔王の呪体が操るテレサと戦うおつもりですか」

「そう…」


 私に出来るのは、待つことだけなのか。


「この中に入ると、まず拡張された外魔力領域により、テレサと魔王の意識統合に巻き込まれます」

「え…」

「具体的には、テレサの記憶に意識が飲み込まれることになるでしょう」

「何の話しですか。私はテレサと戦うつもりなどありません」


 唐突な説明を遮るけど、ティティスが意に介すことはなかった。


「これは聖剣の加護をもっても防ぐことは出来ません。この状態ですと、自己と同一と見做すため魔王が攻撃してくることはありませんが、魔女化が終わるまでに分離できなければ、精神の死を迎えるでしょう」


 その現象には覚えがあった。

 魔王の間で見た白昼夢が、その名残なのでしょう。


「ですが、魔力的に孤立し、かつ魔力の完全独立体を形成できる貴女であれば、分離可能でしょう」


 ティティスの意図は不明だけれど、私は黙って聞くことにした。

 どうせ、今出来ることは何もない。


「分離に成功すると、異物と判断されて魔王の防衛本能に排除対象と認識されます。魔王の防衛本能と言いましたが、その能力は依代に依存するので、テレサ自身と戦うと考えて良いでしょう」


 それは少し違う。

 テレサの能力は極めて危険だけれど、最も恐ろしいのはテレサそのもの。

 テレサの意識が扱わないテレサの能力を、私は恐れない。例え能力だけでも私の格上であろうとも。


「どうして、そんなことを教えるのですか」


 ティティスの言葉が途切れ、私は問いかけた。


「感謝のお礼です」

「お礼…?」


 私は首を傾げる。

 ティティスに感謝されるようなことをした覚えはない。

 それに、この中で起きていることを教えることが、どうして礼になるのか。


「何のことですか」

「テレサのために怒ってくれたことに」


 その言葉に、私は眉をしかめずにはいられなかった。

 同じ魔女だからと言って、テレサの理解者のつもりになられるのは不快だ。


「テレサの代弁をしているつもり? 同じ魔女として」

「いいえ違います。これは、私自身の想い」


 ティティスの目が真っ直ぐに私に向けられる。

 初めて、ティティスと目が合った気がする。

 その灰青の瞳は、冬の海のようで、その引き込まれるような深さはテレサの瞳と似ていた。


「貴女の言葉はテレサだけに向けられたもの。それでも、貴女の言葉と行動は、魔女にとって救いでした。全ての魔女に貴女がいてくれればいいと思えるほどに」


 私には、ティティスに返す言葉が見つからなかった。

 私は別に魔女の境遇を憐れんでいるわけでも、怒りを抱いているわけでもない。

 魔王と言う災害の危険性を考えれば、魔女という犠牲は仕方ないとすら思っている。

 ただそれに、テレサが選ばれたことが許せないだけ。


 ティティスが初めて私を見たように、私も今初めてティティスを見た気がする。

 私よりも小さな、華奢な少女。

 もしかすると十五歳の成人にすらなっていないかもしれない。

 ティティスはその歳の時に、魔王をその身に封じたのだという事実に、今更のように気がつく。


 その千年の想いは、私などには想像もできない。

 そしてテレサを選んだ私には、何もしてあげられることはない。


「…魔女同士で寄り添って生きようは思わないのですか」

「傷の舐め合いでは、孤独は癒されません。それに、魔女同士が近くにいすぎると呪体が干渉して活性化するおそれがあります。そうなると北の地の魔王の呪核に呼ばれ、魔王化が始まってしまいます」


 どこまでもこの世界はテレサを孤独に追いやりたいようだ。


「聖女…いえ、聖遺物とは何なのですか。なぜテレサが選ばれたのですか」

「聖遺物とは、私の骨です」

「…何ですって?」


 自分の胸に掌を添えて、ティティスが淡々と語る。


「私の肋骨を削り出し、術式を施したものです。最初の魔女である私と心魔力の波長が近い、魔王の器となりうるものに反応します」


 目の前の魔女がテレサを最後の孤独に追いやった。

 だけれど、私は彼女を責めることは出来なかった。

 彼女自身が最初の、そして今も続く犠牲者なのだから。


「私にとって聖女たちは、もう一人の自分なのかもしれません」


 淡々と続けたその言葉に、どうしようもない悲しみを感じたのは、私の気のせいだったでしょうか。


「ですから、貴女にこれを贈ります」


 ティティスは袂から取り出した短剣を差し出してくる。

 鞘に収まっていてすら漂う、濃密な魔力の気配。

 尋常ではない代物であることが一目で分かり、受け取ることを躊躇う。


「これは、きっと呪い」


 そう語る言葉も姿も、悍ましくも美しい魔女そのものだった。


「ですが、貴女にだけは福音になるかもしれません」

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