第1章

第1話

「うぅ…」

「うるさい。うざい」


 ローレタリア王都の港に着いた私は、凱旋パレードの準備のために海軍庁舎に入り、そのままあてがわれた部屋で毛布にくるまって寝台で丸くなって呻いていた。

 双子の兄アレクの冷たい声が聞こえ、毛布の上から脇腹に何かがぶつかる。

 毛布から顔だけ出すと、寝台の横で椅子に腰かけたアレクの長い脚が伸びてわたくしの横腹に刺さっていた。


「蹴るなんてひどい」


 恨みがましく言っても、どこ吹く風とばかりに表情一つ変えず、読んでいる本から目を上げようともしない。

 臣下に見られたら王家の威厳も何もない姿だが、二人でいるときは大体こんな感じだ。


 双子と言っても、私とアレクはそれほど似てはいない。

 同じなのは金色の髪と、蒼い瞳くらいだろうか。

 アレクは母親似で、筋肉質な長身や、切れ長の目など、全体的に鋭利な印象が強い。

 私はどちらかと言えば父王に似ており、よく言えば優し気な、悪く言えば威厳のない容姿をしている。少し垂れ気味の目元が昔からコンプレックス。


 アレクは生まれた瞬間から王だった。

 剣術、馬術、魔術、学問。王族に課されるあらゆる才能に優れ、弛まず、それでいて人を使うことも上手い。

 もし、私が男子で継承権を争う立場であったら、劣等感で圧し潰されていたと思う。


「パレードまで時間がないぞ。早く着替えてこい」

「気まずい。つらい」


 あれからテレサと顔を合わせるのが怖くて、彼女を避けている。

 王女として生まれ、育った私は、自分でも驚くほど、他人に正面から嫌われることに慣れていなかった。

 いえ、もちろん悪意のある人なんてくさるほど見てきたけれど、好意を向けた相手に拒否された経験が初めてで、それがこんなに傷つくものだとは知らなかった。


「テレサと何かあったのか?」

「う…どうして分かるの?」

「あからさまに避けているだろう」


 態度は大きいのに周りをよく見ている。


「で、何があった?」

「お友だちになりたいと言ったら、拒否されて、嫌いだと言われた…」

「何でまた、そんなことを言ったんだ」


 呆れたようなアレクの言いざまに少しムッとする。


「だってお友だちほしかったから…」

「いや、そうじゃなくて。テレサが王族や貴族を嫌っているは分かっていただろう」

「え?」

「ん?まさか気づいていなかったのか」


 ため息をついて、やれやれと首を振られた。

 驚きのあまり、毛布を弾き飛ばして起き上がってしまう。


「それ、本当に?」


 私だって王族として、それなりに面従腹背の人を見抜く観察眼は持っている。

 彼女の柔和な態度のどこに嫌悪があったのだろう。

 いや、違う。出会った頃の彼女はもっと、こう透徹した雰囲気だった。

 むしろ今の親しみやすい彼女の方こそ、一年の旅で距離が近づいたのではなく、距離を取られた結果なのではないだろうか。


「ああ。まあ、嫌うというよりは距離を置きたいというのが本当か。悪意があるかないかを見抜こうとしていたら気づかないかもな。あれは、ただの拒絶だな」

「拒絶…」


 彼女のあの一定以上に踏み込ませない雰囲気が、拒絶だったのだろうか。

 その拒絶はどこからきているのだろうか。

 彼女の激情を引き出してしまったのは、「対等」という言葉だったように思う。それが、彼女の心の何かに触れてしまった。


「それで、どうするんだ?」

「どうするって?」

「振られて。逃げて。このまま会わないようにするのか」

「それ、は」


 私は一体どうしたいのか。

 お友だちになりたかった彼女は、自分のことを嫌っていた。

 もう、いいのではないか。彼女が自分を嫌う理由を知っても、その事実が変わるわけではない。だったら、もう諦めてしまえばいい。


 目を瞑り、テレサのことを思う。

 彼女との出会いを思う。


◇◇◇


 それは一年前。

 魔王が生まれ、聖剣を有する五王国が主導する連合軍が結成され、聖剣の担い手による浸透作戦が決定されたころ。

 私は兄アレクの名代として、聖女を迎えるために馬車に乗っていた。


 聖女は聖剣と対をなす聖遺物レリックに認められた存在。

 聖剣が王権レガリアであり、五王国の祖王の血統にしか扱えないのに対して、聖遺物は極めて高い心魔力を持つ乙女を血筋に関係なく選ぶ。


 心魔力とは、魔力の三形質の一つ。

 自分の肉体と精神に作用する内魔力。自分以外の他者に作用する心魔力。自然現象に干渉する外魔力。

 魔力の総量のうち、どの形質にどれだけ魔力を使えるかは人によって異なる。

 心魔力に長けたものは、結界術や治癒術といった術式を使用することが出来、外魔力に長けた魔術士に対して法術士と呼ばれる。その多くは、司祭として正教に所属している。


 聖女は魔王を討伐するのに、聖剣とともに必須の存在だと伝承に言われている。

 聖剣は魔王を倒すことが可能だけれど、倒された魔王は呪いを広くまき散らすと言われていて、それを封じることができるのは聖遺物を持った聖女だけというもの。


 ローレタリアの正教会に保管された聖遺物が長らく空席であった聖女を選んだのは、一年ほど前のこと。

 正教会には建前として五王国も介入できないので、何があったのか詳しい情報は私のところまで届いていないが、相当なごたごたがあったらしい。

 新しい聖女のお披露目すら行われず、そのまま魔王の騒動で埋もれてしまった。

 だから私は、新しい聖女の名前すら知らない。


 馬車は王都の商業区を抜け、下層区の境に近づいていた。

 最初、宮殿に近い本神殿に向かった私は、ローレタリアの正教徒を束ねる大主教に出迎えられ、複雑な顔で聖女はここにいないと告げられた。

 正直なところ、意味が不明だった。

 いくら危急とは言え、昨日のうちに聖女を迎えにいくと先触れを出している。

 聖女が神殿にいないのも意味不明なら、それならそれで呼び戻せばいいのに、居場所だけを告げられた。


 そして、居場所を聞いた私は今、ここにいる。

 馬車が止まり、開いた扉から護衛の近衛騎士の手を借りて降りると、下層区に半ば踏み込んだ場所に建つ、寂れた孤児院の前だった。

 狭い庭で遊んでいた、着古しを着た子供たちが大きな口を開けて私を見ている。

 可愛らしさに思わず口元が緩んでしまう。


「お姫様だー!」


 一人の女の子が叫ぶ。

 別に私が王女と知っていたわけではなく、ドレスを着た私を見て「お姫様みたい」と思っただけなのだろう。


 叫んだ女の子がこちらに駆け寄ってこようとする。

 近衛が俄かに剣の柄に手をかけて私の前に出ようとする気配を感じた。

 軽く手を挙げて抑えようとするよりも早く、近衛の動きが不自然に止まった。


 強い魔力が近衛に作用しているのが気配で分かる。

 これは結界術の応用でしょうか。強い内魔力を持つ近衛の動きを止めるほどの強度をもつ結界を瞬間で展開するなんて。

 魔力の気配は、駆け寄ろうとした女の子を背後から抱き留める、若い修道女から感じられた。


「だめよ、近づいては」


 修道女の優しいが強い声で、女の子と一緒に動きそうだった子供たちがぴたりと止まる。

 どういう意味かしら。

 近づいたら手打ちにでもしかねないと?

 でも、実際に近衛は剣に手を掛けたのだ。そう思われても仕方ないのかもしれない。

 近衛が剣に手を掛けたのはただの威嚇で、本当に駆け寄られても、明確な殺意でもなければ、抑えつけるのが精々だっただろう。

 でも相手には、そんなことは分からないのも理解できる。

 私が身振りで近衛に下がるように指示すると、同時に結界術も解かれたようだ。


 修道女は美しい娘だった。

 私よりはいくつか年下の十代半ばだろう。ベールから零れる癖のない艶やかな黒髪。その髪と対をなす白皙の肌。まだ多分に幼さを残していけれど人形のように整った顔立ち。

 簡素で着古した修道服でも、その美しさはまったく損なわれていない。


 見た瞬間に、分かった。

 この人が聖女だ。

 王家に匹敵するほどの莫大な魔力が内在しているのに、おそろしく静か。

 

 私は近衛をその場に留めて、孤児院の敷地に入る。

 修道女はまるで子供たちを守るかのように、私の前に出てくる。

 一瞬、私と彼女の視線が交錯する。その凪いだ紫の瞳は怯えるでもなく、こちらを値踏みしている。馬車に刻まれた王家の紋章ではなく、私と言う人間そのものを。

 もし、私たちが子どもたちを害そうとするなら、彼女は一切の躊躇も容赦もなく敵対してくるだろう。

 そう、確信できた。


 この子の目、何もかも見透かされそうで怖い。

 一度だけ同じような目をした人を見たことがある。

 成人となる十五歳の聖別の儀でお会いした、正教会の総主教ヨハン七世猊下。

 かつて戦場の大主教とも呼ばれた、激戦地を巡って陣営も身分も区別なく人を癒し続けた方。

 人の世の地獄を見続けて、それでも人を憎まなかった人の目。


 わけの分からないほどの羞恥がお腹の奥からこみ上げる。

 聖女の格式は、五王国の王族にも匹敵する。

 おそらくこの人は、少なくとも表に出せるような貴顕の生まれではない。そうであるなら、大々的にお披露目がされているはず。

 この人は、ただ自分の力だけで私と対等の立場に立っている。


 出来損ないが、血筋だけで王女の立場にいる私とは正反対の人。

 着飾ったドレスも。仕立てのいい馬車も。随行する近衛も。私を王女としてかたち作る全てを、この人は必要としていない。


 でも、視線が交わっったのは一瞬で、彼女は深く頭を下げた。。

 私は彼女に頭を下げさせたことに罪悪感を覚えると同時に、彼女が頭を下げたことに不満を覚えた。

 貴女は私に頭何て下げる必要ないでしょう。


「ご機嫌よう。頭をあげてください」


 それでも、人目のあるところでは、私は王女として振る舞うことしかできない。


「王女殿下。このような場所にどのような御用でしょうか」

「こちらに聖女様がいらっしゃると伺いました。お取次ぎ願えますか」


 私の言葉に修道女は、ようやく頭をあげる。

 そして優雅な一礼とともに、彼女は名乗った。

 

「失礼しました。わたしが今代の聖女テレサです」


◇◇◇


 そして、私は閉じていた目を開く。


 そうだ、彼女は出会った時から私を王女という服を着ただけの人間としてみていた。

 王女と言う虚飾を取り払った、「私」を見たのだ。


 だったら、彼女が私を王女と言う理由で嫌うのは理不尽だ。

 彼女が王族や貴族と言う理由で私を拒絶するなら、私はその「嫌い」を否定する。

 だから、私は彼女の嫌いを問いたださないといけない。


 私は寝台から降りて部屋の出口に向かう。


「どうした?」

「着替える。パレードに出るのでしょう」


 アレクの問いに短く答える。

 テレサと顔を合わせる気まずさがなくなったわけではないが、私だけが一方的に遠慮しなければいけない理由はない。

 私が彼女を諦めなければいけない理由なんて、ない。


 一年も一緒に旅をしていたのに、私は彼女のことを何も知らなかった。

 知ろうとも、していなかった。

 だけれど、それはテレサも同じだ。

 彼女も私のことを、きっと何も知らない。


 だから、そこから始めよう。

 彼女を知ることから、もう一度。

 そして、私と言う人間を知ってもらうために。

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