第41話 彼女はエスカの希望

 学園内に、高い生垣が見えてしばらく。

 貴族学園の正門外で、エスカとメリーはその時を待っていた。


 なおシフティは引き続き王都を巡り、貴族の私兵たちを剣山にしている。

 下手人の貴族たちを王都から追い散らす、または捕縛するのは二人の役目だ。


「……ほんとに来るの?」

「そりゃあ来るとも。学園はこれで、逃げ場が少ないんだ」


 学園の裏手から攻められれば、当然表から逃げるほかない。

 大規模魔法によって一瞬で鎮圧されたとあれば、まずは対決よりも撤退を選ぶのは自然な判断だ。


 はたして、敷地の中からやって来たのは。

 平服ではない、華美な礼服に身を包んだ貴族たちだった。


「おっほ、本当に来たわねしかも13人! 本物かしら?」

「違ったっていいんだよ。出てくる者を全部のせば、いずれは当たるさ」


 この夜更けに結構な恰好だと思ったが……顔が赤いのもいる。

 酒宴の途中だったというところか。

 その上、供も連れずに逃げ出すとは。呑気なものだ。


「きさ、貴様ら! 何だその無礼な口の聞き方は!」


 こちらの軽口が届いたのか、一人が唾を飛ばさん勢いで叫ぶ。

 言い分はごもっともだが、童女と見まごうエスカたちに向ける言葉ではない。

 冷静にそんなことを考えて、口上に思い悩んだエスカだったが。


 メリーがエスカの隣で、振りかぶって。


「ほいさっさ!」


 渾身の力を込めて、何かを投げた。


「ほげっ」


 どすっ、といい音がして、エスカの頭部に……種がめり込んだ。

 芽を吹き、めりめりと急速に成長していく。

 現れる無数の脚、ハサミ、そして甲羅……


「よう、お貴族さんたち。

 俺の名前はテリー・ザ・マンティスフラワ―」


 エスカの頭から、また巨大なカニが生えた。

 なお甲羅の背面からはカマキリのような胴体が伸びており、さらに六本の脚が石畳の床についた。

 不安定なら脚を増やしてしまえという、頭の悪い発想でなされた改造だ。


 発案者は、深夜に煮詰まってやけくそになったエスカである。


「わ、私は!」

「おっと行儀がいいのはべりぐー。

 だがおたくらの名前は聞いてねぇ」


 テリーがエスカの頭の上で、ハサミを掲げる。

 エスカが念じると、カニとカマキリの脚が器用に動いた。

 足回りはエスカ担当。上はテリーが引き受ける構えだ。


「今すぐお別れだからな」


 閉じたままのハサミが、横なぎに振るわれる。

 それは意外に遠くまで届き、男たちを3人一気になぎ倒した。


「こいつ!?」


 残りの者たちが一斉に魔法を構え、やたらめったらに撃ち出す。

 だが、カニはびくともしない。


 テリーは、エスカから生えている。

 彼女の特性が、適用されている。

 


 絶対に無傷とも限らないので安心はできないが、カニの甲羅はメイルの鎧並みに固い。

 現存の魔法では、突破できない堅牢な守りだ。


 エスカがわしゃわしゃと脚を動かす。

 カニの脚で自身を抱え、カマキリの脚で貴族たちに近寄る。

 テリーがハサミを振る。魔法の防護はすべて素通しだ。


 また幾人かが吹っ飛び、二人腰を抜かし、一人はメリーに投げられ。

 そして残りは、方々に逃げ出した。


「……半分くらいか。後は放っておいてもいいかな?」

「いいんじゃない? 上出来でしょ」

「俺ちゃんの活躍、短いんだけど」


 上で文句を言うテリーに呆れ、エスカは息を吐き、また少し念じる。

 カマキリの胴体が甲羅に収納され、しゅるしゅるとカニが小さくなり。

 テリーは鉢植えに生える花程度の大きさまで縮み、エスカの頭部に残った。


「後はもうないし、踊ってればいいさ」

「イェー!」


 カニが踊り出した。鬱陶しいが静かなので、エスカは少し安心する。


 早速だが、次に取り掛からねばならない。

 貴族たちに用はない。大事なのは人質だ。

 エスカはメイルたちとの合流のため、そのまま学園に踏み入ろうとして。



「大手柄じゃないか! エスカぁ」



 身が竦んで、動けなくなった。

 青い瞳に、金の髪。メイルほどではないが、長身に整った顔つき。

 エスカに絶望を与える男、義弟・ダイナが……なぜかそこにいた。


 王都入りしたという情報までは、あった。だがどうして、学園ここに。


 門の向こうから、にやつくダイナが近づいてくる。

 彼が一歩寄るごとに、奇妙なことにエスカからは力が抜けて行った。


「ぐ、こいつ……!」


 隣で、メリーが膝をついている。

 頭上のテリーは反応がない。

 なんとなくだが……枯れかけている気がする。


「やっぱりこれ効くんだなぁ? 化け物」


 ダイナが上を指さす。

 なんとかエスカが顔を上げると……何か大きな、蛾?が何匹も飛んでいた。

 夜闇に、仄かに粉のようなものが浮いているのが、見える。


 エスカの胸には、強い恐怖が去来していた。

 過去、ダイナに触れられると感じていた……恐れ。

 魔法の効かないはずのエスカに、鱗粉が得も知れぬ何かを与えていた。


「父さんの作ってた魔法だよ。

 あの人は使えないみたいだけどね。俺は使えるわけ」

「男爵! 彼女に一体何を!」


 女性の声がし、エスカはダイナへと駆け寄る人影にようやく気が付いた。

 白い法衣をまとった、聖職者と思しき者。

 その顔は、先ほど見た赤い近衛に、少し似ている。


「これは失礼。彼女が貴族に狼藉を働いたものですから、怖くってつい!」


 確かに、法に照らし合わせればまずいのはエスカの方である。

 エスカはまだ、ただの男爵令嬢。

 それが他所の貴族たちを、なぎ倒したわけだ。


 この非常時に通用する論理ではない。しかし。

 法衣の女性は、聖教関係者だろう。

 ダイナの言い分に、彼を睨みつけて押し黙った。


 王国内の法に、聖教がとやかく口を出せるものではない。


「大人しくしててくれよ? エスカぁ。

 別に悪いようにはしない。でも暴れるようなら――――」


 場違いに。

 この流れさっきもやったな?と。

 エスカはそんなことを、ぼんやりと思い浮かべ。


「ぶっ飛ばしてやるから」


 その通りとなった。


「へぶらぁ!?」


 ダイナが横合いから殴られ、すごい勢いで吹っ飛ぶ。

 門の柱を砕いて、そのまま派手に転がった。

 死んだんじゃないか?と思ったが……途中で魔法を使ったのか、彼はすぐに起き上がった。


 ダイナが元居た場所に、現れたのは――――静かな憤怒溢れる、赤い闘士。


 夜に溶け込むような黒いドレスも、赤い髪も、その瞳も。

 轟々とうなりを上げる魔力の奔流に、赤く紅く照らされている。

 

「ら、ライラ!? 兄になんてことするんだ!」

「うるさいクズ野郎」

「ッ……!?」


 低い声で唸るように言うライラに、ダイナは押し黙った。

 ライラから溢れ出る魔力は、さながら間欠泉のようだ。

 その赤い光は、彼女の怒りをそのまま示しているかのようでもある。


「私は今、訂正の言葉を考えるのに忙しい。

 ダメだ。ぶっ飛ばすじゃ、だめなんだ。

 私の想いはその程度じゃない、そんなものじゃあない」

「っ、舐めやがって!」


 青い瞳を血走らせ、激昂したダイナが拳に火の魔法を灯す。

 そしてエスカが止める間もなく、実の妹に殴りかかった。

 鈍い音を立て、燃える拳がライラの頬に突き刺さる。


「ライラ!!」


 体は動かなかったが、エスカは不思議と力強い声が出た。

 そして……それ以上に力強く頼もしい、ライラの凄絶な笑みを見た。


「な、に」


 呆然とする兄を、傷一つ付かない妹が、至近で睨みつける。

 彼の拳の炎の向こうから、赤い視線がその心を鋭く貫いた。


 慄くダイナの目の前で右手を掲げ、指を一本一本握り込んでいくライラ。

 指が曲がるたびに、ごきりごきりと、彼女の拳が鳴る。

 そして握りこぶしが作られた瞬間、魔力が収束し。


「思いついたわ」


 その言葉と共に、雑に振るわれた。

 大振りの拳が弧を描いて、ダイナのこめかみにめり込み。

 彼の顔が一瞬歪む勢いで、振り抜かれた。


「ぶべらああああああああぁぁぁぁぁぁぁ――――……」


 ダイナが、彼方に吹っ飛ぶ。

 彼は遠く遠くに、悲鳴をたなびかせながら飛んでいき。

 その姿が見えなくなって……やがて、小さく水音が響いた。


 城の方に飛んで行ったから、堀にでも落ちたのだろうか。


 そう。貴様を目にした私が口にしていいのは、それだけだ」


 淑やかさが綺麗に飛んでいるのは、ちょっと気になるが。

 エスカは思わず、表情が緩んだ。

 愛しい妹の強い思いが、素直に嬉しかった。


「ヒュー! さすが姉御!」

「姉御じゃないわよあんたもっとしっかりしろカニ。割るわよ?」

「ヒエッ」


 にゅるっと出たテリーが、ライラに凄まれてすぐさま引っ込んだ。

 そういえば、蛾と鱗粉が消えている。

 力はまだ入らないが、おかげでテリーもメリーも、自分も無事……ということのようだ。


 ほっとしたエスカは、ライラをたたえようと口を開いたが。


「ライ「エスカ! 大丈夫……?」」


 法衣の女性がライラを押しのけて、まだへたり込んでいるエスカに駆け寄ってきた。

 しかしはて、知り合いだったろうか。

 そこまで考えて……エスカははたと思い至った。


 この場にいる聖職者。

 十中八九、エスカが手紙で呼んだ、彼女だ。


「レ『姉さん何でここに!?』」


 後方からしたくぐもった声は……間違いない。

 首を回すと、赤い鎧のシフティが目に入った。

 口を開くと割り込まれるエスカは、もう黙って推移を見守ることにした。


「あら、ライティ・エント様。ご機嫌麗しゅう」


 レフティが、煽るような笑みを浮かべている。

 なお、ライティ・エントがシフティの本名らしい。

 シフティというのは、エスド子爵家に来るにあたっての、偽名なんだとか。


『しらじらしい! エスカ様に何を』

「お友達の心配をして、何が悪いの?」

『おとっ!?』


 近衛が一瞬固まり、その鎧の構造式ががらがらと崩れ去った。

 後に残されたメイドが、がっくりと膝をついている。

 何で二人が棘のある応酬をしているのか、エスカにはさっぱりわからなかった。


 なんとなく顔を上げると、メリーと目が合う。彼女がぷっと吹き出した。

 ライラに目を向けると……肩を震わせている。

 エスかも釣られて、そして皆と一緒に。


 声を出して、笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る