第3章 The High Priestess【ライラの章】
第29話 都から来たエスカの妹
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【
幼き彼女は恐怖におびえ、盲目だった。
悪魔の家で孤立し、ひたすら逃げ続けていた。
そして懲罰を受けた。罰は、鞭を打つことだった。
仲良くしようとしていた姉を、鞭で打つ。姉は傷つき、死に、蘇った。
恨み言ひとつ口にせず、姉は何度も叩かれた。いつでも彼女を許した。
夥しい量の血と
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身を整え、応接にて話し合うことしばし。
エスカは頭が痛かった。
義妹・ライラが王都を脱出し、もたらしてくれた情報。
それは「王都に攻め上がった辺境貴族が、学園を占拠している」というものだった。
彼らが王都に向かうところまでは、エスカも予測済み。対策のお願いもしている。
今は情報が手に入らないため、結果は分からないが、問題はないと見込んでいる。
そして想定の状況のうち、貴族学園の占拠は……楽観できない事態な方だ。
捕えて止め置かれただろう、多くの貴族の子どもたち。
この人質がどうなるのか、あるいは人質をとられた貴族たちがどう出るのか。
非常に読みづらい状況になる。
一方で、占拠する側にしてみれば悪手もいいところだ。
大量の人質を今更抱えて、どうするというのか。
貴族それぞれと交渉し、臣従でも迫るというのか?
普通、空になった王城の方を拠点に使うだろうに。
利益がないとは言わないが、これは。
「…………難しいの? エスカ」
少し沈んだ声に、エスカは思考の海から浮上した。
顔を上げる。
応接机を挟んで、向かいにはライラが浅くソファーに腰掛けていて。
右手にはシフティが控えている。
当主はお茶くみだ。威圧感を与えるため、同席させていない。
グレッソや執事、従士たちは別室で魔物退治の相談。
ドラゴンが去っただけで、あちらはまだ終わってはいない。
第二波以降に、対処しなくてはならないのだ。
さて、その上で……エスカとしてはどうするべきか。
まずは指針を決めなくてはならない。
「その前に確認だけど。王都……いえ、学園をなんとかしたいのね? ライラ」
「……えぇ。よくしてくれたお友達も、お世話になってる先生方もいるの。
けど、学園長が私をエスド領に送り出してくださって」
エスカは妹に気づかれぬよう、少し嘆息した。
事情は分かった。ライラが望む以上、できる限り力になりたい。
ウィンド家としてはあまりでしゃばるべき話ではないが、ライラがここに来たことはある種の大義名分になる。
エスカとしても、この事態の対処にはそもそも前向きだ。
関係者の合意が形成できそうならば、望むところだった。
だが、問題がある。
エスカは目を細め、視線を下げた。
「王都については平気。手を打ってあるから」
「本当!? さすがね! ……ぁっ」
思わず声を上げたことを恥じたように、ライラが縮こまる。
エスカは顔をあげ、ライラに優しくほほ笑んだ。
疑問に思うのではなく、ライラはエスカが「そうできる」と思っている。
助けを求めに来た点も踏まえると、この子はエスカの能力を把握している。
エスカは彼女の発言を掬い上げるように、続けた。
「いいのよ。驚かないあたり、やっぱりちゃんと勉強していたようね」
「ぅ」
罰が悪そうに、あるいは恥ずかしそうに頬を歪めるライラ。
彼女は、エスカの小屋にたびたび来ていた。
エスカ不在の折に訪れていたこともかなりあるようで、資料に触れた跡がよく残っていた。
「私は、別に。エスカの本や書類を、その。見ちゃってた、から。
おかげで学園の勉強は、簡単にわかるけど」
「私の小屋にあった資料は、一読で理解できるものではないわ。
あなたはそれを読めていたのだから、とてもすごいのよ」
羞恥が勝ったのか、ライラの顔が赤く染まっていく。
「続けるけど。王都については、王家や騎士団が動くでしょう。
聖教も楔になってくれているはず。問題ない。
ただ学園は、奪還が簡単ではない」
「そう……」
「武力制圧は容易なのだけど、黒幕がいるのよ」
「「え?」」
声が重なった。一人はシフティだ。
思わず口に出してしまって、慌てて他所を向いてるメイドを横目に、続ける。
「学園の占拠は、王権の簒奪という目的に合致しない。
場当たり的で、現場が勝手にやった結果と私は見る。
もっと大きく、事態を動かしている者がいて……そちらの次の手が読めないのよ」
エスカは悩み、お茶を注いでいるメイルに目を向けた。
このまま学園の対処に動いた場合、裏をかかれる可能性がある。
メイルの意見が聞きたかった。
「僕なら手じまいする。次の手を打つ意味がない」
一見言葉が足りていないが、メイルの発言は黒幕側の観点から述べられたもの……エスカはそう理解した。
結論の鋭さに舌を巻きつつ、しかし彼の砕けた様子にエスカは変な顔になった。
外向け当主のお顔はどこにいったというのだ。
メイルはソーサーに乗せたティーカップを二つ、ライラとエスカの前に置いた。
「妹君の前で力が入るのは分かるけど、少し気を落ち着けるといい」
メイルに随分気を遣われて、エスカはつい息をついてしまった。
というか。そこまで気が回るのなら、初対面でもう少し慎重であってほしかった。
「ライラ嬢、申し訳ない。ロイズは皆、エスカと相対しているのだと考えていた」
エスカの変な顔から意を汲んだのか、メイルが深々と頭を下げた。
……この礼はライラを、エスカと敵対するロイズ家の令嬢でなければ受け入れる、という意思表示でもあるだろう。
言外に家を捨てろと言うのもどうかと思うが、エスカは自身が口を挟むところではないと、黙ることにした。
「あ、頭を上げてください!? わ、私は、そんな……」
慌てるライラ。
だが一度口を引き結んだ彼女は、何かを決意したように、鋭く続けた。
「……子爵様に頭を下げていただく謂れは、ございません。
お顔を上げてくださいませ」
ライラは睨むように目を細め、メイルを見据えている。
メイルもメイルで頭を上げようとしないので、エスカは思わず天井を見上げた。
なんだこの二人は。なんだこれは。意地の張り合いか? なんのだ?
「少し私が話したいんだが、いいかなメイル」
エスカが息を吐くように告げると、彼はようやく姿勢を直して。
「わかった。シフティ」
「はい。失礼いたします」
メイドが礼をし、扉の前に立ち、開ける。
「……メイル」
「何かな」
エスカは思わず呼び止め、逡巡し。
「急に投げて悪かったよ」
改めて、謝罪した。
二人の不仲に自分も一枚かんでいるようで、どうにも居心地が悪くなったのだ。
「いいんだ。僕がやらかしたら、何度でも叱ってくれ」
当主は薄い笑みを残し、部屋の外へ出て行った。
戸がゆっくりと閉まる。
妙な許しを得て、エスカは少しむず痒い気分になった。
改めて、ライラに向き直る。
「ごめんなさい!」
ライラが早々に、深く頭をさげた。
エスカは彼女の謝罪の勢いに……積年のものを感じた。
「……気の済むまでそうするといい、ライラ。
私はいいけど、君は心が痛いだろう」
肩ひじ張っても気を遣わせるだけだろうと、エスカは少し砕ける。
だがかえって……彼女に複雑な思いを抱かせたようだ。
「そんな! 私はッ! 私はあなたを、おねえ、ちゃんを」
涙を溜めるライラの瞳を見て。
エスカの中で、何かがぶちり、と切れた。
不思議な力……お姉さん力とやらが沸き上がるのを感じる。
すっと立ち、テーブルを避けて回り込んで、ライラのすぐそばに立つ。
ソファーの座面が低いせいもあってか、エスカの目線の高さの位置に、ライラの頭があった。
エスカは右手を、彼女の頬に当てる。奥まで差し入れ、頬を、耳を撫でながら、少し顎の縁に手を掛ける。
ライラの顔が、目が、エスカを見る。
吸い込まれるように、その真紅の瞳に近づいて。
彼女の額に、エスカはそっと口づけを落とした。
エスカは左手をライラの右肩に添え、抱き寄せるように寄り添う。
深く慈しむ愛を、メイルに教えてもらった。
だからきっと、この気持ちは。
「不出来な姉で、ごめんなさい。
愛してる、ライラ。私のたった一人の家族」
髪を食むように唇を寄せたまま、告げる。
「どう、して」
嗚咽に混じる、弱弱しい声。
エスカは強く、彼女を抱きしめた。
「私は不死身だ。鞭で打たれたことなんて、忘れてしまったよ。けど」
少しだけ身を離し、彼女の目に、自分を見せる。
ライラの瞳の色と同じ、赤いドレスを。
「君のやさしさは、忘れない。このドレスは、私の宝物だ」
大粒の涙を零しながら。
ライラは、とても澄んだ笑顔を浮かべた。
「がんばった、けど。ぜんぜん、うまく、できなかった、の」
「私にピッタリじゃないか。君はすごいよ。自慢の妹だ」
ライラが抱き着いてきて、エスカの胸元におさまる。
「おねえちゃん!!」
深く満たされるような思いがし。
エスカは妹を、柔らかく抱き返した。
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