第28話 エスカは都にまだ来ない【ダイナ目線】

 ダイナ・ロイズは母リンカを連れ、王都にやってきた。

 目的は男爵家継承の準備と、妹のライラに会うこと。

 しかしここでも、予想外のことばかりが起きた。


 本店が空になっていたグレートエストック商会は、なんと王都からも引き上げていた。

 しかも、学園に出向いてみたらライラは不在。

 母はいつの間にか、用事があるとどこかへ消え。


 そして今。


「ロイズ男爵が加わってくれるとは、ありがたい話だ」

「ロイズは古く、王家の血も流れていると聞く。我々も大手を振れるというものです」

「違いありませんなぁ!」


 どっと笑いが起こる。

 だが集まったダイナを除く13人の男の目は、一つたりとも笑っていなかった。

 爵位はバラバラだが、いずれも王国南部辺境の当主たち。その席に、ダイナは加えられていた。


 迂闊だった。王都に来て接触した貴族の一人が、この場にいるわけだが。

 ダイナが王都に来る前日、彼らはこの王都に……攻め上がっていたのだ。

 手紙の行き来が激減し、情報の収集が遅れたことで、ダイナはこの事態を把握できていなかった。


 王都は、辺境13貴族によって落とされた。

 否、無血にて占拠された。


 王城はもぬけの殻。都を守る騎士団は行方不明。

 兵や民は残っていたが、彼らは貴族たちに恭順した。

 クロム聖教の枢機卿が絡んでいて、そのような穏便な動きになったそうだが。


 貴族たちも聖教に出てこられては、誠実に対応せざるを得なかったようだ。


 しかし。

 その枢機卿は人質として……軟禁されている。これがまずい。

 ダイナは頭が痛かった。


 王族たちが逃げ延びている以上、事態はすぐに知れ渡る。

 クロム聖教の知るところとなれば、諸国に聖戦を呼び掛けて信徒奪還に来かねない。

 背中を嫌な汗が伝い、ダイナはそれをごまかすように椅子に深く腰掛け直した。


「私のような若輩など。レフティ枢機卿のご威光に比べれば」

「ああ……あの方が頷いてさえ下されば、楽にことが運びますのになぁ」

「しかりしかり」


 頷くわけがない。


 彼らは枢機卿に、愚王にかわっての直轄統治を訴えかけた。

 最悪ではないが、その次に悪い。誰がこんな小国を統治したいと思うのか。

 案の定レフティ枢機卿は訴えを断り、王家帰還を待って話し合いましょうと自ら閉じこもったのだそうだ。


 聖教はクロス王家を承認しているのだ。

 何の利益もない申し出を受けて、信用を棄損するような決断をするはずもなかった。


 ダイナは少しだけ瞠目し、気持ちを切り替え、目を開いた。


 悪いことばかり考えてもいられない。

 このままこいつらといれば、処刑も免れまい。かといって、離脱も危険だ。

 母も妹もどこにいるかわからないし、一人逃げるというのもさすがに風聞が悪すぎる。


 事態を軟着陸させるしかない。その鍵は。


「私はまだ来たばかりで、枢機卿にはご挨拶させていただいておりません。

 その件、私からもお話してみたいと思うのですが」

「おお、やってくれるかロイズの」

「あちらも年若い。ぞんがい、お話が進むやもしれませんぞ」


 幸いにも、貴族たちは乗り気のようだ。

 腹案があるわけでもないが……何もしないよりマシだろう。


「して、レフティ枢機卿はどちらに?」

「この学園の象徴塔だ。君なら知っているだろう」


 ダイナは顔の血の気が引くのを、なんとか気合いで抑えた。

 昨年までここに通っていたから、もちろん知っている。

 開かずの塔と呼ばれる場所だ。


 軟禁どころか、監禁ではないか。

 自ら入ったとは言うが、これは本当にまずい。せめて場所を移させなくては。

 枢機卿を牢に閉じ込めたようなものだ。聖教に知られた場合、間違いなく粛清対象になる。


「ええ。十分なお世話も必要でしょう。手配し、伺います」


 今の王都で、まともに貴人……それも宗教家のもてなしなど、簡単ではないだろうが。

 少しでも心象をよくしなくては、身が危ない。

 ダイナは必死に頭を回しつつ、貴族たちの会合を辞した。



 ◇ ◇ ◇



 準備だけは申し付け、ダイナは供を連れ、開かずの塔までやってきた。

 入り口には枢機卿の連れだろう人員……聖騎士までいた。

 ご挨拶したい旨を告げると、ダイナだけが通された。供を待たせ、尖塔を登る。


 ダイナはこの塔には何度も出入りしている。

 いたずらというか、暇つぶしのようなものだった。

 入り口は簡単に施錠されており、入れなくはないが人は来ない。


 ちょっとしたことをするには、いい場所だった。


 ほどなく登りきり、粗末な木製の扉を叩く。

 この先に、小さな部屋がある。

 中から扉が開いた。


 聖教の礼服を来た、世話役と思しき女が目の前にいた。

 奥に、少し豪奢な儀礼服の……やはり女が。

 レフティ枢機卿。唯一の女性枢機卿だ。歴代でも、初らしい。


「ロイズ男爵家の、ダイナと申します。

 所用で王都に来たところ、レフティ様がおられるとのことで、ご挨拶をと」


 世話役の女が貴族と知ったためか、控える。


「ロイズ家の方でしたか。よろしければ、こちらへ」


 ダイナはその狭い部屋の中に通され、ぼろい木の椅子を勧められた。

 礼をし、腰かける。


 さっと部屋を見渡す。多少物が入っているが、かつて見た様子とそう変わりない。

 寝台と、机、棚、それといくつか椅子があるくらいだ。


 枢機卿の座る椅子の向こうには机があり、いくつか紙……手紙が広げられているようだ。

 ダイナは少しほっとした。外部とのやりとりができるなら、監禁とまでは疑われない。


 王都を簒奪する立場ならば見逃すべきところではないが、ダイナはそちら側ではないのだ。

 彼は手紙のやりとりを、見なかったフリをすることに決めた。

 机から視線を外して姿勢を正し、レフティ枢機卿に正対する。


「このような時に、大変だったでしょう」


 とても穏やかな、詩でも吟じるような声だ。

 レフティ枢機卿は、ほんのりと赤みがかかった髪を長くのばりしており、瞳は青。

 顔立ちは凡庸で、聖衣をまとっていなければ印象には残らないかもしれない。


 まだ若いといえば、若い。ダイナよりは年上だろう。

 枢機卿ということは未婚だろうし、いわゆる行き遅れ、ではある。

 女の身で高い地位に就くとは、宗教家の価値観はよくわからないな。ダイナは心中でそうこぼしながら、口を開く。


「いえ。レフティ様こそ、こちらでご不便はありませんか」

「大変良くしていただいております。

 もし鑑みていただけるのであれば、騎士たちに労いをどうか」


 なるほど。彼らを十分持て成せば、そのいくらかは献上されるだろう。

 ダイナは頭の中で段取りを描き、続ける。


「承知いたしました。時にレフティ様」

「そのお申し出は、受けられません」


 ……ダイナがどこの差し金か、ということはばれているようだ。


「そう、私が強く断ったと、お伝えください」


 しかも、気を遣われた。

 普通ならここで、感じ入るところだろうが……ダイナは逆だった。

 侮られた、そうとったのだ。口元が歪むのはこらえたが、目には嗜虐の色が宿った。


「そのように強情をはられますと、私はこのまま縛り首ですが」


 死ねというのか?とダイナは彼女の瞳を覗き込んだ。

 しかし、背筋が震え、視線をそらした。

 


「そこまでお分かりなら、少しはお話ができそうですね」


 枢機卿が、瞳を閉じる。

 ダイナは額に汗をかいていることに気づき、そっと拭った。


「ですが、話せるのは一つだけ。それも、彼らに伝えないという条件で、ですが」


 ダイナは完全に、目の前の女に飲まれていた。

 喉が鳴り、頷き。


「うかがいましょう」


 約束すると誓わなかったのは、彼の意地ゆえであったが。

 ダイナ自身は胸の内で、聞いたことは秘しておこうと決めていた。

 これは警告だと、理解したからだ。


 奴らに味方するな、と。枢機卿は、そう言っているのだ。


「何もせず、お待ちください。早まらず」

「……は?」


 さすがに意味がわからない。


「聖教は何もしません。王国は自立した国ですので」


 事態収拾に向けて、逃げた王族や騎士団が動いているということだろうか。

 ダイナは納得した。


「私も話を聞いているだけです。ですが信じ、待ちます」


 枢機卿のその言い方は、妙に気になったが。


「承知いたしました。ありがとうございます、レフティ様」


 ダイナは頭を下げた。

 そうならばそうで……何日になるかわからない中、無事過ごす手立てが要る。

 彼は次のことに頭が回っていて、少しだけ注意力が落ちていた。




 そのまま部屋を辞し、塔を降りたダイナは気づかなかった。


 レフティ枢機卿が座っていた、椅子の向こう。

 机に乗っていた、いくつかの便箋。

 そこに僅かに覗く、差出人の名前。


 気づいていればきっと彼は、なんとかして王都を脱出していただろう。

 この事態が、最初から彼女の罠だったのだと、そう理解して。

 レフティがなぜ、彼に殺意すら籠った目を向けたのか、それを理解して。


 だがその機会が訪れることは、なかった。

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