第6話 エスカの宝物

 がらくたになってしまった宝物と、僅かな荷を持たされ。

 エスカが馬車に揺られること、三日。


 一日目は、折れたペンを戻そうとしたり、インク壺を何とか塞ごうとしていたら、終わった。


 二日目は、宝物一つ一つを撫で、思い出に浸っていたら終わった。


 三日目。揺れが激しく、気分を悪くし……エスカは何度も死にそうになった。

 御者はおそらく屋敷の人間で、エスカには関心を向けていない。

 自分でなんとかしなければ、本当に死んでしまう。


 終わっていいと思っていた。

 でもここまでされていいとは思っていない。

 このまま死ぬのは、あまりに惨めだ。エスカの中に、小さな気力が灯った。


<――――――――>


 ようやく前向きになったエスカの耳に、残機の声が響く。

 荷物の方からだ。エスカは中を検め、固いパンと干し肉があることに気づいた。

 気持ちは悪いが、このまま飢えると死ぬ。歯で削るように食料をとり、水を飲み、やり過ごした。


「ありがとう」


 ひと心地つき、数字を見上げて礼を述べる。


<――――――――……>


 周りからすれば独り言に過ぎないが、残機の反応があると、エスカはだいぶ心が落ち着いた。


 少し、頭が回ってくる。

 馬車の移動距離、方角、道。そしてロイズとこれから向かうエスド領の位置関係。

 今は窓から日もささない。正午付近の時刻だろう。


 そろそろついておかしくない頃合いだと、エスカは判断した。

 今着ているのは、自分で縫ったお気に入りの大事なドレス。

 だが煤でかなり汚れている。このままの恰好では、ダメだろう。


 エスカは壊れた宝物たちを、馬車の揺れに気をつけながら、丁寧にしまって。

 代わりに、荷物の中にあった服を引っ張り出した。


 明らかにエスカには似合わない、赤いドレス。

 当たり前だが、自分のものではない。エスカの記憶には、この服を着ていた義妹ライラの姿があった。


 もう何年も前のことだ。

 義母に買ってもらったというドレス。彼女はわざわざそれを着て、エスカに見せびらかしに来た。

 自慢され、羨ましくて涙したら……ライラはエスカの前に、この赤い綺麗な服を着てこなくなった。


 ドレスを見ながら、エスカは少々、あの時悪いことをしたなと反省した。

 すてきだと、思ったまま褒めてあげればよかったのに。


 エスカを鞭でぶって……否、ぶち殺している義妹だが、エスカ自身はライラのことが嫌いではない。

 嬉々としてやられていたら話も違うが、ああもいやいやだと察して同情もしようというものだ。

 もし自分の「しつけ」のためにエストックに遣わされていたのなら……むしろ申し訳ない。いつか謝りたくもある。


 過去を振り返りながら、エスカは荷物を探る。ドレスはこれ一着だけのようだ。

 正直気が進まない。今のライラのサイズには合わないが、いつか会って返したいくらいなのだが。


<――――――――>


 また、声だ。何を示しているのかわからなかったが、ドレスだと思い、エスカは赤い服を注視する。


「つくろい……」


 エスカはドレスに、目立たない、丁寧な縫い跡があることに気づいた。元の形から、要所を引き絞るような。

 そんな馬鹿な、と思いつつも。エスカはその可能性が捨てきれず、赤いドレスに袖を通すことに決めた。


 多少、他の布に少しの水を含ませ、体の汚れを落としてから、着替えていく。

 元のドレスも、大事にしまう。汚れているし、破れもある。いずれ綺麗にしよう。


 改めて、ライラのドレスを着る。

 赤く鮮やかな布は、驚くほどエスカにぴったりだった。

 やはり、やせ過ぎのエスカに誰かが合わせて縫い直している。間違いない。


 そしてそれが誰か、などと決まっていた。


「ライラ、あなた……」


 ボロをまとっていたエスカに、ライラは針と糸、布をくれたことがあった。布は今、エスカの大事なドレスになっている。

 もちろん、直接渡されたわけではない。誰の仕業かわからないように、机の上に置かれていた。

 だがあの屋敷でエスカの小屋に入ってくるのは、鞭でぶつとき呼びに来る、義妹だけ。


 エスカは彼女の瞳と同じ色のドレスを、そっと自分の体ごと抱きしめた。

 泣きそうになり、我慢する。この服を汚してはならない。


(これは私の宝物だ! たった一つ残された、大切な……)


 唇を引き結ぶ。目に力をこめ、ゆっくりと息をして。

 震えが止まり、瞳に光が宿る。 

 生きる気力が戻ったエスカは、一つの目標を得た。


 ライラに服をお返ししよう。彼女に似合う、自分にできる限りの一着を作って。


 そうして気持ちを新たに、荷物をまとめていたとき。

 馬車が止まった。

 窓の外に、邸宅が見える。ここがエスド子爵の屋敷だろうか。


「降りろ、化け物」


 エスカが思案していると、御者が扉を開け、降りるように命じられた。

 彼女が従って馬車から出ると、荷物も乱暴に降ろされ、御者は早々に御者台に戻る。

 そうしてそのまま、馬車は門の外へ抜けて行ってしまった。


 屋敷の門には門番もいるし、さすがに入るにあたって事情は通っているのだと思うが。

 なぜだろう、特に迎えもない。

 一人残されたエスカは、数段の階段を登り、玄関の大きな扉の前まで来て……途方に暮れた。


 何せ玄関扉のノッカーは、少し高いところにあって、とても手が届かない。

 伸びる。届かない。つま先立ちになって、背も手も伸ばす。届かない。跳ねる。届かない。

 それどころか、着地に失敗した。足を捻るところだった。そのまま転がって階段下にでも落ちれば、死にかねない。危ない。


 せめて残機があれば違うのだが……今は0だ。一人で挑戦すべきではない。

 門まで戻って、番の者に頼むしかあるまい。

 尻はつかずに済んだが、立ち上がって念のためスカートを払い、エスカが考えていたところ。


「どうかなさいましたか?」


 はつらつとした、女性の声を耳にした。

 エスカはゆっくりと、そちらを振りむく。

 声の主は、お仕着せをまとった侍女だ。


 まだそばかすが浮いた顔。特徴の薄い……しかし目に優しい表情。赤みがかった、短く切り揃えられた髪。

 お仕着せは汚れもしわも少ないが、使い込まれた布のようだ。少しのほつれ、繕いの跡、毛羽立ちが見える。

 若く見えるが、長くいるメイドなのかもしれない。


 立場ゆえ、頭は下げられないが、エスカは丁寧に応対することを決めた。

 自分を見て目を背けない使用人など……まるで、黄金を見つけたような気持ちだ。

 エスカの表情が柔らかくなったのを見て取ったのか、メイドも笑顔になり、そして小首をかしげた。


「エスカ。エスカ・ロイズです」


 促されているのだと思い、エスカは名乗った。


 そういえばと、ふと思う。

 エスカは人に、こうして自己紹介をするのが、初めてだった。


「それで……」

「はい」

「…………えっと」


 そのことに舞い上がりそうになり……後が続かなくなった。

 エスカは自分が何のためにここに来たのか、ど忘れしていた。

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