第3話 エスカの家族
エスカは本邸に向かい、玄関から入ってすぐの丸テーブルに封筒を置いた。
ここから先は勝手に奥へ行くことを許されていないので、そのまま待つ。
ほどなく侍女がやってきて、エスカは奥の部屋に案内された。
侍女はエスカのことを、ほとんど見ない。関わりたくないのだ。
足早に歩くメイドについていきながら、エスカはぼんやりと呼び出しの理由を考えていた。
そして早々にやめた。どうせロクな話ではない。
金に飽かせて作られた本邸は、趣味は普通だが、そも男爵風情の建てる屋敷の規模ではない。
エスカはいつも来るたびに、傲慢で暮らしを顧みない家だ、と感じていた。
部屋にも造りにも、無駄がありすぎる。機能性もないし、特に美しくもない。
廊下をいくつも通り抜け、エスカはようやく目的の扉の前まで来た。
幾度か来たことがある、ロイズ家が家族で使う部屋の一つ……のはず。
ということは、いるのはエストックだけではない。
早くもエスカは、嫌な予感に苛まれていた。
メイドが扉を開きにかかったので、エスカは浅めに礼をとって待つ。
カーテシーなど習っていないが、できていないと罰を受ける。
さる貴婦人の手紙にあった記述に倣い、震えそうになる手足の隅にまで意思を込め、体をぴたりと制する。
「入れ」
部屋の中から聞こえた鷹揚な声は年のせいか張りがなく、しかし有無を言わせぬような強い響きがあった。
エスカは姿勢を戻し、入室する。
そして立ったまま、待った。着席など、許されるはずもない。
室内にいるのは、使用人を除いて三人。
エスカの「家族」。一人を除き、それが皆集まっている。
エスカはわき上がる怖気のようなものを、なんとか堪えた。
「相変わらず薄汚いわね」
豪奢なドレスに身を包んだ、義母リンカ。
エスカは彼女を見ると、いつも胸がざわついた。
何もせずとも、豊かな暮らしを謳歌する彼女が羨ましくて……そう思う自分が、浅ましく思えて。
その上リンカは、あまり接触はないものの、見かけるとエスカを自然に罵倒してくる。
婿養子の連れ子などそりゃあ可愛くなかろうが、そういう理由で虐められているのではないとエスカは感じていた。
明らかに、エスカの反応を楽しんでやっている。どう見ても趣味が悪い。
彼女と同じ部屋にいるというだけで、エスカは気分が重たくなってきた。
「可愛いライラに比べたらね。無理もないよ」
軽い調子でおどけてみせているのは、長男のダイナ。
王都の貴族子弟向け学園を卒業し、この春ロイズ家に戻ってきたばかりだ。
ライラというのは、入れ替わりに学園に行った令嬢。
二人はエスカから見れば、義理の弟・妹となる。
エスカを虐げる二人だ。だが、直接鞭でぶつライラより、エスカはこの義弟が嫌だった。
ダイナはいつも、ライラがエスカをいたぶるそばで、それをにやにや眺めている。
そしてライラがいないときに現れ、自身がいかに優れ、恵まれているかを自慢するのだ。
どんな痛みでも、絶命してもエスカは泣いたりしないが……ダイナに煽られると、涙が止まらなかった。
義妹のライラはというと、エスカから見ると変な子だ。エスカを鞭でぶち殺すが、明らかに嫌々やっていた。
こういう場にいた場合は、エスカがまずい状況になると割って入ることもあった。よくわからない情緒だ。
態度はつんけんしているし、口調も優しくはないが、この家では比較的エスカに同情的な方……だと考えている。
敵である義母と義弟がそろっていて、ぎりぎり味方判定できる義妹がいない。
嫌な状況である。エスカは来たばかりですでに、余裕がなくなってきていた。
「嗚呼、私の可愛いライラ。あなた、ライラはいつ帰ってくるの?」
「寮暮らしだ。夏になれば戻る」
当主・エストックはぎらついた視線を、手元の紙から離さず答える。
エスカはこの父に対しては、何の感情も持っていなかった。
ひどく罰する。だがそれだけの人。向こうがエスカに関心を寄せていないせいか、その苛烈さに比例せず印象が薄い。
あるいは、とうに恐怖で支配され……エスカの心が屈しており、何も感じないだけなのかもしれないが。
なおエスカを産んだ本当の母は、いるのかどうかすらわからない。
見たことも聞いたこともないのだ。
自分は拾われた子で、エストックとも血が繋がっていないと言われても、エスカは特に驚かないだろう。
「夏! とても待てないわ」
「なら僕らが行こうよ母さん。外泊は難しくても、学園からの外出はできる。
王都でならライラに会えるよ」
「さすがねダイナ!」
エスカは珍しく見せられている家族団らん?に、困惑を浮かべそうになり、それを必死に抑えた。
エストックに見咎められたら、どうされるかわからない。
エスカも終わりを覚悟はしているが、別に積極的に死にたいわけではなかった。
特にこのような……「普通」の光景を、見せられた直後に、などと。
沸き上がる羨みの心に、エスカの胸の内はかき乱されていく。
彼女の視界の端に映るダイナが、にやついている。
エスカが嫌がるのを知っていて、わざと見せつけている、のだろう。
どうしてこのような真似をするのか、エスカには想像がつかなかった。
「費用を見繕えるなら、いいだろう」
「出してくれないの? 父さん」
「そうよ、あなた。ライラの様子が気にならないの?」
エストックがソファーから立ち上がり、読んでいた紙をテーブルに置く。
ダイナは内容にさっと目を通し、リンカが紙を手に取った。
エスカからは見えない。
「あらこれ……エスド子爵様の?」
「そうだ」
「まさか、ライラはもらわれてしまうの!?」
義母の聞きなれないヒステリックな声に、エスカは耳を塞ぎたくなってきた。
だが気になる流れだ。エスド子爵、という名にも覚えがある。
もらわれる、ということは婚姻関係だろうか。
「そう打診もしていたがな。
彼の言う「それ」とは。
もちろん、エスカのことだ。
エスカはまだ、考えが至らない。
嫁に出される、と言われたような気がして。
頭が追いつかなかった。
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