第12話 昏き月

 武帝は反魂の儀を試みて後、さらに多くの道士や法士を求めるようになった。少翁に再び反魂の秘術を乞うても断られたからだ。前回が特別で本来人は亡者にかかわってはなりませぬと言われた。その結果、武帝はますます怪しげな仙術紛いに傾倒していった。そして巫蠱の獄が起きた。


 まずい、まずいぞ。恐れていたことがまさかこんな形で起こるとは。

 太子の劉拠と衞皇后が死を賜った。つまり、今は太子が空位だ。今長安城にいる公子は劉弗陵りゅうふつりょうのみであり、その齢は未だ3つだ。つまり、既に封じられている劉髆が巻き込まれる可能性がある。通常は王や候に封じられてしまえば公子に戻ることなどない。

 未だに李家の呪いはまだ続いているのか。運命はあくまで俺の家族を不幸にするというのか。呪いは何としても俺で留めなければ。吹き出す汗が止まらない。


 武帝は既に齢六十の半ばを超え、体が効かず朦朧とする日々が増えていた。おそらくそれほど長くはないだろう。劉拠太子が帝となる日も近いのだろうとぼんやりと思っていた。

 近頃は俺も流石に年を取り、詩吟以外に帝の側近くを侍ることもなくなった。後宮の中でも武帝の中でも、妹はすっかり過去のこととなっていた。

 この後宮では全ての事象が儚く移ろう。いなくなった者に拘泥する者はいない。帝の寵も鉤弋こうよく夫人、おう夫人へと移り変わっている。けれどもそれでよいと思っていた。すでに弟妹の呪縛は解けたのだ。俺の望みは叶えられた。新帝の御代となれば後宮が一新されるだろうけれど、楽府に残れず放逐されたとて十分な私財は手にしていた。だからそれはそれでよいと思っていた。

 後宮の内が外からわからないように、後宮の内から外の世界はよくわからなかったのだ。後宮とはそもそも移ろうもので、その絶対的な価値はただ頂点にあらせられる帝の寵愛しかないのだから。


 けれども後宮の外はよほど相対的で複雑だった。様々な者と思惑が存在する世界。

 武帝は年若くして即位され長い年月統治を行ってきた。そのため太子の劉拠もすでに齢40近い。凝り固まり淀んだ治世。その歪みが人と人との間に堆積し、汚泥のように深く積もり、ぎしぎしと身動きが取れないようになっていたようだ。

 その複雑な汚泥は武帝の崩御とともに刷新され、劉拠太子の世に切り替わる。そのはずだった。そうすると後ろ盾のない江充こうじゅうのような立場など吹けば飛んでしまうのだろう。そして恐らく江充には死が待っていた。だから江充はあのような行動を起こしたのだろう。


 江充とは儀典で何度か会ったことがある人間だ。つまらなそうな表情の真面目な男という印象だった。その江充の真面目さを武帝はいたく気に入ったと聞く。

 こんな話がある。もともとは妓女であった江充の妹がちょうの太子たんに娶られたが、江充は太子丹の悪事を趙王と武帝に奏上したのだ。その結果、太子丹は死罪となった。

 同じことが江充と劉拠太子の間にもあった。ある時江充はほとんど使用されていない武帝専用の通路を劉拠太子の使者が横切ったのを見咎めたそうだ。誰かに害があるものではない。だが江充はその真面目さゆえ、劉拠太子が言わないでほしいと言うにもかかわらず武帝に奏上した。武帝はおもねらない者だと江充をいたく褒めてより信用なされるようになり、江充は監査役の命をうけた。

 けれども、当然ながら江充と劉拠太子の関係は悪化した。劉拠太子の御代となれば放逐は免れまい。それに俺と異なり阿らない江充は敵を多く作ってしまっていた。


 その夏、武帝はお体を崩され、騒がしい長安城を離れて北西の静かな甘泉宮かんせんきゅうに移られた。

 俺が長安城で楽府の仕事をしていると、突然官吏が室に入り調べ始めた。何事か尋ねると、また巫蠱の儀が行われたという。巫蠱の儀とは地中に呪物を埋めて人を呪うものである。

 ここのところこういう話ばかりだ。先だっても武帝が不審な影を見かけ上林苑のあたりまで大捜索が行われた。その後も不正を行っていた朱安世しゅあんせいが捉えられた際、公孫敬声こうそんけいせいが甘泉宮への道の途中で巫蠱を仕掛けたという話がうかんだ。それから始まり、多くの者が獄死した。

 武帝は巫蠱を酷く嫌われている。ご自身も陳皇后に巫蠱の儀をかけられ、それがもとで陳皇后は放逐されたと聞く。


 官吏に詳細を尋ねると、武帝が体調の不良を嘆かれた際、江充から武帝に巫蠱の儀が行われた疑惑があるとの誣告があったそうだ。これまでの江充の進言からも恐らくそれが正しいのだろう。そもそも後宮というものは毒や呪いが横行している。これを機に怪しげなものを一掃してほしい、俺は単純にそう思っていた。

 ところが巫蠱の出どころが問題だった。劉拠太子の邸より巫蠱が見つかったのだ。そのころには世間では澱の重なる武帝の御代から劉拠太子の新しい御代への期待が高まっていたらしい。だから劉拠太子が巫蠱の儀を行ったという話も世間ではありうるものとして受け止められ、それが武帝の耳にも入ったようだ。


 けれども以前平陽公主の席でお会いした劉拠太子は真っ直ぐな方だった。巫蠱など使うようには思えない。劉拠太子は冤罪と主張し江充を切った。だが曲がりなりにも江充は監査役として調査をしている。そのため武帝は丞相の劉屈氂りゅうくつりに劉拠太子の討伐を申しつけたそうだ。


 最終的には劉拠太子のみならず衛皇后も死を賜り、その一族の多く、そして賓客とされていた者までが処刑された。

 そしてこの江充による誣告を皮切りに多くの虚実乱れた巫蠱の罪の誣告が蔓延した。よくよく考えてみれば巫蠱の儀など他人の家に呪いを埋めておけば巫蠱を行っていたという言いがかりをつけられる。既に家にある以上、自分のものでないという証明なんてできやしない。違う証明なんてできない。


 その年の長安は異常な緊張につつまれ、武帝が甘泉宮から戻られるまで濃い死の匂いが漂い続けていた。改めて調べ直したところ劉拠太子は冤罪であり、江充の誣告が政敵を葬るためのものであったことが知れ、江充の一族は全て誅殺されたが、もう劉拠太子は戻らない。

 武帝は酷く落胆なされてますます神仙に傾倒され、長安全体におぞましい空気が漂った、という。というのは俺は相変わらず世と隔絶された後宮にいて、人づてに聞く話しか知ることができなかったからだ。


 だが時折聞く劉屈氂という名前。その名は広利から聞いたことがあるが良い印象がない。嫌な予感がした。とても嫌な予感が。

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