第11話 気づき
「北杜さん……」
「課長には話しておくから、今日はもう帰るといい」
眉を寄せた表情に戸惑ってしまうが、このまま帰るなんて出来ない。
既にタイムカードは切り、姫華さんとも話をしている。
それにデスクにバッグも置きっぱなしだ。
「大丈夫です。仕事、出来ますから」
我ながらたどたどしい言葉になってしまったのは気圧されてしまったからだろう。
私の言葉でか、北杜さんの眉間の皺が増々深くなる。
「そんな顔色をしているのにさせられるわけないだろう」
そんな酷いのだろうか?
自分では自覚がないし、鏡もないからわからない。
「でもここまで来て帰るのも……デスクにバッグも置いてありますし」
「そうか」
北杜さんはスマホを取り出し、連絡している。指先の動きだけでは誰かまではわからない。
「これで大丈夫だ、一度戻ろう」
そう言って私の手を引いて、北杜さんは私達が普段働いているフロアへと向かう。
先程の姫華さんとは違い優しい握り方だ。そんな動作に思いやりを感じて、胸がじんとする。
だが、優しくされるのに反比例して心が重たい。さっきの釣り合わないという言葉が思い出され、フロアに入るドアの前で思わず立ち止まってしまった。
「どうした?」
「私と一緒では、誤解されてしまいますから……」
俯いた私の顔に北杜さんの手が添えられる。
驚いて思わず身を引こうとしたが、それより先に北杜さんの手が背中に回された。
「あ、あの」
「誤解じゃない、俺と深春は結婚を控えた関係だ。誰にも文句は言わせない」
はっきりと言われ、衝撃を受けた。
言葉でこうして出されると何と強烈なのだろう。
北杜さんがドアを開けると丁度朝礼を行なっていたようで、皆が課長の方を向いて立っていた。
一斉に視線がこちらに向く。
「おはようございます。遅くなって申し訳ありません」
「おはようございます。一色君、天羽生さん。何かありましたか?」
課長の問いに、私は北杜さんを見る。
「深春さんが体調を崩したので付き添っていたのです。まだ少し顔色が悪いようで」
「そうなのですね。熱があるとかでしょうか?」
心配してくれる課長の優しさに罪悪感を覚えるが、私は素直に頷いた。
「少し気分が優れなくて……」
そう言えばひそひそとした声と刺さるような視線が向けられる。
(さっきまで元気そうにしてたのにね)
(さぼりたいんじゃない?)
そんな言葉が不意に耳に入り、私はますます俯いてしまう。
「林堂さん、具合が悪い人に失礼ではないでしょうか」
「北杜さん?」
臆することなく姫華さんに向かって咎めの言葉を言い放つ様子に、思わず大声が出る。
「一緒になって言う二条さんも田代さんも。体調不良をサボりだなど言うなんて、人としておかしいと思いませんか?」
「まぁまぁ一色君」
課長が宥めるように言うが、北杜さんは止まらない。
「そのように人を疑うとは不快ですね。自分達は急に体調を崩すことはないという事なのでしょうか」
「三人には僕から話しておくから、一色君とにかく落ち着きなさい」
課長の言葉でようやく北杜さんは口を閉じるが、言われた三人は三者三様の反応だ。
罰が悪そうにしたり、不貞腐れたり、そして私に怒りの目を向けて来たり。
そんな目を向けられても私は撤回なんてしないわ。
北杜さんが私の為に言ってくれたのだもの、それを否定するような事をするわけがない。
(私の為に怒ってくれたのだもの)
自分の言葉を反芻して顔が熱くなる。
北杜さんは私の為に怒ってくれている事を思い出した。いつだって、学生の時も。
昨夜夕食に誘われた時も姫華さんとの間に立ち、近付けないようにしてくれていた事も。今回なんて他の人を敵に回してでもいいという覚悟で矢面に立ってくれた。
自分の評判よりも、私を助けようと行なってくれているのだ。
(後できちんとお礼を言わなきゃ)
ややギスギスとした雰囲気の中、ノックの音が響いた。
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