第10話 本心は

「天羽生さん」


 声を掛けてきたのは林堂姫華さんだ。


 デスクにバッグを置いたタイミングだったので、恐らく私を待っていたのだろう。


 姫華さんのデスクからだと私の位置は見えづらいから。


「おはようございます、林堂さん」


 私は挨拶をし、席に座ろうとしたが姫華さんに腕を引っ張られ、そのまま廊下まで連れて行かれる。


「あ、あの何ですか?」


「ちょっと話があるの。二人だけで」


 さすがにこのような強引な手をとられた事はないから驚いた。


 恐らく話したい事というのは昨日の帰りの件だと思うけど……。


 誰もいない休憩室まで来て、ようやく手を離してくれた。


 無理に引っ張られたのでやや腕がじんじんするが、姫華さんに気にした素振りはない。


 それどころではない、という表情だ。


「天羽生さん、昨日北杜さんと食事に行ったのよね? 何を相談されたの?」


 開口一番にそう言われ、私は彼女の視線をやや避けつつ、考えていた返答を口にする。


「他愛のない仕事の話ですよ。女性目線での意見が欲しいって事だけです」


「本当に?」


 あからさまに疑われている。


(あぁやはり嘘だと思われるわよね)


 まぁ嘘だから仕方ないのだが、他に思いつくものもなかったのだ。


「そんな話ならあたしだって良かったと思うんだけど、なんで天羽生さんだったわけ」


 ぶつぶつと恨みがましく言われても困る。


「林堂さんと話すと他の男性に嫉妬されるからではないでしょうか?」


 事実他の男性とも仲良くしている姫華さんに声を掛けるのは、ちょっと憚られるところがある。


 姫華さんと仲良くなりたい男性は多いから、会話を邪魔したりすると後から睨まれる事もあるので、敬遠されてしまうのだ。


「そうなのかしら。北杜さんなら全然いいのに」


 私としては良くはないけど、それでこの拘束が解けるならばいい。


「ともあれこれで話は終わりですよね、それでは失礼します」


「待って」


 まだ何かあるのだろうか。ドアの前から避けてくれないから、渋々話を聞くしかない。


「天羽生さん。もしも今度北杜さんに誘われたら、今度はあたしを勧めてちょうだい」


 嫌だ。


「それはちょっと……」


 思わず本音が口から漏れそうになったけど、何とか耐えた。


「女性に話を聞きたいのならあたしでもいいでしょ? あたしに直接話をしに来づらいっていうなら、仲介してよ」


 そういう事ではないのだけど。


(一応婚約者だし、他の女性と一緒にいるところなんて見たくないな)


 もやもやとした気持ちが芽生えてしまう。


「それは直接北杜さんに伝えてください。私ではわかりませんから」


「独り占めする気なの?」


 意味がわからない。独り占めってどういう事かしら?


「それともまさか自分が北杜さんに好かれているって思うの。そんなに地味なのに」


「なっ?!」


 気にしていることをあっさりと言われ、動揺で言葉が詰まる。


「その反応やっぱり狙ってたのね。アハハ! アンタみたいなの、本気で相手にされるわけないじゃない」


 私は縮こまってただ耐える。


(釣り合うわけないって、知ってるもの)


 学生時代に遠巻きで言われた事はあるが、その時は聞こえない振りでやり過ごした。

 でもこうして目の前で言われるのは堪える。


「わかったら北杜さんをあたしに譲りなさいね。さっ始業時間だから戻ろうっと」


 姫華さんはスタスタと戻っていくが、私はどうにも足取りが重くてなかなか歩みが進まない。


 一人でしばし廊下に立ち尽くしてしまう。


「大丈夫か?」


「あっ……」


 声を掛けられ顔を上げれば、北杜さんが目の前にいた。


「バッグはあるのに姿が見えないから探していたんだ。顔色が悪いな、何かあったのか?」


 心配そうな顔と声に思わず縋りつきたくなる。


 でもこの優しさは私本人に向けられたものではなく、家の為に来てくれる女性に対して向けられたもの。


 手を取ってはいけないものだ。


「だ、大丈夫です」


 そう言って笑えば北杜さんは微笑みを返してくれるはずなのに。


 何故か今日は違った。


「君はいつでも隠そうとするのだな」


 眉を寄せた顔と硬い声、それは数年ぶりに見る怒りの表情だ。






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